1.1-01 HelloWorld 1
次の瞬間。
ワルツは、どこか青い空の中で浮いていた。
青々とした広大な森、二つの太陽、昼間なのに見える巨大な月。
そんな現代世界の日本には存在しないはずの景色の中に、彼女は浮いていたのだ。
あるいは、こう表現した方がいいかもしれない。
――――気づいたら真っ逆さまに落ちていた、と。
「ちょ、うわぁーーーーー?!」
落下、というよりも、大気圏突入、と表現したほうが良いような速度で、地面へ吸い込まれるように落下していくワルツ。
その際、彼女の速度が音速を超えていたためか、周囲の空気が猛烈な勢いで圧縮され、彼女の身体を容赦なく加熱する。
地面との距離、速度、彼女の体勢を考えるなら、ワルツが直ちに飛行状態に移行しても、地面への落下は避けられないだろう。
(無理っ!)
次の行動を考えている間にも、刻一刻と迫ってくる地面を見て、ワルツはとっさに耐ショック姿勢を取って、どうにか衝突に備えようとした。
ちなみに。
彼女たちガーディアンには、体内に反重力リアクターが搭載されているので、質量を限りなく0に近い状態にすれば、空気抵抗だけで直ちに停止することも不可能ではない。
とはいえ、混乱状態にあったワルツのニューロチップには、そのことに気付けるほどの余裕は無かったらしく……。
彼女は、まともな対処もできないままで、地面へと墜ちていくしかなかったようである。
そしておよそ2秒後。
ワルツは森の中へとそのままの勢いで落下していき、地面と衝突した瞬間――
ズドォォォォン!!
という爆音と共に、凄まじい衝撃波を発生させた。
それだけではない。
森の木々をなぎ倒しながら、地面に直径200mほどのクレータを形成し、そこに住んでいた動物や植物たちを一瞬で消滅させて……。
挙句の果てには、摩擦熱と断熱圧縮による熱で、森を燃え上がらせてしまったようである。
まぁ、森が十分な湿気を含んでいたために、延焼だけはしなかったようだが。
一方で。
そこに大穴を穿った張本人は、というと――
「ふぅ……さすがに死ぬかと思ったわ……。ったく、誰よ。地面に落下したら人形の穴が開くって言ったやつ……」
何事も無かったかのように立ち上がると、自身の状況を確認し始めたようである。
どうやら、”ガーディアン”は、災害とも言うべき大きな傷跡を森に残しても、その程度のことでは大破しない作りになっているらしい。
とはいえ、流石に無傷とはいかなかったようだが。
「うわぁ……さっきの衝撃で色々壊れちゃったか……」
衝撃を相殺するために犠牲にした腕と足のアクチュエータの耐久度が、左右とも30%程度まで低下していることを確認して、ホログラムの姿の頭を抱えるワルツ。
この耐久度が0%になると自己修復が不可能となり交換が必要となるのだが……。
逆に1%でも残っていれば、体内に内蔵しているナノマシンを使うことで自己再生が可能である。
しかし……
「空間制御システムは0%……拙いわね……」
機動装甲の隠蔽の練習を行おうとして起動したシステムは、完全に壊れてしまっていたようだ。
それも、衝撃で壊れたのではなく、最初の起動時に過大なエネルギーを供給してしまったために、回路が耐えきれなくなって壊れてしまったらしい。
端的に言えば、起動しただけで壊れた、ということになるだろう。
とはいえ、恒久的に直せないわけでもなく……。
ワルツの内部に設計図が存在しているので、新規生産のための大きな設備を構築すれば、修復可能だった。
そのためか、ワルツは空間制御システムについて、一旦、脳裏の片隅へと追いやると……。
今度は周囲に向かって、その視線を向けたようだ。
「ここ、どこなんだろ……っていうか、太陽が2つある時点で、地球じゃないわよね?」
と、見たこともない黄色と青色の太陽たちと、全天の2割程度を覆い尽くすクレーターだらけの大きな月を眺めて、そんな結論に至るワルツ。
そして彼女はもう1つ、とある結論へとたどり着いた。
「これ……やっぱり、空間制御システムを起動したことが原因よね……」
つまり、彼女は、機動装甲を異相空間に仕舞おうとして、地球ではない惑星に来てしまった、と考えたのである。
もしもそれが本当だとするなら……。
空間制御システムが壊れている間、彼女はさっきまでいた家の庭には戻れない、ということになるだろう。
そんなこんなで。
耐久度が減っている部位を修復するため5分ほどの間、ワルツはその場から動かず、機動装甲内に搭載された観測機器を駆使して、惑星の情報を収集していくにしたようである。
そして分かったことは4つ。
1つ目は、気温、空気組成、重力、その他生命維持に必要とされる要素が地球のものと酷似していること。
つまり、エネルギー補給に食事を必要とするワルツが活動を継続することに問題はない、ということである。
2つ目は、この惑星の公転周期、自転周期が地球とほぼ同じということ。
1日が24時間。
そして1年が365日±5日程度、ということである。
この短時間では、正確な1年の長さは分からなかったようだ。
次に3つ目は、この惑星と大きな月、そして太陽の位置関係が常に同じであるということ。
言い換えるなら、月は毎日同じ時間――昼過ぎ頃に地平線の彼方から登り、そして深夜過ぎに沈む、ということである。
そして4つ目は、電波の類を検出できなかったこと……。
ようするに、この惑星では、それほど高度な文明が発達しているわけではない、と言えるだろう。
そんなことを考えていると、身体の修復が終わったので……。
ワルツは身体の調子を確かめるようにして立ち上がると、クレーターの外輪へと飛び立つことにしたようだ。
◇
「うん、予想してた通り大規模な自然破壊ね。これを家の近くでやってたら……兄さんたちにボッコボコにされるわね……。いいとこ、植林の刑50年ってとこかしら……?」
と、吹き飛んだ森の木々たちに、上空から目を向けて、そんな冗談を呟いてから、深く溜息を吐くワルツ。
それから彼女はクレーターの外側へと降り立つと、荒れた森の中を歩き始めた。
そこで彼女は、あることに気づく。
「この惑星……やっぱり、動物がいるのね」
既に息絶えていたものの、鹿のような動物が、そこに横たわっていたのだ。
辺りに森林があり、少なくない数の動物もいる……。
その上、1日の長さや1年の長さも同じであることを考えるなら……。
この惑星は、地球と瓜二つ、と言っても過言では無さそうである。
それから鬱蒼とした森の中にあった獣道を歩くこと約2時間。
ワルツに搭載されていた生体反応センサによると、動物自体は近くにいるようだが、まるで彼女のことを避けるかのように、近づいてこなかったこともあって……。
彼女は黙々と歩き続けながら、逃げることのない植物たちの生態などを調べていった。
具体的には、イチゴに似た果実が実っていれば、とりあえず齧りついて味見してみる、といった様子である。
「(うん、イチゴ……というより野いちごね。渋い感じがするけど、品種改良されてないとこんなものかしら。まぁ、かなり酸っぱいけど、ほのかな感じの甘味があって……嫌いじゃないわね)」
などと感想を考えながら、その後も、様々な木の実、そして山菜などを口にしながら、森の中をどこか嬉しそうに歩いて行くワルツ。
どうやら、アミノ酸やビタミンといった人にとって必要になる栄養素は、地球のものと変わらないようである。
食事によるエネルギー補給に問題がないことを確認して安堵した後、彼女は森を歩きながら今後のことを考え始めた。
「(地球に帰る方法を考えなきゃいけないんだけど、どうやって帰ろ?)」
唯一、地球へと戻れる可能性があるのは、空間制御システムを再起動することだけだが、前述の通り、空間制御システムは、彼女がこの惑星に来る際に破損していた。
つまり、帰るなら、システムの修復をしなくてはならない、ということになるだろう。
ただ。
空間制御システムが正常に動作したとしても、目標通りに地球に戻れるとは限らなかった。
そもそも、この星に来ること自体、彼女には予測できなかったことなのである。
不用意にシステムを起動すれば、再び訳の分からない星に飛ばされる危険性も否定はできないのだ。
システムの修復に一体どれほどの時間と手間暇が掛かるかは、ワルツには想像が付かなかったが、ただ、幸か不幸か、ガーディアンには寿命は無いため、時間だけはたっぷりとあった。
その上、食料にも困らなそうなので、絶望的な状況、というわけではなさそうである。
それからもワルツが、システムの修復方法について考えながら歩き続けていると……。
太陽たちがかなり沈んだ頃、森が途切れている様子が彼女の眼に入ってきた。
(ようやく、森が切れるわね……)
ここまで歩いて数時間。
飛べば一瞬の距離だったのだが、ワルツが飛ぼうとすることは、クレーターから出て周囲の状況を確認する以外には1度も無かった。
それは、自身の生存(?)のことを考えて、科学的な調査がしたかったから、という理由の他にも……。
ワルツ自身、散策が趣味だから、というのも最も大きな理由だったようだ。
それも、見たことがない動植物たちを観察できるというのだから、彼女としては嬉しくて仕方がなかったに違いない。
なにしろ、現代世界の日本の森は、多様性を失い、荒廃の一途を辿っていたのだから……。
まぁ、それはさておき。
森を抜けたワルツの眼に飛び込んできたのは、広大な丘陵地帯と、その中にぽつらぽつらと点在する小さな森の姿だった。
そんな景色の中に、一箇所だけ、自然物ではないものが混じっていたようである。
「ん?村?煙?」
彼女がいた小高い場所から、丘を二つほど超えた先に、レンガのような石材と木材で作ったと思しき建物が立ち並んでいる場所が見えたのだ。
その様子を見る限り、どうやらこの星には知的生命体が住んでいるらしい。
集落の大きさからすると、彼女の言葉通り、村、といったところだろう。
ただ、その村からはいくつもの黒い煙が立ち上っており、決して平和的な様子には見えなかったようだが。
「(もしかして……そういった文明なのかしら?)」
ふと、世紀末な世界を想像してしまったワルツだったが、すぐにそんなさつばつとした考えを振り払うと……。
特に行く宛もなかった彼女は、機動装甲の光学迷彩が正常に動作していることを確認してから、ホログラムの姿だけを表示して。
そして、見つけた村の方へと足を進ませ始めた。
「(うーん、文明の進み具合や類似性を考慮すると、地球と異なる惑星……というより、アレね。異世界、ってやつ)」
そんな事を考えながら、呑気に歩いていたワルツが、村まであと100m程度の距離まで近づいた――そんな時だった。
二足歩行の生物と、それを追いかける複数の動物たちが、建物の影から急に飛び出してくる姿が眼に入ってくる。
(うん、どこからどう見ても人間ね。触手生えてなくて良かったわー)
大昔の資料で見た火星人の想像図を思い出しながら、胸を撫で下ろすワルツ。
彼女がそんな人影と、緑色の動物たちのことを観察していると、段々と構図が分かってきたようだ。
どうやら人影――少女は、動物たちに襲われているらしい。
そんな少女の見た目に、ワルツはいくつかの違和感を感じる。
どういうわけか、少女の頭と腰に、狐のような尖った獣耳と、立派な尻尾が付いていたのだ。
(異世界って言ったら……まぁ、たしかに獣人だけどさ?)
そんなどこかの物語で出てきそうなキャラクターたちのことを思い出しながらも、それと同時にワルツは考える。
目の前の少女(?)は本当に少女なのか。
塩基配列は存在するのか。
そもそも性別はあるのか……。
初めて見る異世界人(?)を前に、ワルツの中では疑問と好奇心が渦巻いていたようだ
◇
視点は変わって。
家の間から飛び出してきた少女は、自分を襲おうとしている動物から逃げようと、必死に走り回っていた。
……しかし、運悪く、地面にあった小石に足を取られて転んでしまう。
ドサッ……
「ふぐっ……?!」
ころんだ拍子に呻き声を上げたそんな彼女に対し――
「ギャ、ギャア!」
小型で緑色の人型生命体――所謂ゴブリンが後ろから迫り、そして棍棒を振りかざして、少女のことを殴打しようとする。
「…………!」
そのあまりの恐怖に、眼を閉じ、そして縮こまってしまう少女。
そして彼女は死を覚悟するのだが……。
しかし、いつまで経っても、その棍棒が、自分に落ちてくることは無かったようだ。
結果、少女は、怖がりながらも、周囲の様子を見るために眼をゆっくりと開けるのだが……。
彼女の期待とは裏腹に、ゴブリンの姿は今なおそこにあり、少女に向かって棍棒を振り上げたままだったようだ。
ただ、直前と異なるのは、ゴブリンたちが、少女の方を見ておらず、彼女とは直角の方向――つまり村の外へと繋がる街道の方を向いていたことだろうか。
その様子を見て――
「……えっ?」
襲われている最中だと言うのに、そんな疑問の声を口にする少女。
次の瞬間――
「ギャ?……ギュギュギュ……!」
ゴブリンたちは全力で走り始め……。
そして彼女の前から逃げ出していってしまった。
例えるなら、まるで恐ろしいものを見たかのように……。
一体何が起ったのか、混乱と恐怖のどん底に会った少女には理解できなかったが……。
とにかく危機を脱したことを察して彼女は大きくため息を吐いた。
そして、ゴブリンたちと入れ替わる形で彼女の前にやってきたのは、見たことのないデザインの服を着た、金髪碧眼の女性だったのである。