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15.01-01 ひとり1

 惑星アニアのどこか遠いところ。ミッドエデンがある大陸でもなければ、レストフェン大公国がある大陸でもない、第3の大陸。そんな場所にあった平原の上を、ヒタヒタと歩いていく少女が1人。


 雨がザアザアと降る夜闇の中で、時折、眩い稲妻が空を走っていく。そのたびに、少女の姿が露わになるが、そんな彼女の頭の上には、外套も傘もない。その様子を形容するなら、不気味。もしも、誰かが彼女の存在に気付いたなら、化け物が現れた、と喚いて逃げ出すか、応援を呼ぶか……。1人で彼女に対応しようとは思わないことだろう。


 しかし、それは、彼女を見つけたのが人だった場合の話。魔物たちには関係無かった。雨の日だろうが、風の日だろうが、夜だろうが、昼だろうが、彼らは空の下ので生活をしているのだ。人のように、一箇所に群れ、温かな光に包まれて生活しているわけではないのだから、真夜中に草原を歩く人間の子どもを見たところで、怖いなどという感情を抱くことはないのだ。


 ゆえに、無防備に夜闇を歩く少女の姿が、魔物たちには美味しそうな獲物に見えていた。彼らに躊躇は無い。他の魔物よりも早くその少女に食らい付こうとする。早い者勝ちだからだ。まさに弱肉強食。


 そんな中で、最も速く、もっとも体格の良い一匹の狼が、少女の首に食らいついた。少女の慎重よりも、何倍も大きな狼だ。本来であれば、少女の骨など、簡単にかみ砕いてしまうほどにその顎は強く、少女は一瞬で絶命してしまっていたことだろう。


 ……そう、本来であれば。


 狼がどんなに顎に力を加えても、その牙が少女の首に刺さることは無かった。弾力性はあるが、それは表面だけで、その先まで牙が入らなかったのだ。


 しかし、それで諦めるような狼ではない。皮の硬い獲物を今まで何度も狩ってきた狼にとって、少女の首の硬さなど、想定の内。狼は、次に、少女を押し倒そうとする。生き物は口を塞げば窒息死すると、狼は知っていたからだ。それなら、首が硬かろうと関係無い……。狼はそう考えたらしい。


 ところが、狼がどんなに力を加えても、少女の体勢が崩れることはなかった。押しても引いても、1ミリも動かないのだ。……いや、正確に言うなら、少女は動いていた。ただし、少女のその動きは、狼の力によるものはなく、自身の意思。狼に噛まれながらも、真っ直ぐに歩いていたのである。まるで、狼など、存在していないかのように、まったく速度を落とすことなく、進路を曲げることもなく、ただただ真っ直ぐに。


 その内、狼も、言い知れぬ不安を抱いたようだ。ちからいっぱいに押しても引いても、ビクともしない獲物など、狼の経験上、存在しなかったからだ。


 警戒した狼が、少女から口を外して、後ずさりとした時。スゥッ、と音も無く、少女が狼の方を振り向いた。


 少女の目は暗闇の中で赤く輝いていた。魔力を一切感じさせること無く、ただ2つの赤い点が、狼を見つめる。


 それだけで、狼は、尻尾を丸めて、縮こまってしまった。狼は理解したのだ。……そこにいるのは、人などではなく、人の形をした化け物だ、と。


 直後、狼は、慌てて服従のポーズをした。自らひっくり返って、腹を見せ、敵意がない事を見せつけたのだ。


 すると、それまで興味無さげに狼を見ていた少女が、眉間に皺を寄せて、ポツリと呟く。


「貴()……狼としての誇りとか無いの?」


 しかし、狼がその問いかけに答えることは無い。狼なのだから当然だ。雨の中だというのに、ひっくり返って、尻尾を振るばかり。


 その内、少女は、狼に対して興味を失ったのか、再び前を向いて歩き始めた。その夜はどういうわけか、不思議と他の魔物たちは襲ってこなかった。


  ◇


 雨はいつしか止んで、朝になる。しかし、未だ曇天。雲の隙間から青い空を伺うことはできるが、いつ空が癇癪を起こしたとしても不思議ではない雲行きだ。


 地面は泥濘んで、酷く歩きにくい……。そんな場所を、少女は足下を汚すこと無く、スタスタと歩いて行く。


 彼女はこの時、とても不機嫌だった。腹が減っていた訳ではない。食べ物が食べたければ、空を飛んでいる鳥でも落として、得意の重力制御で血抜きをし、焼いて食べれば良いだけだからだ。


 実際、彼女は何度か鳥や魔物を狩って食べていた。調味料が無いので、決して美味しいとは言えないが、それでも腹は膨れた。


 ゆえに、腹が減ることが、彼女の不機嫌の理由ではない。雨に泥濘んだ地面が歩きにくかったわけでもない。ましてや、襲ってくる魔物たちに辟易していたわけでもない。そもそも魔物たちは、1()()()()()を除き、近付いてこないのだから。


「……どこまで付いてくるの?」


 少女を襲った狼が、何を思ったのか、ずっと後ろを付いてきていたのだ。当然、狼は、身体中が泥だらけになっており、元の色が何色だったのかすら分からないほどに汚れていた。


 それでも狼は、嬉しそうに少女の後ろを付いて歩いていた。その態度が、少女にとって、気に入らなかったのだ。


「どうして付いてくるの?」


 問いかけたところで、狼からの返事は無い。少女が感心を向けてくれたことが嬉しかったのか、ハッハハッハと舌を見せながら満面の笑みを浮かべているだけだ。


「……お家に帰りなさい。私に付いてきたって、何も無いわよ?」


 少女はそう言って、再び歩き始める。しかし、狼も、少女の後ろを黙って付いていく。


 太陽が少女の頭の上を通り過ぎ、そして再び地面の向こう側に沈もうとした頃、ようやく少女の足が止まる。ただし、疲れたわけではない。彼女には疲れなど存在しないからだ。


 彼女は後ろをチラリと振り向いて、少し足を痛めたように歩いてくる狼の事を見ると、深く溜息を吐いた。


 少女が足を止めて振り返ると、狼は行儀良くお座りをする。お座りをしても、少女の方が小さいので、少女からすれば狼を見上げる形になる。


 それゆえか、少女は余計にジト目になりながら、狼に再び問いかけた。


「貴女、ここからお家に帰れるの?」


 狼からの返事は無い。


「貴女のお家の場所なんて知らないわよ?私」


 言葉を続けるが、やはり狼からは何も返ってこない。


「…………好きにすれば良いわ」


 少女は深い溜息と共に折れた。彼女は、適当にあった倒木に腰を掛けると、まるで魔法を使うようにして、空を飛ぶ鳥を落とし、それを狼の前に置く。


「食べなさい。今日はここで野宿するわ?」


 狼は、文字通り降ってきた肉に驚くものの、すぐに肉にかぶりついた。新しい()に与えられた肉は、狼にとって、余程美味しいものだったらしく、千切れんばかりに尻尾を振りながら、短時間で食べ尽くしてしまった。骨も残さない。魔物らしい食べっぷりだ。


 少女は、食事中の狼の姿を、ジッと観察していたようである。その表情に色は無い。無言で、無表情。ただ静かに、狼を赤い眼で見つめ続けた。


 とはいえ、何も考えていなかったというわけでもなかったらしく……。彼女は木から下りると、少し離れた場所にある小川へと歩いて行った。肉を食べ終え、口の周りをペロリと舐め回していた狼も、慌てて立ち上がり、少女の後ろを追いかけていく。


 そして小川へと辿り着いた時。


「寝る前にキレイにしておかなきゃ、レディーとして嫌われるわよ?貴女」にやり


 と少女が口にして、小川の水を丸ごと宙に浮かべてしまう。


 その様子を見た狼は焦った。彼女は前に、水魔法を使う魔物と敵対したことがあったのだ。その魔物は、水を巧みに操って、狼の息を止めようとしてきたのだが、それが狼の中にトラウマとして残っていたらしい。


「クゥン……」


「貴女……初めて鳴いたわね?でも、鳴いても無駄よ。キレイになりなさい」


 そして——、


   ドバシャッ!!


——狼の頭の上から大量の水が落下してきた。


 この時、狼は思ったようだ。……主人は美味しい肉をくれる良い人間だが、水を使って自分を虐めてくる怖い人間だ、と。


あ゛あ゛っ……首が痛いのじゃ……。

重い荷物を持ったら、肩の筋をやってしまったのじゃ……。

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