15.01-03 ひとり3
「キャインッ!」
暗闇の中から飛んできた矢が、狼の肩に突き刺さる。その突然の痛みに驚き、狼は悲鳴を上げた。
少女の方も、その悲鳴は想定外のことだったらしく、目を丸くして狼の方を振り返った。そして、矢の存在に気付き、忌々しげに眉を顰める。
そんな時だ。ビュンッと風を切る音を上げながら、矢がまた1本、2本と飛んでくる。狙いは大きな狼の胴体。矢に毒でも塗ってあるのか、当てることだけを考えた狙いだ。
狼にも、その矢は認知できていた。1本目が当たった時点で、2本目以降が飛んでくる事を警戒していたのである。
彼女の身体能力を考えれば、矢を避けることも可能なはずだった。ところが狼はその場を動かなかった。
「キャン!キャインッ!」
狼の影に、主がいたからだ。自分が避ければ、主に当たる……。狼はそんな事を考えて、敢えて避けなかったらしい。
結果——、
ドスンッ……
——やはり毒が塗ってあったのだろう。狼はその場に倒れ込んでしまった。目は未だ戦意を失っておらず、うなり声もそのまま。しかし、手足に力が入らないらしく、立っていられなくなった様子だ。
そんな狼の鼻先に、少女が立つ。
「……私を庇ったのね」
狼に突き刺さった3本の矢を見て、少女は目を伏せた。そして、皺の寄った狼の鼻先に手を置いて、毛を撫でた。すると、不思議と狼の顔からシワが消え、穏やかな表情になっていく。毒が頭部にも回ってきたのか、それとも、主の姿を見て安心したのか……。
「やっぱり馬鹿ね。私の事なんて放っておけば良いのに……」
少女がそう口にした瞬間、狼の身体の上に、白銀に輝く魔法陣が浮き上がる。そして——、
ブゥン……
——狼の身体は、まるで最初からその場に無かったかのように、消え去ってしまった。どこか遠く……。少女しか知らない場所に、転移させられたらしい。
狼が虚空へと消えたその場所を見つめながら、少女がポツリと零す。
「余生は、もっと、まともな主人を見つけられると良いわね」
少女はそう言って、何事も無かったかのように歩き始めた。狼がいなくなった事で、休憩する必要が無くなったのだ。
そんな彼女の所に、矢を撃っただろう者たちが近付いてくる。身なりを見る限り、野盗の類いや兵士の類いではない。恐らくこの大陸で活躍する冒険者なのだろう。魔物が活発に活動している夜に行動できるとなると、相当高ランクの冒険者に違いない。どうやら、この大陸において人間は、レストフェン大公国があった大陸のように、ただ魔物に蹂躙されるだけの弱者というではないらしい。
人数は5人。内、2人が少女に向かって矢を構え、2人が剣や斧を抜き、そして1人が杖を構えていた。まさに臨戦態勢だ。
彼らには、少女が狼の前に突然現れて、転移させたように見えていたらしい。只者には見えなかったようだ。
「止まれ!何者だ!」
冒険者の一人が呼びかけるが、少女の歩みが止まることは無い。冒険者たちの事など、どうでも良いと言わんばかりに、道なき道をスタスタと歩いて行く。
少女としては、勝手に付いてきた狼を、見知らぬ者たちの手によって傷付けられたことに不快感を覚えていた。しかし、彼女は狼の事を、然るべき人物のところに送りつけておいたのである。狼が命を落とす可能性はゼロ。少女が失ったものは——何も無い。機嫌を悪くすることもない。
それゆえに、少女は、機械のように歩き続ける。止めたければ、止めて見れば良い、と言わんばかりに。
対する冒険者たちは困惑していた。少女が止まらない理由が分からなかったのだ。10歳くらいに見える少女が、剣や矢を構えている自分たちを一瞥すらせずに、そのまま歩いて行くのである。言葉が通じないのかとすら思えるほどだった。
結果、冒険者たちは顔を見合わせた後、一旦武器を下ろして少女を追いかけた。少女が不審者であることは揺るぎない事実だが、年端もいかない少女が、魔物たちの跋扈する平原を一人で歩いて行くことは無視できなかったらしい。
「おい、止まれよ」
「ちょっと!そう言う乱暴な話し方じゃ聞いてくれないんじゃない?」
「……苦手なんだよ。子ども相手に話すの」
そんなやり取りをした後で、冒険者の紅一点だった弓使いが、少女に近寄ってくる。
「君、ちょっと止まって?」
しかし、呼びかけても少女は止まらない。何度呼びかけても同じだ。
終いには、苛立った剣士が、少女の前に立ち塞がる。ところが——、
「おい!お前!いいかげn——」するり「……えっ?」
——まったく触れる事が出来ず、そのまま素通りを許してしまう。
「なんだ……あの子……」
「えっ?」
「触れられなかった……」
「は?」
「それに……目が光ってた。赤く……」
そんな剣士の呟きに、冒険者たちは耳を疑った。人間の目が光るなど、普通はあり得ないのだ。つまり、目の前にいる人物は、普通ではない。
そんな考えに至った冒険者たちは、少女を強引に捕まえることを決める。
「足だ。足を狙え。毒は塗るなよ?」
「いや、お前が斬れよ。触れられるくらい近いんだから」
「……ったく」
少女が人間ではない可能性はかなり高い……。そう判断した冒険者たちは、少女の足——具体的にはアキレス腱を斬ることで、少女の足止めをしようと考えた。回復魔法を使えば、腱を元に戻すことは簡単だからだ。
そして——、
「すまんな!」
——剣士の剣が振り下ろされた。
キィィィィンッ!!
金属同士がぶつかり合うような甲高い音が響き渡る。剣士の剣が、少女の踵付近に当たった瞬間、剣で石を叩いたような音が上がったのだ。
「何?!」
「うそっ?!」
「は?」
「馬鹿な……」
「おいおいおい……」
冒険者たちが揃って目を丸くする。人から聞こえるはずの無い音が聞こえたのだから、当然だ。
それと同時に、少女の足がようやく止まる。腱を切られたから、ではない。
「……今の、明確な敵意行為として判断しても良いかしら?」
そう口にする少女の手には、いつの間にか真っ黒な木の枝のようなものが握られていた。それは、まるで生きているかのように、絶えず蠢いていて……。真っ黒に染まった雷のようでもあった。
たとえ暗視のポーションを飲んでも、直視できない出来ない謎の黒い枝を見て、冒険者たちはようやく悟る。
……目の前にいるソレは、自分たちにどうにか出来るような存在ではない。絶対に手を出してはならない類いのバケモノだ、と。
高ランクの冒険者としては、あまりに遅すぎる判断だと言えた。
???「……何です?この獣は」ギロリ
狼「?!」びくぅ
???「怪我……いえ、毒のせいで死にかけているのですか。まったく……仕方ありませんね」ジャキン
狼「くぅん……」ぷるぷる
???「その太い尻尾と耳……よく見たら狼ではなく、大きな狐ではないですか。いったい、どこでこんな狐を拾ってきたのですか?ワルツさんは……」




