8.2-34 河畔の国34
一方、そのころ。
黒狐娘姿のワルツは、黒いローブを頭から被った男と、先を行く少女たち4人の後ろを歩いていた。
そんな彼女たちの目的は、4人の尾行……ではなく、王城までの警護である。
まぁ、どちらかと言えば、オリージャ国民を守る方の警護だったようだが。
「ほら、クラーク。シャンとしなさいよ。誰か死んだわけじゃないんだから、そんな葬式みたいな表情をしてないでさ?」
テレサの葬儀(?)以外に出席した経験のないワルツがそう口にすると……顔がグシャグシャになるほどに涙を零していた黒いローブを被った男――クラークは、そんな彼女の言葉に対して、こう返答した。
「……お嬢様がこんなにも楽しそうな表情を浮かべられたのは、一体いつぶりのことでございましょう……」ぐすっ
「いやいやいや……。彼女、夕方にテレサがどこにいるのか私たちのところに聞きに来た時なんかは、もっとテンション高かったわよ?」
「…………えっ?」
「え、えっ?う、うん……。なんでもないわ……」
クラークが聞き返してきた理由が、自身の話を信じられなかったために聞き返してきたのか、それとも嗚咽のせいで、単に聞きそびれてしまっただけなのか分からず、その上、返答が面倒になったのか、話をはぐらかすことにした様子のワルツ。
それからも、傍から見れば、まるでワルツがクラークを口撃して泣かせているかのように見えるやり取りを繰り返しながら、2人はベアトリクスたちの後ろを歩いてついていく。
その際、夜の街を歩いていたがために、言い寄ってくる男性たちを、プレッシャーで気絶させ……。
王城の入り口にいた目付きの悪い門番や兵士たちを、重力制御システムでねじ伏せ……。
更には、反対側から歩いてきた何処かで見たことのある司祭風の優男を……その存在そのものが気に食わないと言わんばかりに、いつにも増して容赦なく、大量のプレッシャーと、8Gにも迫る超重力を浴びせかけて昏倒させながら……ワルツたちは、ベアトリクスの部屋がある場所へと進んでいった。
そして王城の3階へとたどり着いたところで……
ガチャリ……
「……ベアトリクス?それに……」
彼女たちは、自室から出てきたオリージャ妃と、偶然バッタリと顔を合わせることになってしまう。
その姿を見て……
「っ……?!」
と、思わず身体を硬直させてしまうベアトリクス。
言いつけを破って牢から出た上、着ていた服が奴隷風の服装のままだったので、また酷い目に遭わされてしまうかもしれない……と彼女は思ってしまったようだ。
すると、そんなベアトリクスの反応を察したテレサが、自身よりも背の高い彼女のことを背中に隠しながら一歩前に出ると、ベアトリクス対してこんなことを呟いた。
「ここで見たことは、できれば忘れて欲しいのじゃ?」
「…………?」
すると、そんな会話をしている少女たちの様子に気付いたオリージャ妃が、
「何をコソコソと話しているのです!衛兵……」
大きな声を上げて、警備の兵士を呼ぼうとする。
あまり好きではないベアトリクスと、見るのも嫌なミッドエデンの者たちが一緒にいたので、国家反逆罪か何かの疑いを掛けて、いっぺんに全員処理してしまおう……と考えたのかもしれない。
結果、テレサは、前を振り向いてから深くため息を吐くと……彼女だけが持つ、ある意味で究極の魔法を行使した。
「オリージャの妃よ。『今から24時間前までのことを、すべて忘れるのじゃ?』」
その瞬間、
「…………」ガクッ
まるで糸の切れたマリオネットのような動きを見せるオリージャ妃。
テレサが行使した言霊魔法の影響の及ぶ範囲が大きかったためか、彼女の脳に、それ相応の負荷がかかってしまったようである。
とはいえ、魔法が無理矢理に記憶を書き換えているだけで、脳へダメージが及ぶことは無いはずだが。
その後でテレサは、続けざまに、2回目の魔法を行使した。
「それと、『ベアトリクスに、もっと優しくするのじゃ?』」
そして、言霊魔法の行使を終えるテレサ。
しかし、2回目の魔法に対し、オリージャ妃が反応した様子はなく……
「…………」
電源の入っていないヒューマノイドのように、ただ俯いていただけのようである。
そんなオリージャ妃の反応を見て、
「む?2回目の魔法は、効いたのかのう?」
「どうかなぁ?先に2回目の方を言ったほうが良かったんじゃない?」
「……ねぇ、テレサ様?前に1日分、イブの記憶が抜け落ちてたことがあるかもなんだけど……」
と、それぞれ首を傾げるテレサたち。
それからテレサが、念のために、最後の1回分の魔法をここで行使しようかどうかと悩んでいると……
「一体……何をしたのです?」
ベアトリクスが事情を問いかけてくる。
それに対し、魔法の内容を知っていたルシアとイブが説明しようとするのだが……テレサは手を上げてそれを制止させると、自ら説明をすることにしたようだ。
とは言っても、直接的な説明ではなく、幾つかのオブラートに包み込まれたような内容だったが。
「妃に対して、妾の『魔法』を使ったのじゃ。今日、主に対して課したぺなるてぃーを忘れるように、とのう。あともう一つの方は……効いたかどうか分からぬから、忘れてほしいのじゃ。まぁ、少なくとも、牢屋の中で1週間を過ごさねばならぬ……なんてことはないはずなのじゃ?じゃから、安心するのじゃ」
それに対し、
「記憶を消す魔法……?……まさか、私の記憶も消すつもりですの?!」
と、先程のテレサの言葉を思い出したのか、思わず後ずさりを始めてしまうベアトリクス。
楽しかった時間を忘れさせられるのではないか……。
不意にそんな懸念が、彼女の脳裏を過ぎったようである。
一方、ベアトリクスの言葉の意味を理解できていたテレサは、苦笑を浮かべながら首を横に振りつつ、こう口にした。
「いや、それは無いのじゃ。無線機を渡しておいて、今日のことを忘れさせるとか、意味不明過ぎなのじゃ?」
「えっ?あ……そうでしたわね……」
ベアトリクスはそう口にすると、大切そうに握りしめていたカードの感触を、改めて確かめたようだ。
「まぁ、何はともかくなのじゃ。主は今夜、安心して眠るが良い。あと……ルシア嬢?そこで涎を垂らしながら突っ立っておるオリージャ妃を、部屋のベッドまで送ってほしいのじゃ?」
「報酬は?」
「……稲荷寿司5人前……」
「仕方ないなぁ……」
「ねぇ、テレサ様?イブもあんな風に涎を垂らして立ってたかもなの?ねぇ?」ゴゴゴゴゴ
「さ、さて。今日はもう、夜も遅いのじゃ。また明日もある故、妾たちも帰るとするかのう?」
そう口にすると、まるでイブから逃げるように、その場の先頭を切って、来賓室に戻ろうとするテレサ。
そんな彼女に届くことはなかったようだが……ベアトリクスはテレサの背中に向かって、
「……ありがとう。テレサ……」
しっかりとそんな感謝の言葉を口にしたようである。
あんねー。
テレサ様は事前に何も言わないかもなんだけど、イブが気づかないことを良いことに、イブのこと、絶対、実験台にしてると思うんだよね……。
記憶が消えるとか、おやつが消えるとか、コル様やルシアちゃんに見に覚えのない変な疑いをかけられるとか……。
おねしょのことだって……え?それ関係ない?
んー……これには深い事情があるかもなんだよね……。
これについては、そのうち、テレサ様が白状するかも?
あと、これは補足かもなんだけど……イブが『ルシアちゃん』のことを呼ぶ時に、『ルシア様』って呼ぶことがあるのは、間違いじゃないかもだよ?
てぃーぴーおー、ってやつかもだね。




