7.7-02 黒い影2
疲れておる故、微妙かもしれぬ……。
「……疲労と寝不足だってさ……」
診察室に入った時よりも……何故か、さらにゲッソリとしていたイブが、部屋から出てくるや否や、外で待っていたテレサとコルテックスに対して、どこか投げやりな様子でそう口にした。
どうやら診察室の中で、彼女は納得出来ないことに遭遇したらしい……。
だが、そんな彼女のことを、2人は安心した表情で受け入れたようである。
人によっては『単なる寝不足』だと聞けば、体調管理ができていない、と憤慨してしまう者もいるかもしれないが……イブに対する接し方について後悔していたテレサとコルテックスが、怒るようなことは無かった。
そもそもこの場合、まだ8歳児でしかないイブが、寝不足になるような状況を作り出している大人(?)の方に責任がある、と言っても過言ではないのだから、むしろ、怒るほうがどうかしていると言えるだろう。
故に……イブをメイドとして扱っていたコルテックスは、今日のスケジュールを全てキャンセルして、彼女のリフレッシュに付き合うことにしたようである。
逆にテレサの方は、コルテックスが休む以上、彼女も同時に休むわけにはいかなかったので、今日一日は、一人で議長を務めなくてはならなくなったようだ。
ともあれ、そのことに対してテレサは文句を言うこと無く……むしろ、張り詰めていたものを吐き出すように胸を撫で下ろすと、その口を開いた。
「そうじゃったか……。それは良かったのじゃ。ルシア嬢のように不治の病(?)にかかって、運悪くぽっくりと逝ってしまうかと思ったのじゃ」
「……えっ?」
「いやの?まだ妾とルシア嬢が出会う前に、そういったことがあった、という話をカタリナ殿に聞いたことがあったのじゃ。その際は、ワルツの知識を借りたカタリナ殿が、頑張ってどうにかした、と言う話じゃったが……まさか、主も、同じような病を患ってしまったのでは、と心配しておったのじゃ。じゃが……単なる疲労ということなら、まずはひと安心なのじゃ?今日はコルと一緒に、りふれっしゅしてくるがよい。では、コルよ。あとのことは任せたのじゃ?」
「分かりました〜。今回の埋め合わせは、いずれまとめて、ということでよろしいですよね〜?」
「うむ。あとでまとめて有給休暇をとらせてもらうのじゃ?……では、妾は、持ち場に戻らせてもらうとするかのう……」
テレサはそう口にすると、3本の尻尾を振りながら、エレベーターホールの方へと歩いて行った。
恐らくは、持ち場……すなわち、議長室へと戻っていったのだろう。
というわけで。
テレサがその場から立ち去り、イブと2人だけになったところで、コルテックスは彼女に対して問いかけた。
「では、イブちゃん?何処か行きたい場所や、食べたいもの、あるいは欲しいものはありますか〜?今なら議長権限で、何でもありですよ〜?」
その問いかけは……イブにとって意外な発言だった。
普段から横暴なコルテックスなので、テレサがいなくなった後、とんでもないことを言い出すのではないか……とイブは心配していたのである。
だが、どうやらコルテックスは、イブのことをどこかへと無理矢理に連れ回そうとするのではなく、本当に彼女のリフレッシュに付き合うことにしたらしい。
そんな問いかけに対して、寝不足のイブは、迷わず『寝たいかも……』と答えたかったようだが……そう口にすると、せっかく自分のために時間を取ってくれたコルテックスに対して申し訳ないと思ったらしく、彼女の提案を断るようなことはしなかった。
無下にコルテックスの提案を断ると、後が怖い、と思っていた可能性も否定はできないが……それよりも何よりも、彼女の発言に含まれていた魅力的な言葉に惹かれたようである。
「(ぎ、議長権限で何でもあり……?…………なら!)
……そしてイブは、その内に秘めた欲望(?)を、コルテックスに対してぶつけることにしたようだ。
「じゃ、じゃぁ……美味しいおせんべいが食べたいかも!」
「お煎餅……ですか〜?」
「うん。昨日さー、ワルツ様方と一緒にサウスフォートレスに行って来たんだけど、街全体が魔物に襲われてて、どの店も開いて無くて……。せっかく、美味しそうなおせんべい屋さんを見つけたんだけど、やってなかったんだよねー」
「あ〜……そういうことですか〜。ルシアちゃんが禁断症状を起こして、朝から行きつけのお寿司屋さんに大量の稲荷ずしを発注してたのは〜」
「……毎日、お寿司ばっかり食べて、大丈夫かな?ルシアちゃん……」
普段から特に何もなくても、黄金色に輝く稲荷寿司ばかりを口にしてるルシアの身体のことを慮って、心配そうな表情を見せるイブ。
先ほどテレサから、ルシアが不治の病(?)を患ったことがある、という話を聞いたばかりだったこともあって、余計に心配になってしまったようだ。
なお、ルシア曰く、『稲荷寿司は完全栄養食品!』らしいので、特に問題は無いのだという……。
まぁ、それはさておいて。
イブたっての願い『美味しい煎餅が食べたい』を叶えるために、頭を悩ませ始めたコルテックス。
そして、悩み始めてから、およそ0.1秒間ほどした後で……彼女はイブに対して、その結論を口にし始めた。
「では、王都のお煎餅屋さんに、オーダーメイドのお煎餅を作ってもらいに行きましょうか〜?」
「えっ……そんなこと出来るの?!」
王都の煎餅屋……すなわち、自身が週に1度ほど通っている、王都に一軒しかない煎餅屋のことを思い浮かべながら聞き返すイブ。
どうやら彼女の眼からは、煎餅屋の主人が、堅物で話しかけにくい人物に見えていたようで、まさか好きな味の煎餅を作ってもらえる機会がやってくるとは、思っていなかったらしい。
「それはもちろんですよ〜?私をいったい誰だと思っているのですか〜?この国の影と表を牛耳っているコルテックス様ですよ〜?」
「えっ……う、うん……。そうかもだね……」
自ら、この国の支配者……それも暴君に近い存在であることを公言するコルテックスから……どいうわけか、ゆっくりと眼を背けてしまうイブ。
何となく、嫌な予感がする……。
その感覚が、再び浮かび上がってきたようだ……。
そんなわけで。
王都の煎餅屋に行くために、王城の高層階に位置するカタリナの診察室から、エレベーターに乗って地上階まで戻ってきたイブとコルテックス。
そんなエレベーターが繋がっていたのは……六角形をした王城の中心部に位置する第七区画であった。
王城の上に位置しているワルツたちの工房から、徒歩で施設の外に出るためには、一旦、第七区画を通らなくてはならなかったのである。
故に、彼女たちは……何やら巨大なブロックのようなものを、幾つかの場所に分かれて作っている、その大空間へとやって来たのだ。
そして、イブがその足をエレベーターから外へと踏み出した瞬間のことである
じーっ……
彼女に向かって、何やら怪しげな視線が飛んできたようだ……。
「…………?」
どこから飛んで来たのかも分からない視線を感じて、立ち止まって眉を顰めるイブ。
だが、彼女がどんなに辺りを見回しても、焦げたような色をした大きなブロックと、それを組み立てたり、そこに何やら装置のようなものを設置したりしている人々の姿以外に、特に変わったものは無かったようである。
もちろん、人々の中に、イブたちの方へと視線を向けている者はいなかった。
「なんだろ……。誰かに見られてるような気がするかもなんだけど……」
「どうしたのですか〜?」
「なんか、最近、幻聴を聞いたり、変な視線を感じたり……身体の調子がおかしいかもなんだよね……」
「それはやはり……つかれているから、なのではないでしょうか〜?」にっこり
「やっぱりそのせいかな……」
コルテックスが口にしたその言葉に、幾つかの意味が含まれていたことに気づかず、単に『疲れた』という意味合いだけを捉えた様子のイブ。
それから彼女たちは、そこで作業をしていた仲間たちや、王城の職員たちと挨拶を交わして……。
そして、異世界には似つかわしくない、薄く伸びた巨大な鋼板や、銀色の花弁のような部品が組み建てられていた場所を通過し、その向こう側にあった正門がある第1区画から外の町へと歩いていくのであった。
……なお、その場を通過する際、イブが感じていた妙な視線と、数日前から彼女が聞いていた幻聴は……実は疲労などではなく、複雑な要因が重なって生じた現象だった。
だが、その原因を彼女が知ることになるのは……もうしばらく先の話である……。
妾も疲労困ぱいで一杯一杯なのじゃ……。
日々の生活のバランスについて見なおしておる最中ゆえ、試行錯誤のせいで、色々と大変なのじゃ。
変な性癖を持っていない限り、QoLは高くて困るものではないからのう?
というわけで、今日も思考に限界を迎えおって、特に補足することはない故、あとがきは省略させていただくのじゃ?
明日も朝が早い、ということもあるんじゃがの?
でもまぁ、これだけは書いておきたいのじゃ。
……稲荷寿司の摂り過ぎによるカロリー過多にはご注意下さいなのじゃ?
……中身のお米は炭水化物の塊ゆえ、摂り過ぎるとブクブクな狐になってしまうのじゃ〜?
……まぁ、それを除けば、完全栄養食品に近い食べ物ではあるんじゃがの?
……毎日食べようとは思わぬが……。




