6後後後-22 ついの迷宮6
放物線を描いて飛んできた迷宮の腕(?)は、王城のテラスの手すりにぶつかって、纏っていた『迷宮そのものの性質』を内包したような液体を、衝撃と共に周囲へと飛散させた。
この『迷宮そのものの性質』とは、以前にも述べたように、迷宮の体内に取り込んだ魔物や人間などを弱らせた後で養分として吸収する、というものである。
あるいは、迷宮の食欲を具現化した液体、とも言えるだろうか。
実際に吸収されてみなければ分からないが、もしも誤って液体に触れるようなことがあれば・・・おそらく触れた者は、そのまま迷宮の栄養として本体へと送られてしまうことだろう。
そんな液体を周囲にばら撒きながら移動してきた迷宮は・・・・・・何か特別な理由があって、ところかまわず食事せざるを得ない状況にあったに違いない。
なぜなら、単に食事をしたいだけなら、口を開けて待っているだけで、勝手に獲物の方からわざわざ入り込んできてくれるのだから・・・。
つまり、ここでの最も大きな疑問点は・・・どうして迷宮がわざわざ自ら動いて、周囲に消化液(?)をばらまく必要があったのか、ということだろうか。
「・・・・・・解せませんね・・・」
自身を避けるようにして流れる液体の向こう側に視線を向けながら、一人、状況を整理していたカタリナは小さく呟いた。
そう。
彼女は、液体に飲み込まれたわけではなかったのである。
そもそも、食作用が強いはずの迷宮の核の中心部へと、生身で足を進められるほどに強固な結界魔法を行使できるカタリナにとっては、触れなければ命を奪うことが出来ない液体など、危険物の内にも入らなかったようだ。
要するに、当たらなければなんとやら、というやつである。
そんなカタリナの目の前では、迷宮の行動理由の他にも、彼女にとって理解できないことが生じていた。
・・・液体が彼女に当たる前に、まるで見えない壁があるかのように彼女のことを避けて、決して近づこうとしなかったのである。
確かに彼女は、今もなお結界魔法を行使し続けていたが、それは身体の表面部分に限られたものだったので、壁に当たったように液体が避けることは、物理的にも魔法的にも理解できない状況だった。
彼女の周囲を流れる液体が、迷宮の身体の一部と考えるなら・・・どうやら迷宮側には、カタリナを排除する意思は無いということらしい・・・。
「・・・何か私に用事でもあるのでしょうか?」
そう言ってから、今も流れながら割れ続ける液体の中を、上流に向かって歩き始めるカタリナ。
すると液体の方も、彼女のことを避け続け・・・・・・遂には、テラスの手すりを破壊しながら乗っていた迷宮の腕まで、彼女の接近を許したのである。
「どう見ても手ですね・・・」
両手で何かを包み込むような仕草を見せている迷宮の手のひらに対して、カタリナはそんな感想を漏らした。
爪のようなものがあって、関節のようなものがあって、皮膚にシワがあって・・・。
流石に色と大きさは人のものとは大きく異なっていたが、カタリナの目の前にあった肉塊は、紛れも無く、線の細い、人間の女性の手であった。
「・・・・・・」
それからカタリナは、まるで蝶でも捕まえているかのように閉じられている迷宮の手を注意深く観察し始めた。
いや、むしろ、より警戒を強めたというべきか。
より具体的に言うなら、最悪、突然掴まれるようなことがあっても、すぐに逃げられるように、アポトーシスの回復魔法をいつでも行使できる状態にしながら、迷宮の手へと近づいたのである。
そして、あと2mほど、といった距離まで近づいたところで・・・
ガバッ・・・
・・・ゆっくりと、迷宮の手が開き始める。
「・・・・・・っ」
その様子に緊張の度を最大限まで上げるカタリナだったが・・・・・・しかし、迷宮の巨大な手が彼女に何かをしてくるようなことは無かった。
だが、何も起こらなかった、というわけでもなく、開かれた迷宮の手の中に・・・
「・・・・・・トレジャーボックス?」
・・・1つだけ宝箱が握られていた様子が、カタリナの眼に飛び込んできたのである。
彼女からすれば、それは決して小さな箱ではなかったが、巨大な迷宮の手の大きさと比較するなら、指輪の入った化粧箱、といったところだろうか。
「・・・・・・もしもここが迷宮の中だとするなら、分かりやすい罠ですね。いえ、外でもそれは同じことでしょうか・・・」
そこから一歩も足を進めることなく、そんな推測を口にするカタリナ。
状況から察するに、どう考えても普通の宝箱ではないことは明らかだった。
それからカタリナは、まるで『持っていけ』と言わんばかりの様子で置かれていたトレジャーボックスと、それが乗っていた巨大な手の様子を十分に観察した後、流れる液体の一部を小瓶の中に回収して何かを調べてから・・・・・・何事もなかったかのようにそこから立ち去ろうとした。
すると・・・
ズズズズズ・・・
トレジャーボックスを中心に巨大な手が左右に変形して、横からカタリナの後ろ側へと伸び、彼女の退路を塞ぐように動き始めたのである。
「・・・・・・あくまでも、持って行けというのですか?」
退路を塞いだとはいえ、それでも自身に何かをしてくるといった様子の無かった迷宮に対して、小さく問いかけるカタリナ。
そんな彼女の言葉に対して、迷宮からは声での返答は無かったが、代わりに、奇妙な現象が起こり始めた。
・・・人と同じくらいの大きさの腕が、大きな手のひらの真ん中辺りから伸びると、トレジャーボックスを抱え込むようにして持ち上げ、わざわざカタリナの方へと差し出してきたのである。
果たして自身の言葉が通じているかどうか、カタリナには分からなかったが、彼女は自分の声が通じていると確信して、口を開いた。
「・・・ワルツさんのいた世界では、こんな言葉があるそうです。『ただより高いものはない』、と。タダで何かを貰ったはずなのに、結果として考えてみると、いつの間にか随分と高額な出費になっている・・・そんな状況を説明する言葉です。一体、そのトレジャーボックスの中身が何なのか、私には・・・・・・分かりかねますが、それをいただくことによって、私に何か利益があるのですか?」
すると、箱をカタリナに渡そうとしていた迷宮の細い手が、ピタリ、と止まり、ゆっくりと戻っていった。
・・・いや、正しくは、単に戻っていったのではなく、持っていた箱を受け取ろうとしなかったカタリナの前にそっと置いてから戻っていった、と言うべきか・・・。
「・・・・・・」
その様子が、何となく男性からの求婚の様子に似ているのではないか、と思えなくもなかったカタリナは、自身を取り巻く状況とそんな迷宮の行動のちぐはぐさに、小さく口元を釣り上げた。
そして、『足元に置かれたトレジャーボックスの中には、実は本当に指輪が入っているのではないでしょうか・・・』、などと彼女が考え始めた頃。
完全に手ぶらとなった小さい方の迷宮の腕が、人として不自然ではない程度の長さに戻った後で・・・再び伸び始めたのである。
ただし、今度は腕だけでなく、頭も・・・そして身体も生えてきたようだ。
そして、ひざ上くらいまで人の身体のようなものを作り上げた迷宮は、最初は液体のように滑らかだったそのディテールを、今度は見る見るうちに精細化させていった。
その結果、見えてきたのは・・・
「・・・・・・趣味が悪いですね」
・・・カタリナから見てもそっくりだと思うほどに、似通った自分自身の姿だった。
そんな迷宮の人形に、カタリナはいつも通り怪訝な視線を向けていたことについては、わざわざ言うまでもないだろう。
まぁ、今回に限っては、少々、呆れた成分も含まれていたようであったが・・・。
・・・しかし、迷宮側の人形も、同じような表情を浮かべたわけではなった。
カタリナ本人ですら見せたことのないような、柔和な表情を浮かべると、両手を身体の前で重ねて・・・・・・そして、まるで頼み込むようにして、頭を下げたのである。
流石に、声を作り出す器官までは再現できなかったようだが、もしも声帯があったとすれば、必死になって何かを頼み事を口にしているのではないだろうか。
そんな、自分とそっくりな迷宮の人形に、先程までの怪訝な視線ではなく、何処か困ったような表情をカタリナが向けていると、急に・・・
ザバァンッ!!
と、海で波が浜に押し寄せるような音を立てて、目の前にあった迷宮の肉塊と周囲にあった液体が完全に形を失い、まるで単に雨に濡れただけのような痕をテラスに残して、彼女の前から消え去ってしまう・・・。
おそらく、迷宮側としては、すべきことを終えた、ということなのだろう。
すると、直後。
「カ、カタリナ?!大丈夫?!」
「カタリナ様?!も、申し訳ございませぬ!!」
テラスに繋がる部屋の方から、ワルツと飛竜が驚いた様子を見せながら現れた。
「・・・いえ。問題はありません。結界魔法がありますからね」
「いや、それはそうだろうけど・・・」
と、心配した様子で声をかけてくるワルツに対して、カタリナは小さくため息を付くと、少々呆れた様子で話し始めた。
「・・・ワルツさん、さり気なく私のことを守ってましたよね?」
「・・・・・・な、何のこと?」
「あの迷宮の液体。確かに複雑な魔力的な要素を感じ取ることが出来ましたが、それ自身が動くような作りにはなっていないようでした。つまり・・・・・・」
・・・つまり、液体がカタリナから避けるように動いていたのは・・・
「・・・なーんだ、バレてた?」
・・・ワルツが重力制御で、彼女のことを守っていたから、ということらしい。
「・・・もしかして、あの方についても・・・」
「え?」
「・・・いえ、何でもありません」
ワルツの態度を見て、急に口を閉ざすカタリナ。
そんな彼女に、ワルツは何処か関心したような表情を浮かべながら口を開いた。
「それにしても、ソレ、随分と大切そうに持ってるわね・・・」
「えっ?」
そんなワルツの言葉を受けて、そこで初めてカタリナは、自身の視線を下へとおろした。
するとそこには、いつの間にか、トレジャーボックスが抱かれていたのである。
どうやら、迷宮の腕が溶けた際に、知らず知らずのうちに守るようにして抱いてしまっていたようだ。
「・・・ワルツさん、この中身が何か分かってて、私に受け取らせようとしたのではないのですか?」
カタリナはそう言いながら、抱いていたトレジャーボックスを無理のないような形で抱き直して、半ば憤ったようなジト目をワルツに向けた。
「ま、否定はしないわ。でも、私が協力しなくても、カタリナ、結局受け取ってたんじゃない?」
腕が飛んできた時点で、今の彼女には回避する手段がいくらでもあったはずなのである。
それでも、そこに彼女がとどまり続けていたのは・・・・・・つまり、そういうことなのだろう。
「そうですね・・・。私も否定は出来ません・・・。でも、これからおそらく大変な事になりますよ?」
「大丈夫大丈夫。人だけは、沢山いるから!・・・多分ね」
と、そんなやり取りをしているワルツとカタリナに、状況が飲み込めない飛竜が横から問いかけた。
「・・・一体、何の話ですかな?」
その問いかけに対して、カタリナは小さく頬を引きながら・・・口と共に、抱えていたトレジャーボックスを開いた。
「それは・・・」
カパッ・・・・・・ニュッ・・・・・・
「この子・・・・・・迷宮の赤ちゃんをどうするか、という話です」
カタリナが箱を開いた瞬間、その隙間から何か怪しい影が見え隠れする。
スライムとも触手とも言えない、まさに影のような生き物(?)、と言えば想像できるだろうか。
「・・・なんか、迷宮の赤ちゃんじゃなくて、ミミックの赤ちゃんじゃない?これ?」
「・・・・・・やっぱり、そう思います?迷宮同士の細胞融合らしき現象から、あれが繁殖行為であることは推測できていたので、てっきり迷宮の赤ちゃんを受け取ったと思っていたのですが・・・」
「いや、確定したわけではないけどさ?もしかしたら、ミミックが迷宮の赤ちゃんなのかもしれないわけだし・・・。というか、この子がミミックだと決まったわけでも無いしね」
「・・・確かに、そうですね・・・」
と言いながらも、しかし自身の予想と少々(?)違っていたためか、カタリナの表情はあまり冴えなかった・・・。
まぁ、それも、トレジャーボックスの中で蠢く影を眼にして、すぐにどういうわけか元に戻るのだが・・・。
「というわけだから、飛竜?この子を育てるの手伝って上げてね?」
「しょ、承知いたしました?!」
ワルツから突然話を振られて、戸惑う様子を見せる飛竜だったが、その後で何かを思い出したようにして、はっ、とした様子を見せながら口を開いた。
「あの、ところで・・・・・・そのミミックは、何を食べるのでしょうか?」
そんな飛竜の言葉に、何故か眉を顰めるカタリナ。
どうやら、彼女としては、宝箱の中の赤子(?)を『ミミック』と呼ばれたくないらしい・・・。
「それはもちろん・・・」
そう言ってから・・・何故か、飛竜の尻尾に眼を向けるワルツ。
「・・・迷宮の子どもだと考えるなら、やっぱり肉じゃない?」
「に、肉?!わ、我の尻尾は有限なのですぞ?!」
と言いながら、再び尻尾を大事そうに抱える飛竜・・・。
「いや、貴方のは要らないから・・・。というか、カタリナも、変なものを与えてたらダメよ?」
「・・・そうですか。迷宮の肉ならいくら取ってきても減りそうにないので良いかと思っていたのですが、少々考えなくてはダメですね・・・」
「えっ・・・ソッチなの?・・・なら、別にいんだけどさ・・・」
「・・・・・・?」
何か言いたげな様子のワルツに、カタリナはトレジャーボックスごと迷宮の赤子(?)をあやしながら、不思議そうに首をかしげるのであった・・・。
と、そんな時・・・
ドシャァァァァン!!
そんな、何かが打ち付けるような大きな音が、外から聞こえてきた。
どうやらワルツたちが、部屋の中でミミック談義を繰り広げている間に、迷宮本体の方に何か異変が起ったようだ・・・。
もう少し、幻想的な光景の中で、『見知らぬ女性に託された・・・ミミック(?)』的な展開を書きたかったり、書きたくなかったり・・・なのじゃ。
というわけで、次回で迷宮の話は終了予定なのじゃ。
まぁ、ボレアス編が終わるわけではないがのう。
・・・次章は、もう少し予想できない感じの展開で書きたいものじゃのう・・・。
でじゃ。
幾つか書きたいことがあるのじゃ。
まず・・・これだけは書いておきたいのじゃ。
・・・前話と、前々話。
ネタに走ったように見えたじゃろう?
この話が書きたくて、導入として使っただけなのじゃ。
別にネタに走ったわけではないのじゃぞ?
・・・逆に予想しやすい展開になってしまったがのう・・・。
で、ひろったミミック(?)についての話なのじゃ。
・・・ワルツやカタリナ殿に捨てるという選択肢は無いのじゃ!
まぁ、ワルツは、ひろった子猫的な扱いかもしれぬが、カタリナ殿は・・・どうなのじゃろうのう?
乞うご期待!なのじゃ!
まぁ、追加で書いておきたいことはそんなところかのう。
で、補足なのじゃ。
いつからワルツがカタリナ殿のことを守っていたのかについてなのじゃが、これは、飛竜を助けた時からなのじゃ。
思考時間を超加速できるワルツにとっては、例えカタリナどのが飛竜の後ろに隠れてしまっていたとしても、それを見逃すわけが無いのじゃ。
・・・ただ、問題はのう。
本文の中で、ワルツがそのことを暴露した時に、飛竜が『わ、我を騙しておったのですか?!』と口にするタイミングが無かったことなのじゃ・・・。
・・・そうじゃのう。
カタリナが無事だったことに気が動転して、問いかけることを忘れてた、ということにしておこうかのう。
他に適当な理由があれば良いのじゃが・・・。
で、次じゃ。
ミミック(?)について。
迷宮の子どもを登場させるという話は、ボレアスの話が始まった頃から考えていたことなのじゃ。
最初は、『イブ嬢は迷宮の子どもだった?!』的なカオスな展開を考えておったのじゃが、どう考えても、あの犬娘が迷宮成分を持っているようには思えなかったのじゃ。
というわけで、新しいキャラクターとして登場させることにしたのじゃ。
・・・ふっふっふ・・・これで・・・いや、何でもないのじゃ。
あと・・・
迷宮の手のひらから出て来た女性の話をせねばと思うのじゃが・・・一体、彼女は、何者なのじゃろうかのう。
単にカタリナ殿を模した人形だったのか、あるいは魔王ビクセンだったのか・・・。
ここでは多くを語らないことにするのじゃ。
もしかすると、その内、本文の中で書くことになるかも知れぬからのう。
そういえば、結局、デフテリービクセンの話を書けなかったのじゃ・・・。
実はのう、デフテリービクセンが噛み付く場所を変えたのは、そこに元々、プロティービクセンの迷宮の核があったからなのじゃ。
直前まで、カタリナ殿がロリコンたちと戦っていた迷宮の核が、プロティービクセンの頭頂部にあったことを考えるなら、引っ込んでしまっても大体その場所に核があると予想がつくじゃろう?
まぁ、書けなかったとしても大した情報ではないから、いいんじゃがのう・・・。
あぁ、そうそう。
それと、細胞融合の話。
生物の生命活動において、一体どのような場面で起こっておるのか・・・あとは、ggrなのじゃ!




