8.2-23 河畔の国23
そして……。
薄暗い部屋の中だと言うのに、眼の下にできた隈がはっきりと分かるほど泣き続けた犬の獣人の少女が、テレサの腕の中(?)でようやく落ち着いてから。
テレサは、彼女のことを牢屋の中のベッドに腰掛けさせ、それから質問を投げかけた。
「お主は何故……妾の名前を知っておる?(妾自身も覚えておらぬのに……)」
その質問に対して、白く尖った獣耳が特徴的な少女は……直接理由を答えず、その代わりにこんなことを話し始めた。
「……私の名前は、ベアトリクス。ベアトリクス=F=オリージャ。……テレサ。私の事、覚えていないのですの?」
「む、むむむむむ……(む?オリージャ……じゃと?)」
「……覚えていらっしゃらないのですわね……」
自身の問いかけに対し、言葉に詰まって苦悶の表情を浮かべ始めたテレサの様子を見て、彼女が覚えてないことを察するオリージャの姫(?)、ベアトリクス。
その際、一瞬だけ、悲しげな表情を浮かべる彼女は……しかし、すぐに元の表情に戻ると、テレサとの出会いについて思い出すように話し始めた。
「あれは……5年ほど前の夏のことでしたわ。オリージャとミッドエデンの国境線を決める会議に出向いたお父様に連れられて、ミッドエデンのノースフォートレスという町に出向いたあの日……。森の中で小鳥に追いかけられて、泣いていたところで……私たちは出会ったのですわ」
「その鳥は……さぞかし強い魔物だったのじゃろうのう……」
「確か……マクニールに聞いた話によると、ただの動物だったという話でしたわ。あの頃のテレサは……泣き虫でしたのに……」
「泣いておったの……妾だったのじゃな……」
「時間も忘れて夜遅くまで遊んだあの日のこと……思い出さなくって?」
「…………ど、どう答えて良いものかのう……」
と、ベアトリクスの問いかけに、冷や汗をかきながら頭を抱えるテレサ。
自分が一言、口にする度に、残念そうな表情を浮かべるベアトリクスの反応を見て、彼女はいたたまれない気持ちになってしまったようである。
それからテレサは、あった出来事のすべてを話すのではなく、不用意に心配させるような言葉を口にしないように注意しながら、自身が巻き込まれてしまった事故についての説明をすることにしたようだ。
「実はのう……。妾、つい1ヶ月前からそれ以前の記憶が、殆ど残っておらぬのじゃ……」
「えっ……」
「ミッドエデンの王都で、ちょっとした事故に遭ってしまってのう……」
「お、お身体は大丈夫ですの?!」
「えっ?う、うむ……。記憶を失った事以外は……まぁ、大丈夫なのじゃ。……多分の」
と、自分のことを心配してくれる様子のベアトリクスに、面食らってしまうテレサ。
対して、無事であることを聞いたベアトリクスの方は、
「よかったですわ……」
まるで自分のことのように、胸を撫で下ろしていたようである。
しかし、間もなくして、ベアトリクスはその表情を曇らせてしまう。
そして彼女は、まるで何かを恐れるかのように、テレサへとこんな質問を問いかけた。
「では、もしかして……あの時に交わした約束も……忘れてしまったのですの?」
「や、約束?」
「はい。でもその様子なら……覚えていらっしゃらないのですわね……」しゅん
「ふぐっ……」
と、しょんぼりしながら獣耳を倒してしまったベアトリクスの反応を見て、再び眼を白黒させるテレサ。
今この瞬間、彼女は、記憶がない自分のことを深く呪ったようである。
だが、そんな彼女の頭の痛みは……一瞬で違う意味での頭痛に変わってしまう。
「大きくなって成人したら……テレサの所に嫁ぐという、という約束ですわ」ぽっ
「……ん?…………ん?!」
「もう……何度も言わせないで下さいまし。成人したら……」
「いや、ちょっと待つのじゃ。待ってほしいのじゃ!何が一体どうなって、そんな約束を交わすことになったのじゃ?!っていうか、妾、どういう幼少時代を過ごして来たのじゃ?!」
と言って、近くにいたユリアとシルビアに眼を向けるテレサ。
しかしその視線を向けられた2人は、
「テレサ様?……浮気は良くないと思います」にっこり
「ワルツ様のことは、すべて私たちにおまかせ下さい!」ビシッ
まともに返答する気は無かったようだ。
というより、彼女たちも、テレサと出会ってからそれほど時間は経っていないので、彼女の幼少時代を知らないだけなのだが……。
それからもベアトリクスの口撃(?)は続く。
「例え、テレサが覚えて無くても、今日、この日、貴女がここへと現れて私を開放してくださったのは、きっと運命……そうに違いないですわ!」
「み、認めぬ……認めぬのじゃ!わ、妾には、すでに、未来を約束したふぃあんせがおるのじゃ!」
その言葉に、
「えっ…………」がくぜん
と固まるベアトリクス。
それを好機だと見たのか、テレサは少し震えるその唇で、一気に畳み掛けた。
「妾はワルツと一緒になるのじゃ。既にこの身も心も、ワルツのものも同然。それに名前も、テレサ=ハインなんとかではなく、テレサ=A=アイなのじゃ!」
その言葉に、今度は……
「「「…………?!」」」
と驚愕の表情を浮かべるベアトリクスと他2人。
どうやら今の彼女の発言は、ユリアたちにとっても、聞き捨てならない一言だったようである。
結果、
「そ、その手がありましたか……!」
「流石に死ぬわけにはいかないし……どうしましょう?先輩……」
「か、カタリナ様に頼んでサイボーグ化……は、流石に無理だと思うわ……」
「ですよね……。カタリナ様にそんなこと言ったら、存在ごと消される気しかしません……」
と身内にしか分からない理由で頭を抱えるユリアたち。
……しかしである。
本来、フィアンセがいるという発言をすれば、それを口にした人物に対して好意を寄せる者は、その言葉を聞いた瞬間、絶望に近い表情を浮かべるはずだが……そこにいるベアトリクスはその例には当てはまらなかったようである。
確かに彼女は、一瞬残念そうな表情を見せたものの……しかし、その決意は本物だったようで、テレサに対して真っ直ぐな視線を向けながら、こう口にしたのである。
「……構いませんわ。テレサに救われた、この心と身体……。例え小間使いなろうとも下僕になろうとも、貴女に捧げると決めたのですから!お望みでしたら性奴隷にでも……」
「……のう、ユリアよ?魔法、使って良いかのう?」
「まだ、尻尾が戻ってないですよ?あと、不用意に使ったら、ワルツ様に怒られますよ?」
「……はぁ……」
そして、大きなため息を吐いて、がっくりと項垂れるテレサ。
どうやら彼女は、今のワルツが置かれている状況の一部を、その身をもって体験することになったようである。
ベアトリクス……ベアトリクスのう……。
ハッキリ言って、妾の天敵なのじゃ……。
恐らく一方的な天敵だとは思うがのう……。
というわけで、ベアトリクスは犬の獣人なのじゃ。
じゃがのう、どこぞの癖毛とは違って、垂れた獣耳ではなく、尖った獣耳なのじゃ?
雰囲気としてはハスキー犬に近いかもしれぬのう。
なお、イブ嬢の獣耳の雰囲気は、レトリバー系に近いのじゃ。
どの種類のレトリバーなのかは……最早、言うまでもないじゃろ?
はぁ……。
その話を書いておったら、モフモフしたくなってきたのじゃ……。
近所に、エキノコックスを保菌しておらぬキツネはおらぬものかのう……。
……アメよ?お主のことは呼んでおらぬのじゃ……。




