8.2-10 河畔の国10
ガラガラガラ……
オリージャ王国の外交官であるクラークがやってきた次の日から、進路を北から西に変え、彼の豪奢な馬車の後ろをついていくワルツや騎士たちの馬車の列。
そこから見える景色には、相変わらず森や林の姿は見えなかったが、雨が降らないというわけではなかったようで、昨日まで荒涼としていた景色は、今日この日はシットリと湿っていた。
というわけで、今日の天候は、雨である。
そんな薄っすらとした雨靄の中を、数百にも及ぶ馬車が延々と連なって走っていたわけだが……その先頭を走る馬車の窓からは……
「…………」
唖然とした表情を浮かべながら、雨に濡れるのも構わず、後ろを振り向いたまま固まるクラークの顔が出ていたようだ。
「……あのおっさん、凄く気になるから、石でもぶつけてやるか」
「ロリコン……それやったら、おまえ間違いなく死刑だぞ?」
と、クラークの姿を見て、そんなやり取りを交わすロリコンとカペラ。
ちなみに。
馬車の窓から首を出したまま固まっていたクラークは、ワルツたちの乗ったオンボロ馬車を、忌々しげに眺めていた……というわけではない。
あるいは、後ろから付いてくる、豪華そうな装飾や装備が施された騎士たちの2階建て馬車を眺めて、一度は乗ってみたい、と思っていた……というわけでもない。
では彼が何を見ていたのか、と言うと……
キィィィィン……
ゴゴゴゴゴ……
騎士たちの馬車の更に後ろから、雨の中を低空で飛行してきていた白と黒の巨体に、釘付けになっていたのである。
そのクラークの表情と、彼の乗った馬車の異様な移動速度から察するに、まず間違いなく彼は、今にも後ろから襲われるのではないか、と危機感を抱いているに違いない……。
そんな彼の反応を眺めながら、ワルツたちは首を傾げつつ、こんな会話を交わしていた。
「あの人……なに見てるのかしらね?」
「んー、乗り物酔いしたイブちゃんみたいなことをしてるんじゃないかなぁ?」
「えっ?ルシアちゃん、イブのこと呼んだ?」
「ううん。ただ、あの人、今にも吐きそうだな、って思っただけ」
「ふーん、イブのこと呼んだんじゃなかっt…………ちょっ!気持ち悪かったことを思い出させないでほしいかもだし!」
と言いつつも、余計なことは考えないようにして、今日も青い表情を浮かべながら、編み物の作業に戻るイブ。
彼女が作っていた編み物は、まだまだ完成には程遠いようだが、日に日に目的の形状へと近づきつつあるようである。
それからも、馬車の列は淡々と走り続け……。
そして雨雲の向こう側にあるだろう太陽が、ちょうど頭の上を通過するかどうか、といった頃。
目の前を走っていたクラークの馬車が、何もない場所で不意に停車した。
「あー……ついに、エネルギアたちのプレッシャーに負けて、心が折れちゃったのね……」
「いや、多分違うだろ……。旨そうな得物でもいたんじゃないか?」
「……それも多分、無いと思いますよ?」
と、停車するなり、急に引っ込んだクラークの頭のことを思い出しながら、そんな不毛な会話を交わすワルツと狩人。
それからワルツたちの馬車も同じように停車して、そしてしばらく彼の出方を伺っていると……。
およそ2分ほど経過した頃、クラークの馬車から、雨具を纏った御者が降りてきて、ワルツたちの馬車のところへとやって来きた。
そして彼は、ロリコンたちに何かを伝えてから、すぐに自分の馬車へと戻っていったようである。
直接、馬車の中へと声を投げかけなかったところを見ると、一応、彼は、ワルツたちのことを、国の来賓客として捉えているのだろう。
そんな御者が戻っていった後で、言伝を受けたロリコンが、事情の説明を始めた。
「この先にある橋が落ちたんだってよ。だから少し経路を変更するから、後から付いてきてくれ、だとさ」
「へー。まだ橋は見えないはずだけど……よく分かったわね」
と、感心した様子で、呟くワルツ。
彼女の『眼』から見ても、流石に雨の向こう側までは見通せなかったので、余計に驚いてしまったようである。
それからワルツが、オリージャにも無線機のようなものがあるのかもしれない、と考えていると、クラークの馬車が再び走り始めた。
そして馬車はすぐに脇道へと逸れると、少々細い道を進んでいく。
「こんな細い道を走って……脱輪しないかしらね?雨で随分と泥濘んでるみたいだし……」
「まぁ、後ろの騎士たちは、自分たちでどうにか出来るとして……問題はクラークさんの馬車だよな。確かに豪華な馬車ではあるけど、悪路を走るのに適しているとは思えないよな……」
「ですよね……」
ワルツと狩人が、整地された街の中を走るのに特化していそうなクラークの馬車を眺めながら、そんなやり取りをしていると……。
クラークの馬車が、再び停車した。
とはいえ、ワルツたちが懸念していたように、轍で脱輪したわけではないようだが。
「次は何かしら?」
「昼だし……飯の時間か?」
「ご飯の時間?」
「お寿司の時間!」
「う、うっぷ……」
と、狩人の一言を聞いて、嬉しそうに(?)尻尾をブンブンと振り回す、一部の者たち。
しかし、彼女たちの予想は、ここでも外れていたようだ。
それに最初に気づいたのは、馬車の外にいる機動装甲の眼から前を眺めていたワルツであった。
「あー、そういうこと。ここでも橋が落ちていたのね」
そう呟いた彼女の視線から見えていた道の先には、小川に掛かる石造りの橋があって、それがどういうわけか……無残にも壊れていたである。
もう少し追加で説明なら、何か大きな力がかかって、崩落した……そんな様子だった。
雨でも川に流れる水の量は、それほど多くは無かったので、濁流に流された……というわけではないようである。
「さーて、どうしましょうね?」
不可解な理由で落ちてしまっている橋に眼を向けながら、呟くワルツ。
馬車の中にいた者たちからは、クラークの馬車で影になって、崩れた橋の様子を見ることができなかったので、ワルツの言葉を聞いても、これと言って大きな反応は示していなかったようだ。
そんな中。
ワルツが率いてきた者たちの内、およそ2名(?)ほどが、その光景に気づいたようである。
結果、その内の1人……いや、1隻が、ワルツたちの上空までやって来て、こんなことを言い始めた。
『どうやら、お困りのようですね。ここは僕がお手伝いしましょうか?』
そう口にした(?)のは、その船体のどこから声を出しているのか誰にも分からないポテンティアである。
彼には、崩れてしまった橋をどうにかする手段があるようだ。
「そうねぇ……。じゃぁ、任せるわ。できるだけ、大げさにお願いね?」
『大げさ、ですか……はい。分かりました!』
彼はそう口にすると、ちょうど同じタイミングで、前の馬車から傘をさして、申し訳なさそうな表情を浮かべながら、ワルツたちのところへとやって来ようとしていたクラークの頭上を、
ゴゴゴゴゴ……
と低音を響かせながら通過していった。
その気配を感じ取ったクラークが、ピタッ、と歩いている体勢のままで固まり、ギギギギ、と音がなりそうな様子で傘の向こう側を覗き見ようとしていたことについては、もはや言うまでもないだろう。
それからポテンティアは、橋の上空まで移動すると、そのままの速度で……
ドゴォォォォン!!
と轟音を響かせつつ、大きく地面を削りながら、その場へと落下した。
事情を知らなければ、墜落したようにしか見えないことだろう。
しかし、そこは、マイクロマシン集合体のポテンティアである。
地面に落ちた瞬間、彼はまるで液体のようにその形を変えると……数分後には、立派な橋へと形を変えた。
まぁ、元の体積がかなり大きいので、小川に架ける橋にしては、ずいぶんと大規模だったようだが……。
「悪いわねー、ポテンティア!」
『いえいえ。お構いなく。コレもお母様のためを思ってのことですから』
「良い心がけです。それでこそ、我が息子」
「……あんた、ポテンティアに、一体、どんな教育してるのよ……」
「見た通りに、素直に育つよう、愛情を注いでいるだけですが、それが何か?そんなことより、前の邪魔な馬車に、早く進むようにと言ったらどうです?こうしている間も、ポテンティアは橋の形を保ってくれているのですからね。あ、そこにいる醜い肉の塊は、ひと思いに轢殺してかまわないと思いますよ?」
「……なんか……うん……ポテンティア……大丈夫かしら?」
ポテンティアの親役を務めるテンポの言葉が、余りに酷いものだったためか、思わず頭を抱えてしまうワルツ。
とはいえ、それも短い時間のこと。
ワルツが、愕然としているクラークのことを、重力制御で浮かべて、そして彼の馬車の中へと傘ごと放り込むと……クラークの馬車は、それを待っていたかのように、すぐに走り始めたようだ。
それも、馬車が壊れてしまわないか、誰もが心配になるような、猛烈な速度で……。
戻ってきて時間があれば、もう少し修正するのじゃ。
残念なことに、今(昨日)の妾には、そこまでの時間は残されておらんかったのじゃ……。
もう少しストックを用意しておくべきかのう……。




