1.1-05 HelloWorld 5
空に浮かんでいた大きな月は、ワルツの観測通り、夜半前には地平線へと沈み……。
朝が来るまでの短い時間、夜の暗闇が、辺りを支配していた。
そこには、虫の鳴き声と、ルシアの寝息、それに焚き木が時折爆ぜる際に上げるパキッという小さな音が響き渡るだけで……。
ゴブリンたちや略奪者たちがやってくることはなく……。
ただ、静かな時間だけが流れていたようである。
それからしばらく経って、朝が近づいてきて……。
そろそろ空が白ばみ始めるか、といった頃。
ワルツは自身のセンサーに、近づいてくる複数の生体の影を捉えたようである。
「(生体反応300以上、距離はまだあるわね……)」
機械であるために、寝る必要が無かったワルツは、夜の間、ゆっくりとした時間が流れていても、一切気を抜くこと無く、周囲を警戒し続けていたのだ。
それからもワルツがセンサーに意識を向けていると……。
監視していた集団は、村から離れるように移動を始めたようである。
しかし、すべて、というわけではなく……。
集団から別れて、こちらへと向かって真っ直ぐ近づいてくる反応が幾つか見えたようだ。
ちなみに、ワルツたちがいたこの村は、街道沿いにあるわけではなかった。
そのため、旅人たちが偶然通り掛かる可能性は、極めて低かったのである。
あるいは、この村に住んでいた村人たちが戻ってきた、とも考えられなくはなかったが……。
果たして真夜に危険を犯してまで戻ってくる村人など、そういるものだろうか。
とはいえ。
現時点で、その反応が人かどうか、ワルツには判断できなかった。
なにしろ、生体反応センサーは、人も動物も、そしてゴブリンたちも、まったく同じようにして捉えてしまうのである。
ただ、何れにしても、一つだけ言えることがあるだろう。
警戒だけは怠るべきではない、と。
「……ルシア?起きて」ゆさゆさ
あまり大きくない声で、隣で眠っていたルシアを揺すり起こすワルツ。
しかし、ルシアは熟睡しているのか、なかなか目を覚まさず……。
結局、ワルツが、彼女の顔を軽く叩いたところで、ルシアはようやく眼を覚ましたようだ。
「うぅん……?あ、お姉ちゃん……おはようございます」ぽー
「うん、おはよう。ごめんね?こんな朝早くに……」
「…………zzz」
「って……寝ちゃダメだって!」ゆさゆさ
ワルツが再び声を掛けて揺さぶると、今度はしっかりと眼を覚ましたのか……。
ルシアは大きくあくびをして、それから背伸びをすると、こう言った。
「ううん、大丈夫。いつもこのくらいの時間に起きてたから……」ふぁ〜
「そう……(まぁ、この数日間は無理をしてたみたいだし、直ぐに起きれなくても仕方ないわよね……多分)」
と、自身は寝ることが無いために、寝起きの辛さのことを知らなかった様子のワルツ。
そんな彼女は、頭の中で、睡魔というものがどういったものなのかを想像しようとするのだが……。
現状、それどころではないことを思い出して、ルシアに対し、事態を告げる。
「実は、ルシアに言わなきゃならないことがあるのよ。誰かが……村に近づいてきているみたい」
「えっ……」
「まだ少し遠いんだけど……10人くらいはいる感じね。まだ、人間じゃない可能性も捨てきれてはいないんだけど……」
「だ、大丈夫なの?」
この村を滅茶苦茶にした者達のことを思い出したのか、かなり警戒した様子で、納屋の外へと心配そうな視線を向けるルシア。
それを見たワルツは、睡魔のことは分からずとも、ルシアが感じる恐怖のことは想像できたのか……。
ルシアの頭の上に手をおいて、そして彼女の眼をまっすぐに見つめながら、優しげにこう言った。
「えぇ。もちろん大丈夫よ?私がついてるから。でも逃げるのは、ちょっと待ってね?もしも、知り合いが戻ってきたっていうなら、会っておかなきゃいけないと思うから。逆に悪い人たちが戻ってきたり、変な動物たちが近づいてきた、っていうなら……その時は逃げましょうか?実はこう見えても、私、強いのよ?(戦ったこと無いけどね……)」
ワルツがそう言いながら浮かべた微笑みを見て、ルシアはいくらか落ち着きを取り戻したらしく――
「……わかった。お姉ちゃんのこと信じる」
彼女はワルツの腕にしがみつきながら、深く頷いたようである。
◇
そんなやり取りをした後で、納屋から外へと出る2人。
その際、最悪のことを考え、自分たちの居場所を知られないよう、ワルツたちは焚き火を消すことにしたようである。
とはいえ。
近くにある井戸や川から水を汲んできて消火したのではない。
ルシアの水魔法を使って――
ドシャァァァァ!
一瞬である。
「うわっ、真っ暗……」
「(うわっ、すごい威力……)」
焚き火が一瞬で消え去った様子を見て、眼を丸くするワルツ。
だが、それも無理はないことだと言えるだろう。
なにしろ、ルシアの魔法は、焚き火を消火したのではなく、消滅させたのだから……。
まぁ、それはさておいて。
焚き火を消した後の暗闇の中、ルシアは眼が慣れていないのか、ずいぶんと足元がおぼつかない様子だった。
彼女には立派な狐耳と尻尾が付いていたわけだが、どうやら、本物の狐のように、夜目が効く、というわけではなかったようである。
一方……。
来客者たちは、そうではなかったようだ。
「(暗視ゴーグル……じゃなくて、暗視魔法ってやつかしら?)」
生体反応センサーに映る反応が迷わずに真っ直ぐと村に近づいてくる様子を確認しながら、そんなことを考えるワルツ。
その時点で、移動の癖や速度、配置関係などから、動物ではない、と彼女の中で結論が出ていたようである。
つまり、相手は人である、と……。
センサーによると、対象が村に到達するまで、あと200mほど。
未だ薄暗いとは言え、じっと眼を凝らせば、相手のことがどうにか視認できる、そんな距離である。
逆に言えば、相手から見える距離に入った、とも言えるだろう。
「物陰に隠れて様子を見ましょっか?」
「うん……。でも……こんなに暗いのに、お姉ちゃんには見えるの?」
「えぇ、地面なら見えるわよ?流石に、家の向こう側にいて、こっちに近づいて来てる人たちのことまでは見えないけどね?」
ワルツがそんな言葉を口にすると、彼女の手を強く握りしめるルシア。
それは、足元がよく見えず、何度も躓きそうになっていたことだけが原因ではないだろう。
それを知ってか知らずか……。
ワルツは、ルシアが転ばないよう、障害物が少ない方向へと彼女の軽く手を引っ張って。
歩きやすように、と誘導することにしたようである。
もちろんその際、彼女だけに感けるのではなく、自分の機動装甲を瓦礫にぶつけないようにしながら……。
それから2人で物陰に隠れて。
そして、しばらく経った頃。
暗闇の中でも、昼間と同じように周囲の景色が見えていたワルツの視界に入ってきたのは――まるで中世の兵士が着るような、金属で作られた鎧を身に付けた男たちの姿だった
そんな彼らは、村に入った途端、舌を鳴らしながらこんな言葉を口にする。
「なんだ、廃墟じゃねぇか」
「これじゃ、補給もできやしねぇ」
「一週間前に見かけたときには人が住んでいる様子だったんですがね」
「じゃぁ、この一週間で先客が来たんだろ」
「(どう見ても村の関係者、ってわけじゃなさそうね……)」
そんな男たちの様子を見て、即座に判断するワルツ。
結果、彼女は、自身の隣で小さく震えていたルシアに対し、彼女以外に聞こえないような小さな声で囁いた。
「(じゃぁ……逃げよっか?)」
「っ?!」
そんなワルツの言葉を聞いて、思わず後退ってしまうルシア。
その際、彼女は、運が悪いことに、彼女は真後ろにあった鍬にぶつかって――
カターン!
と勢い良く倒してしまう。
「…………?!誰だ?!」
「(まぁ、パターンよね……)」
結果、ワルツは、迷うこと無く、ルシアの手を掴んで走り始めた。
ただし、常軌を逸した速度ではなく、ルシアのことを考えながらゆっくりと……。
「ガキが二人逃げてくぞ!」
「逃がすな!追え!」
「ひっ……?!」
後ろから聞こえてくる男たちの声を聞いて、ルシアは必死なって足を動かした。
ここで捕まってしまったら何をされるか分からない。
奴隷になるか、殺されるか、あるいはそれ以外の酷い目に遭うか……。
ルシアの脳裏ではそんな考えばかりが浮かび上がり、恐怖という真っ黒な感情が、彼女の頭の中を一色に染め上げた。
怖くなり、どうしようもなくなり、ルシアは縋るように、ワルツの手を強く握りしめ……。
そして自身に向かって”大丈夫”と言ってくれた彼女の顔を、激しく揺れる視界の中、どうにか見上げようとした。
その頃には、辺りの空も徐々に明るくなってきていて、周りの景色も少しずつ見え始めていたようである。
そこに浮かんでいた、ルシアが唯一頼れる年上の少女の顔には……。
恐怖でも、怒りでも、焦燥感でもなく――どういうわけか、笑みが浮かんでいたようだ。
例えるなら、まるで鬼ごっこを楽しむ、無邪気な子供のような笑みを……。