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8.0-12 国産飛行艇12

聞き捨てならないセリフを残していったリサのことを、アトラスがどうにか追いかけようと、床のパネルとパネルの隙間にカリカリと爪を立てていた頃……。


「…………ふぅ」


騒がしい食堂無いとは裏腹に、静寂に包まれていた王城の図書館には、今日も真紅のローブに身を包んだ賢者の姿あった。

そんな彼の目的は、言うまでもなく読書である。


彼は、本を読んでいる間、ずっと同じ姿勢を保っていたためか、痛みが走り始めていた腰を解すように背筋を伸ばすと、高い天井近くまで壁のようにそびえ立っていた本棚の列に眼を向けながら、おもむろに呟いた。


「ふむ……。読んでも読んでも終わらない大量の本……。幸せだ……」


そして人知れず、ニンマリと笑みを浮かべる賢者。

勇者と剣士のおまけのように、この王城までやってきた賢者だったが、一番幸せだったのは、もしかすると彼なのかもしれない。


「しかし、どうしてだ?この王城の図書館は、随分と錬金術の話が多いような気がする……。いや、工学と言ったか?」


一人でいると、どうしても独り言が増えてしまうためか、誰に向けるでもなく賢者は呟いた。


そんな彼のつぶやきに対して、誰からか返答が戻ってくることはなかったが、その代わりと言うべきか……彼の気分を害してしまう存在がその場へと現れたようだ。


カサカサカサ……


「……!」


ドンッ!


黒い影が足元を横切った瞬間、迷うこと無くその足を振り下ろす賢者。

彼の大切な本が大量にある図書館の中に、紙を食べてしまうかもしれない虫がいる……。

彼にとって、虫を駆除する理由は、それだけで十分だったのだ。


だが、それで、その黒光りする虫を退治できたわけではなかったようである。


カサカサカサ!


「なん……?!」


賢者は踏みつけた瞬間に嫌な感覚が伝わってこないよう、足に全体重を込めたはずなのだが、何故かそれで駆除できなかったのだ。


一方、生き延びることが出来たその虫は、賢者から少し離れた場所で、


カサカサカサ……


動いたり止まったりを繰り返しながら、移動していたようだ。

その様子を例えるなら、まるで水中にいる魚を釣り上げるための囮のエサのよう……、と言えるだろうか。


「私を誘っているのか?……ふっ、舐められたものだ」


賢者はそう呟くと、手に持っていた本を、長い木製の机の上にそっと置いて……黒光りする虫へと向き直った。

そして彼は魔法の呪文を唱えたのである。


「……ダウンクロック」


その瞬間、まるで時間が遅くなったかのように、その虫の動きは緩慢になった。

賢者の魔法は、時間を歪めてしまうほどに強力なものではないなずなので、おそらく彼は、虫の周囲の空気を重くしたか、あるいは筋力強化の逆の要領で、虫の活動を鈍らせたのだろう。


その結果、すばしっこかった虫へと容易に近づくことが出来た賢者は……


「……こういう時、何か決め台詞があったような気がするんだが……まぁいい。……恨むなよ?虫」


そう口にしてから、


ドゴォォォォン!


周囲に響くような大きな音を上げながら、その黒光りする虫を再度、踏み潰したのである。

その結果、何かを達成したような表情を浮かべた賢者は、読書に戻るためにその足を上げようとするのだが……


カサカサカサ……


「?!」


またしても、まるで何もなかったかのように、黒い虫は賢者の足の裏から逃げおおせたのだ。

どう考えても、それはありえないことのはずだが……賢者は『賢者』だったためか、その事実をすぐに受け入れること無く、頭を回転させて、ある結論にたどり着く。


「……そうか。靴底の溝の部分にうまくハマったのか……。次は逃さん!」


それからも、


ドゴォォォォン……

カサカサカサ……

ドゴォォォォン……

カサカサカサ……


と響く、賢者の大きな足音と、虫が這いずり回る際に生じる移動音。

その場に他の来客は誰もいなかったが、流石に図書館を管理する司書はいて、彼女は困惑したような表情を浮かべていたものの、しかし騒がしかった賢者のことを注意をしなかったのは……余程、彼の表情が鬼気迫るものだったからだろうか。


「ぜぇはぁぜぇはぁ……お、おかしい……」


たっぷり10回ほど魔法を放っては踏み潰す、というサイクルを経た後で、ようやく異変に気づく賢者。

それから彼は、一息つくと、再び冷静に考えることにしたようだ。


「(あの虫……さては、魔法生物(ゴーレム)か?!ならっ……!)」


そして賢者は、今度は前回とは異なる魔法の詠唱を始めた。


「……マギディフュージョン!」


彼は、対象の魔力を一時的に不活性化する魔法を唱えてから……


「……ダウンクロック!」


再度、速度低下の魔法を唱えたのである。


だが、その魔法を受けたはずの黒い昆虫は、今回は何故か、魔法の効果をまるで受けていないかのように……むしろ活発に動き始めたようだ。

どうやら、黒い虫の方は、一辺倒な賢者の行動に飽きてきたらしい。


カサカサカサ!


「……?!どうなってる?!」


その様子に賢者は思わず驚愕の表情を浮かべてしまった。


……しかしその表情は、間もなくして、別の意味を持つことになる。


カサカサカサ!!


今までは賢者から一定の距離で誘うように動き回っていた虫が、


カサカサカサ!!!


彼に向かって急に突進してきたのだ。


「うおっ?!」


その様子を見て、思わず反対方向へと走り出す賢者。

おそらく彼は、親指サイズにも満たないその黒い昆虫1匹に、まさか追い回されることになるとは、思っても見なかったことだろう。


なお、その慌てふためく賢者が見せていた行動の一部始終を見ていた司書が、知人のアトラス経由で、衛兵……ではなく、カタリナを呼ぼうかどうかを本気で悩んでいたようだが……彼女が何故、そうしようと考えていたのかについては、言うまでもないだろう。


そんな司書の視線には気づかず、必死になって、机の上に飛び乗る賢者。

それから彼は、足元まで迫っていた昆虫を目の当たりにして、絶望的な表情を浮かべながら、必死に対策を考えた。


「ど、どうしてこんなことに……じゃなくて、ここはどうやって逃げるかを考えるべきだ……」


そして賢者が、最終手段として、天使化して飛んで逃げようか……と考えたときだった。


ブゥゥゥゥン……


逆に昆虫の方が地面を飛び立ち……


ピタッ


「…………」


賢者の胸に飛びついて、そして……


カサカサカサ!

カサカサカサ!!

カサカサカサ!!!


「うおぉぉぉぁぁぁぁぁ!!!?」


彼の身体の上を、ただひたすらに動き回ったのである。

あたかも、その動きが、賢者の心を効果的にダメージを与える方法であることを、知っているかのように……。


「うあぁぁぁぁぁ?!」


そして、体の表面から虫を取ろうとした賢者は、いま立っている場所がどこなのかを忘れ、机の角から足を踏み外し……


ゴツン!


そして転んだ拍子に、大好きな本の角に頭をぶつけて……


「…………」ちーん


昏倒してしまったようだ。


カサカサカサ……


その様子を見て、彼の身体から離れる昆虫。


それから昆虫は、狂ったかように一人芝居をしていたように見える賢者のことを遠目から伺っていた司書が、館内電話で何処かへと連絡をしている姿を見届けてから……賢者が机の上に置いた本の方へと、進んでいったようである。


その際、どこからともなく、


『人のことをいきなり踏み潰すとは……賢者とはこの程度の人なのでしょうか?まったく困ったものです……。図書館では静かにしてもらいたいものです』ぷんぷん


と少年が激怒しているような声が聞こえてきて……。

そして本に近づいた虫が、本の中へと入り込むように形を変えて姿を消したのだが……そのことに気づいた人間は、図書館の司書や、後にその場に現れたカタリナを含め、誰もいなかったようだ。

ポテンティアの趣味は、実は読書だったりするのじゃ?

本の虫……まさにその言葉通りかも知れぬのう。

まぁ、虫ではなくてマイクロマシンなのじゃがの。


さて、あと1話だけ寄り道してから、本題へと進もうと思うのじゃ。

次の1話が、どうしても必要じゃと、さっきチョコレートを齧っておって思ったのじゃ。

……大きな話の前には、かならず儀式が必要じゃからのう……。


まぁ、そんなことはいいのじゃ。

1〜2週間もすれば、明らかになる話じゃからの。

あまり期待できる良い話ではないのじゃが……余計なことは言わずに、乞うご期待と言っておこうかのう。

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