15.02-35 魔神35
大きな狐——夜狐の姿になったアステリアは、身の危険を感じて後ずさった。論理的理由は無い。本能的に恐怖を感じたのだ。
夜狐の姿に戻った上、魔法が使えるようになった今の彼女が、魔物に負けるなどほぼありえない事だった。文字通り獣じみた反射神経、強力な魔法、そして壁や障害物を無視して対象物の位置を特定する特殊能力……。それらを駆使すれば、ドラゴンすら単独で倒してしまえるほどの力があると言えるからだ。
しかし、それでもアステリアには、目の前のテレサが恐ろしくて仕方なかった。身体の奥底から、ゾワゾワとした感覚が湧いて出てくるのだ。所謂Gやクモの類いが嫌いな者が、"その物体"を見たときに感じる感覚と似ているのかも知れない。
それほどまでに、今のテレサは、異常な気配を纏っていた。普段の疲れ切ったやる気の無いグダグダな狐娘とは異なり、この瞬間だけは、やる気満々。むしろ、殺意すら滲み出ていた。
「う……」わなわな
「……う?」
『…………』
「うへへ……」きゅぴーん
「……は?」
『?!』ぞわぞわぞわ
怪しげな笑みを浮かべるテレサを前に、アステリアは全身の毛という毛を逆立てた。身の危険の他に、生理的嫌悪も感じたらしい。
一方、彼女とは対照的に、ハイスピアは特に何も感じていなかった。強いて言うなら、気持ち悪さ、だろうか。それ以上でもそれ以下でも無い。
ゆえに、ハイスピアはテレサに対して問いかける。
「あの……テレサさん?何をされているのですか?」
目をピカーッと光らせながら、四つん這いになって、ヒタヒタと移動する……。そんな気持ちの悪い動きをしていたテレサに対してハイスピアが問いかけると、テレサは殺意(?)をむき出しにしながら(?)、こんなことを言い出した。
「キツネェェェ……!キツネがおる!!いまここでヤらずして、いつヤるというのか!」ゴゴゴゴゴ
「その……"ヤる"というのは、殺す、という意味ですか?」
と、ハイスピアが眉間に皺を寄せながら問いかけると、不意にテレサの表情と雰囲気が普段通りに戻る。
「いや、こう、ギュッとやって、モフッとやって、あとギュッとやるだけなのじゃ?」
ギュッ、という擬音と共に、明らかに何かを絞り上げるようなジェスチャーをするテレサだったが、殺害するつもりは無いらしい。
「まぁ、程々であれば、アステリアさんも——」
アステリアも黙って撫でさせてくれるのではないか……。アステリアのテレサに対する警戒心を知らなかったハイスピアが、その場を退くと——、
『ひぃっ?!』しゅたっ
——アステリア狐は身を翻して、薄暗い廊下の奥へと消えた。
すると、その後ろを——、
「キツネェェェァァァァ!!」シュタタッ
——四つん這いのテレサが、凄まじい勢いで追いかけていく。彼女は、全身の可動部に出力制限が掛けられているので、普通に走ったのでは遅い。そのため、テレサは、4足歩行をすることで機動力を上げて、普段の倍の速度で移動する術を身につけたようだ。そのために、プライドや羞恥心といったものを捨て去ることになっているのだが、それでも、狐——もといアステリアを捕まえてモフりたいらしい。
結果、その場から、大狐と狐娘が姿を消す。ハイスピアにとっては、ほぼ一瞬の出来事だ。
「何なのでしょうか?アレは……」
ハイスピアのその言葉が、テレサを指したものなのか、あるいは狐の姿になったアステリアを指したものなのか……。詳細は不明だが、ハイスピアは2人(匹?)の背中を、そっと見送るのであった。
そうこうしていると——、
「あれ?ハイスピア先生。こんなところでどうかしたんですか?」
「もしかして、イブたちと同じく、動物の鳴き声を聞いて目を覚ましたかも?」
——ルシアとイブがやって来る。どうやら2人とも、アステリア狐の咆哮を聞いて、目を覚ましたらしい。
「え、えぇ……。実は——」
と、ハイスピアが、正面玄関で起こった出来事を2人説明しようとした——そんな時。
ドゴォォォォン!!
不意に、玄関扉の向こう側から、何かが爆発したような、そんな音が聞こえてきたのである。
最近、稲荷神社から離れた場所に引っ越したのじゃ。
それゆえ、どうやって最寄りの稲荷神社に行けば良いか……最適なルートを模索中なのじゃ。




