15.01-22 ふたり8
ワルツは転移魔法陣を起動しようとしていた。だからといって、その場にいた3000人もの人々を、どこか遠くに転移させようとしていたわけではない。
彼女が使う転移魔法陣は、記述内容を変えることで、魔法陣の影響範囲内にある物体を選択的に転移させる事ができた。極端な話、人の生身だけを転移させて、武器や衣服などをすべてその場に置き去りにして転移させる事も可能だ。もしもそんなものがダンジョンの中にあったとすれば、冒険者たちの阿鼻叫喚がダンジョン内に響き渡るに違いない。
更に言うと、転移魔法陣の条件付けをより細かく記述すれば、元素レベルで対象を選択して転移させることも可能だった。例えば、その場にある"酸素"だけを選択的に転移させる、というように。
ただ、それは、本質の半分。その場から特定の物質を奪い去ることが本質のすべてではない。奪い取った物質を、一箇所に集められることもまた、重要な事だった。つまり、酸素の例に例えるなら、その場から酸素を奪い去って呼吸の出来ない空間を作り出すだけでなく、逆に、酸素を抽出するプラントにも流用できるというわけだ。
もちろん、対象は酸素のような気体である必要はない。海水が対象でも良い。水の中から塩化ナトリウム(塩)だけを取り出すこともできるし、水だけを抽出して真水を作り出すことだって可能だ。更に調整すれば、純ナトリウムや、純マグネシウム、水を水素と酸素に分けて転移させる事すら可能だった。まさに工業技術に打って付けの魔法だと言えるだろう。
「(いつも思うのよね……。転移魔法って、なんだっけ?って……)」
転移魔法陣を使いこなせば使いこなすほど、出来る事が増えるためか、ワルツはすっかり転移魔法陣を、"転移"のための魔法陣として考えられなくなっていたようだ。それほどまでに、転移魔法陣は、ワルツにとって、使い勝手の良い魔法陣だったのである。
ちなみに、繰り返しになるが、魔法陣の真価を引き出すことは、誰にでも出来ることではない。その場その場で、臨機応変に転移魔法陣を書き換えて、複数の条件付けをして、さらにはシンクロさせながら起動するなど、人間には不可能なことだからだ。ワルツのような機械だからこそ出来る芸当である。
ゆえに、空に長大な円柱が現れた時、人々はそれを魔法陣だとは思わなかった。あまりに高密度かつ立体に描かれた魔法陣は、文字通り、光の柱になっていたのである。
そんな魔法陣によって、何が起こるのか。
ズドォォォォン!!
ワルツたちを中心として、轟音と振動、そして空を多き尽くすような巨大な影がその場を包み込む。ワルツたちがいた小高い丘の上に、とある物体が空気を切り裂いて現れたのだ。
人間たちが最初に目にしたのは壁だった。高さ30mにも及ぶ巨大な壁である。しかも、石の塊で出来ているらしく、切れ目はない。そんなものが、ワルツと魔物たち、そして人々とを隔てる隙間に現れたのだ。
だが、それは序の口だった。壁の内側に現れた物体。地平の向こう側から上がり始めた巨大な月が照らしだした"それ"を見て、人々は口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。
なぜなら、そこに現れたのは——、
「「「し、城?!」」」
——天を貫くほど巨大な建築物。城だったからだ。
◇
「……えっと、何が起こったのでしょうか?」
「一言で言うなら、城を建てたわね」
「……つ、土魔法ですよね?も、もしかして……私が知らないだけで、建築魔法のようなものがある、とか?」
「ううん?ただの転移魔法」
「…………」
突如として現れた城の中心部。ちょうど、食堂のような長い部屋があった場所に、ワルツとグランディエの姿があった。そんな2人の内、グランディエの方は、食堂の中で泣きそうな表情を見せていたようである。それほどまでに、不可解な現象が、グランディエの目の前で起こっていたのだ。
城そのものは石作りの建物である。しかし、調度品は木材で出来ていたり、お皿やフォーク、ナイフなどの食器が並べられていたり、さらにはテーブルクロスまで掛けられていたり……。
「……あぁ、なるほど。建物をどこからか転移させてきたのですね。まったく、私ったら……。まるで、ワルツ様が、転移魔法だけで建物を作ったかのように誤解するなんて……」
「……」
「……」
「…………」
「…………嘘ですよね?」
「ううん。ホント。なんだったら、どれがどの材料で作られているのか、全部説明するけれど?」
「そ、そんな……」ガクッ
グランディエは、その場にへたり込んでしまった。ワルツの転移魔法は理解を越えたものだったらしい。そんなグランディエの行動に目を細めて微笑みながら、ワルツは食卓に着いた。
なお、言うまでもない事だが、メイドはいない。そのため、食事が勝手に出てくる訳ではない。転移魔法だけでは、食事まで作れなかったらしく、夕食はグランディエが作った保存食だ。いや、正確には、転移魔法だけで食事を作れないわけではないが、食べられるものが作れるか分からなかった、と言うべきか。
かつてワルツは、魔力が宿った食事を食べて、何度も痛い目に遭っているのである。そんな彼女が転移魔法で食事を作るというのは、ある種の自殺行為に等しかったのだ。まぁ、死ぬことは無いはずだが。
「ほら、グランディエ?夜ごはん!夜ごはん!」
「は、はひぃ……」
腰が抜けたグランディエは、ワナワナと震えながらもどうにか立ち上がると、アイテムボックスの中から保存食を取り出した。
こうして、野営1日目の夜が始まったのである。
???「お寿司の気配がしない……」どごぉぉぉぉ
???「……ア嬢?お主、ワルツを探しておるのではなかったのかの?」どごぉぉぉぉ




