7.7-08 黒い影8
あ、頭が飽和したのじゃ……。
それほど寒くはない、冬の晴れ渡った空の下。
王都の外側にある南街道に立ち並ぶ、一辺が200m程度のサイコロ状の人工鉱山『モノリス』。
その内、まだ開発が進んでいない、完全な立方体の形状を残していたモノリスの上での話である。
そこにはレジャーシートのようなものが敷かれ、その上には、両手のサイズよりも少し大きいくらいの、薄い木で作られていた空箱(×10)が置いてあった。
誰かがピクニックにやって来て、ちょうど昼食(?)を食べ終わった……そんな様子だ。
だが、そこには、満腹状態の者の姿はおらず、その代わりに……
「許さない……。絶対に……許さない……!」ゆらり
蜃気楼の中に佇むように、その輪郭を歪ませながら、両手から白煙を上げていたルシアの姿があったようである……。
どうやら彼女は、空っぽの箱の中身を見て、激怒していたようだが……その様子から推測すると、本来ならその箱の中には、彼女にとって、とても大切なものが入っていなくてはならなかったようだ。
……言うまでもなく稲荷寿司である。
なお。
そこには、激怒する彼女以外にも、一緒にやってきた人物がいたようだ。
「ルシアちゃん、荒れてますね……」
そう口にしたのは、情報局の中堅メンバーで、そしてブレーズの妹でもある、カラスのように黒い翼が特徴のシルビアである。
彼女は、異様な気配を放つルシアを見て、そんな感想を口にしたわけだが、その言葉が向けられていた先はルシア本人……というわけではなかった。
「(ダメよ!後輩ちゃん!死にたくなかったら、今はそーっとしておいたほうがいいと思うわ!)」
シルビアの上司であり、情報局のトップである、サキュバスのユリアも一緒だったようである。
つまり……彼女たち2人がいるということは……
「大好きなお寿司が急になくなっちゃったんですから、仕方がないですよ。私だって、目の前から食べ物が無くなったら、それはもう激怒するはずです。きっと、手当たり次第に刺しまくりですよ」
……一向に精神治療の効果が見られない、同じくサキュバスのリサもそこにいたようだ。
「えっと……新入りちゃん?一体、何を刺すのかしら?」
「え?それはもちろん、人体から豆腐まで、なんでも刺しますよ?……というわけで、早速、誰かを刺してきていいですか?」ゴゴゴゴ
そう言って、遅い昼食として摂るはずだった鳥串……の串の部分だけを握りしめながら、プルプルと震え始めるリサ。
彼女のその見た目は、普段とあまり変化は無いものの、表に出していないだけで、心の中では激怒していたようである。
……むしろ、激怒ではなく、何でもいいから刺したくて、ウズウズしていた、と言うべきか……。
「はぁ……ダメよ?ワルツ様に言われたでしょ?刺していいのは、それ相応に悪事を働いている者か、正当防衛の時だけだ、って……」
リサの過激な発言と行動が、いつも通りのことだったためか……軽く手を振ってあしらうユリア。
そんな先輩サキュバスから、言葉で釘を刺されたリサは、何処かがっかりしたような表情を見せると……魔法のバッグの中から、稲荷寿司屋の横にあった屋台から買ってきた豆腐を取り出し……
グサッ……
と先程の自身の言葉通りに、そこへと串を突き刺して……
「……うん。いつも通り美味しいです。癖になる味ですね」もぐもぐ
……そして、普通に食べ始めた。
恐らく、単に刺すだけで捨てるというのは、食べ物に失礼、とでも思ったのだろう。
あるいは……食べようとしていた昼食が、突如として、彼女たちの目の前で虚空へと消えてしまったので、空腹だったことも関係しているのかもしれない。
……そんなわけで、そこにいた4人の昼食も、どこかの犬娘や狐娘と同じように、黒光りする怪しげな物体によって横取りされてしまっていた。
特に、稲荷寿司と共に生きることが人生そのものであるようなルシアにとっては、耐え難く屈辱的な出来事だったようで、我慢ならなかったようである。
それを、現代世界のシチュエーションに当てはめるなら……カップ焼きそばのお湯を切ろうとしたら、容器の中から麺が出て、シンクの中に落ちてしまうことと同じくらいに、精神的に大ダメージを受けた、と言えるかもしれない。
それがもしも、自分の大好物だったなら……一体どれだけのダメージを受けてしまうのだろう。
恐らく、言葉で説明することが不可能なほどに、大きなショックを受けたに違いない……。
「消し飛べ!黒いやつ!」
ドゴォォォォン!!
自身が作り出したモノリスの上に、今なおその姿を見せていた黒い物体に対して、容赦なく魔力粒子ビームを当てようとするルシア。
しかし、すばしっこく移動する黒い物体には、彼女の攻撃が当たることはなく……そればかりか、滑らかなモノリスの表面で反射したそのビームは、何処か遠くの山の方へと消えて……そして、衝突した瞬間に眩い閃光を放っていたようだ。
しかも、どうやらルシアは、それに気付いていないらしい……。
ただし、山が消えたことに気づかなかったのは、当事者である彼女だけであって……他の3人には無視できない光景だったようである。
「……これ、大丈夫ですかね?」
「じゃあ、逆に聞くけど……私が大丈夫って言ったとするじゃない?それでも後輩ちゃんは……大丈夫だと確信できる?」
「もう……ダメかもしれませんね」
「羨ましいですね……。私もあんな風に、強力な魔法が使えたら……毎日ワルツ様のことを刺しに行くのに……」
『…………』
それからも、ルシアが魔力を暴発させている様子を、レジャーシートの上に座りながら……映画でも見るかのように、ゆっくりと眺める様子の情報局の3人組。
もしも、下手に介入したなら、消し炭すら残らない結果になることが分かっていた彼女たちは……とりあえずルシアが落ち着くまでの間、お茶を飲みながら、ゆっくりと待つことにしたようだ。
……とそんな時である。
「ちょっ!何やってんのよ!ルシア!」
見るに見かねたワルツが、工房から文字通り飛んできたのである。
すると、その姿を見たルシアは……
「……うぅ……お゛ね゛え゛ぢゃぁぁぁん!!」
ポスッ……
と、涙と鼻水で酷いことになっていた顔から、姉の胸の中へと飛び込んでいった。
それから……泣き言を口にする。
「なんか黒いやつに、お寿司を全部取られたぁぁぁ!!うわぁぁぁぁん!!」
「やっぱり……貴女もだったのね……」
「……ふえっ?」ぐすっ
「いやね?イブとコルテックスが言ってたのよ。町の中に黒い虫が出て、飲食店街の人たちがみんな激怒してる、って。……あれ?激怒してるのは、コルテックスだけだったっけ?ま、いっか」
そう口にしてから、泣きつくルシアの頭に手をおいて、なぐさめるようにゆっくりと撫で始めたワルツ。
その様子を見て……眼を血走らせながら竹串を握りしめ、小刻みに震えていたリサが、他の2人に拘束されていたようだが……まぁ、気のせいだろう。
「やっぱりアレって……虫なの?」ぐすっ
「あのねぇ……すごく言いにくいんだけど……虫ではないらしいわね」
「……え?」
「なんか……私が作ったマイクロマシンの集合体みたい……」
「……え??」
「だからさー……もしかすると、ルシアの稲荷寿司を取っちゃったのって……実は私が原因かもしれないのよ……」
「えっ……う、うん……。そうなんだ……」
好きな食べ物を奪われたことは腹立たしいが、その原因が姉であると聞いて……そのやるせなさをどこに向けていいのか分からなくなってしまった様子のルシア。
怒りを姉にぶつけたいが、稲荷寿司を大量に買えるのは姉のお陰で、しかし、稲荷ずしを奪ったのも姉で……。
そんな無限ループが、彼女の中で発生して……結局、稲荷寿司が消えた事による彼女の怒りは、いつの間にかどこかへと消え去ってしまったようだ。
それから少し経って、ルシアが落ち着いた頃。
「でも、困ったわね……。マイクロマシンを作ってからというもの、ずっと不可解なことが起ってるのよ……」
ワルツは妹のせいでベトベトになっていた胸元を、超重力でキレイにしながら、おもむろにそう口にした。
すると、当然のごとく、ルシアはその理由を問いかける。
「不可解?何かあったの?」
「うん……。マイクロマシンが勝手に動き出したり、テンポに絡まれたり……」
「テンポが絡んでくるのは、いつものことじゃないの?」
「いや、それがさ?テンポったら、いつの間にかメイドとして王城に紛れ込んでいたヌルと結託して、紅玉とかいう一部の者にしか見えない地縛霊みたいなのが、工房に漂ってる、とか訳わかんないこと言い始めたのよ……」
「自爆霊?爆発する霊なの?(ふーん……ユキちゃんのお姉ちゃん、いつの間にかこの国に来てたんだ。向こうの国……大丈夫かなぁ?)」
「……ううん。爆発はしないわよ?業界用語(?)だから気にしないで?……ま、そんなわけで、マイクロマシンが暴走する背景には、その霊とかいう非科学的なものが関係してるんじゃないか、って2人揃って言ってるのよ」
「非科学的……かぁ……」
姉の近くにいるために、科学について断片的な理解のあったルシアにとっては、科学的、あるいは非科学的、という姉の言葉が理解できなかったようである。
科学と魔法の両方を扱う彼女にとっては、その双方を隔てる明確な線を引くことができなかったのだろう。
なお、これは余談だが……それはワルツにとっても同じことが言えたようである。
彼女がマイクロマシンの製造に、オリハルコン-チタン合金を使っているところからも、それは明らかだろう。
故にこの場合におけるワルツの『非科学的』という言葉がその対象としたのは、『霊』という存在について限定したものだった。
科学でも……そして魔術でも、記述できない、どちらにも属さない存在……。
だが、ルシアに、そんな姉の言葉の意図が伝わるわけもなく……。
彼女は、それが原因で、本来なら分けなくてもいい科学と科学の関係を考えて、混乱してしまったようだ。
まぁ、それはさておいて。
サウスフォートレス以南の地域で繁殖するマギマウスの対処のために、マイクロマシンの大量生産を進めたいワルツだったが、町の中に逃げ出してしまった……あるいは、これから作り続けても、結局逃げてしまうマイクロマシンをどうにかしなければ、マギマウスへの対処はおろか、そのうち、王都の方が先にどうにかなってしまう、とようやく思い至ったようである。
故に彼女は、対策を考えるのだが……
(……どうしようかしらね?)
……正直なところ、プログラムすらしていないマイクロマシンが勝手に動き出す問題については、完全にお手上げ状態のようであった。
それから彼女は、腕を組んで、首を傾げて、頭を抱えて……と、一人芝居のように、様々な姿勢で頭を悩ませる。
そして、彼女が考え込んでから、3分ほど経過した……そんな時のことであった。
必死な形相のユリアとシルビアに取り押さえられていた新入り情報局員が、おもむろにこんな言葉を口にしたのだ。
「……あれ?何か……地面が小さくなってきてません?」
「もう……逃げ出してワルツ様を刺したいからって、そんな適当なことを言って…………え?」
「いい加減、落ち着いてよ……。もう、体力の限界で…………あ」
リサの言葉を聞いてから……それぞれに固まるユリアとシルビア。
頭を悩ませていたワルツたちは、その変化に気付いていないようだったが、情報局員たちの目の前には……
サーッ……
と、まるで砂で作った山が崩れるようにして、急激に小さくなっていく、モノリスの天面部分の姿が映っていたようである。
その原因には……どうやら、逃げ出したマイクロマシンたちが関係しているようだ……。
Inari Sushi is her life...
……ハリウッドスターに言わせてみたい、英語的に意味の成立しない、和製英語なのじゃ。
日本の中におる狐たちがウハウハになる一言なのじゃ?
……妾はならぬがの?
どうして、意味が通じぬのかは、言葉が通じぬ以上、その深い意味を知る由は無いのじゃが……まぁ、そういうものなのじゃろう。
その割に、『She loves Inari Sushi.』は通じるんじゃがの?
意訳は殆ど同じはずなのに、片方は通じぬとか……意味が分からぬのじゃ……。
まぁ、そんなどうでもよいことは置いておいて。
……今日はもう無理なのじゃ。
台風の影響もあるのじゃが、それに輪をかけて今日は忙しかった上、文を書いておって途中で燃え尽きた、という問題もあって、体力的に限界を迎えてしまったのじゃ。
それに……夕食の炭水化物……。
……もう……夕食は食べぬ生活にしようかのう……。




