15.01-12 ひとり12
グランディエが急いで荷造りを終え、魔物たちがいる外へと出るか出ないかを悩み、そして意を決して扉を開けると——、
「…………えっ?」
——そこには思いも寄らぬ光景が広がっていた。
幻想的な光景だ。本来なら、まるで自身の庭のように慣れ親しんだはずの泥濘んだ道があるだけの森が広がっているはずだった。ところが、どういうわけか。今は一面の湖に変わっていたのである。
湖の中に木々が立っていた。湖面には、空の星々が反射していて、家の扉を開けたら別の世界に繋がっていたかのよう。
長い間、引き籠もるようにして同じ場所に住んでいたグランディエにとっては、初めて見る光景だった。ゆえに、彼女のはその光景に息を吞む。
そんな彼女が息を吞んだ理由は他にもある。近くに魔物たちがいることは、最早どうでも良いことだ。彼女が何よりも大きな衝撃を受けたことは——、
「ひ、人が死んでる……」
——湖面に浮かぶ大量の人間たちに気付いたことだった。
グランディエからみれば、人間たちは皆、死んでいるように見えたが、実際には誰一人として死んではいない。皆、上向きで浮かばされて、息をしていたのだ。
その殆どの者たちには意識があったようだが、誰一人として立ち上がったり泳いだりする者はいなかった。ただ、水に身を任せるようにして、湖面に浮かぶだけ……。そんな彼らの表情には、恐怖と諦めの色が半分半分に入り交じっていたようだ。
「いったい何が……」
グランディエは、事情を知っているだろうワルツを探すが、湖の上にワルツの姿は無かった。いるのは、無数の人間たちの屍(?)と、主を探す魔物たちの姿だけ。
もしや、一人でどこかに行ってしまったのだろうか……。グランディエがそんな事を考えていると——、
「ごめん!グランディエ!雨を全部降らせて、空を晴らしちゃったから、天気が悪くなるまで泊めてくれない?」
——と、なぜか後ろからワルツの声が聞こえてきた。
「えっ」
「えっ?何?」
「ど、どうして家の中から現れたのですか?!」
「どうしてって……転移魔法?」
そう口にするワルツの周囲で銀色の液体のようなものが渦巻く。オリハルコンを細かく砕いてマナ水溶液(?)に溶かした魔法陣用のインクだ。ワルツは、重力制御システムを使って、インクを弄び、魔法陣の形を形成したり、幾何学模様を形成したりして、グランディエの視線を釘付けにさせる。
その効果は絶大だったらしい。家の外で浮かぶ人間たちの事など忘れたかのように、グランディエは魔導インクに魅入っている様子だ。彼女は、綺麗な宝石に夢中になる少女のように、キラキラと眼を輝かせる。
「綺麗……」
「私ね。魔法は使えないのだけれど、魔法陣はある程度、使う事が出来るのよ。色々と制限はあるのだけれどね」
ワルツが抱える魔法陣の制限。それは、技術的な問題と言うよりも、ある種の自分ルールだった。
彼女は今なお、ルシアに作ってもらったアーティファクトを何個か持ち歩いていて、半無限に魔法陣を使用することが可能なはずだったのである。しかし、ワルツには、アーティファクトを使うつもりはなかった。魔法陣を使う時は、自分で作ったオリハルコンインクと、魔物を狩って取り出した魔石を使うようにしていたのだ。
彼女は今、家出をしている状態。ただでさえ妹たちに対して、申し訳が立たなかったのだ。ゆえに、ルシアの力を勝手に借りるなど、言語道断。……ワルツは、そんなルールを自分に課していたのである。
その背景を知らないグランディエは、純粋に、空中に浮かぶ魔法陣に感動を覚えていた。
「すごいですね……。これ、どうなっているのですか?!」
「んー、まぁ、いろいろ。世界の理に逆らっている……ってわけでもないんだけれど、私もどう説明して良いのか分からないのよね……」
純粋な科学の力によって作られた重力制御システムで、魔法を発動させるための魔法陣を形作る……。それを理解するためには、科学と魔法の2つの知識を知っている必要があり、簡単に説明できるものではなかった。
ゆえにワルツの言葉は、途切れることになった訳だが……。それが引き金となって、グランディエの意識が、魔法陣から現実へと戻ってくることになる。
「……はっ?!そ、それどころではありません!外がすごいことに——」
「あぁ、外の水たまりのこと?ごめんね。雨を引き寄せ過ぎたら、雨を降らせすぎて、水たまりが出来ちゃった」てへっ☆
「さ、さすがは魔神様……」
「いや、マシンね?」
「ちなみに、あの人たちは……」
「死人はいないはずよ?溺れて死にかけていた人たちは全員助けたから。みんな、水たまりにプカプカ浮かばせているだけよ?」
「そ、そうなのですか……」
死人はいない、という言葉に、グランディエは安堵するものの、彼女の中では新たな疑問が浮かび上がってきた。即ち、浮かんでいる人々をこれからどうするのか、という疑問である。
しかし、その答えは、すでにワルツの方で用意されていたようだ。
「で、申し訳ないのだけれど、魔石持ってない?あの人たちを、転移させて元の町に戻そうと思うのだけれど、私……魔石を使い果たしちゃって、今は1個も持っていないのよね……。だからといって、私に懐いている魔物たちを屠殺して、魔石を取り出すわけにもいかないし……」
「そ、そうですね……。どのくらいあれば良いですか?」
「小指の爪の先より小さいくらいのショボい魔石でいいわよ?発動に時間は掛かるかも知れないけれど、理論上はいけるはずだから」
「それであれば……」
そう言って、グランディエは自身のアイテムボックスから、宝石箱のようなものを取り出した。その中には、大小様々な魔石が入っていて、綺麗に磨かれていたようである。文字通り、宝石のようだ。
「この中にある好きな魔石をお使いください。余り物の屑魔石です」
「えっ……もっと小さくても良いのだけれど?」
「えっ……これ以上に小さな魔石を持っていないですよ?」
「そ、そう……」
ワルツは、仕方ない、といった様子で、宝石箱の中から一番小さな魔石を取り出した。彼女の拳くらいの大きさがある魔石だ。彼女は、魔石の大きさや形状を確かめながら、その片手間で空中で魔法陣を構築する。
魔法陣はきわめて複雑だった。隙間も無いほどにビッシリと描かれた回路図のようで、反対側が透けて見えないほど高密度かつ何層にも重なっているといった様子だ。もはや、魔法陣ではなく、銀色のインクで出来た円柱と表現しても良いかも知れない。
「なんですか?これ……」
「だから、魔法陣」
そんな魔法陣の中心に、ワルツが魔石をセットした——その直後。魔法陣に魔力が流れ込んで、発光を始めた。
光は、魔法陣の中で渦を巻くように輝き、次第にその回転速度を増しながら、魔法陣の隅々まで広がっていった。終いには、魔法陣自体が発光する家具のように、光を放ち始める。もしも細長ければ、蛍光灯の代わりとして使えるに違いない。
しかし、消費電力ならぬ消費魔力はかなり低かったようで、魔石が小さくなったりすることはなかった。ワルツが言うとおり、燃費は相当良いらしい。
そして——、
ブォンッ!
——と、家の外で、凄まじく大きな重低音が鳴り響く。その音に気付いたグランディエが外に目を向けると、湖に浮かんでいたはずの人々は、全員綺麗に消えていた。転移魔法陣がちゃんと効果を発揮して、人々を全員、町に帰したらしい。
???「お代官様方は、無事だろうか……」
???「大丈夫だろう。騎士様や精鋭の冒険者がついて行ったんだからな」
???「でも、あのバケモノが相手だろ?俺は心配だぜ」
???「まぁ、な……。なーに。そのうち、ピンピンとした様子で帰ってくるさ」
ブォンッ!
???「な、なんだ?!」
???「何事だ?!」
???「「「た、助けてくれ……」」」
???「誰の……ひぃっ?!」
???「お、お代官様方が、みんな壁に埋まっちまってる?!」
なお、死人はいない模様。




