14.10-01 研究1
その日から、マリアンヌにとっては、ある意味苦悩の日々が始まろうとしていたようだが、そこは匂いを操る魔女。ただの人間でしかないジョセフィーヌを遇うことなど、彼女にとっては造作も無い事だった。
ゆえに、マリアンヌにとって苦悩と言えるのは、地下空間に拠点を移してきたジョセフィーヌの存在ではなかった。彼女にとっての苦悩。それは——、
「マリアンヌ?貴女、ここにずっと引き籠もり続けるってわけじゃないわよね?」
——所謂"ぐーたら生活"からの脱却。一日三食昼寝付きという生活は、腹部や二の腕辺りに色々と問題が生じそうだったということもそうだが、地下空間に引き籠もっているというのは、魔女が魔女らしく生きるためには問題があったのだ。研究のための素材が殆ど手に入らなかったのである。
今までは臭気魔法を使って配下の者たちを集め、彼らに採集を任せていたが、新居では臭気魔法が有効な人物は殆どおらず……。自ら動く必要があったのだ。あるいはジョセフィーヌたちを動かすという手も無くはなかったが、大々的にそれをすると、ポテンティア辺りにバレて、面倒な事になる懸念があり……。マリアンヌが使える臭気魔法は最小限で、乱用できなかったのである。
「(このままだと、ジョセフィーヌを黙らせるための薬も無くなりそうですし……)」
今はどうにかジョセフィーヌの嫉妬の意識をこちらに向かせないよう、あり合わせの材料を使って臭気魔法を行使しているが、材料が無くなってしまえばそれも困難。材料の確保が必要不可欠だった。
「(外の世界を自由に出歩くって言うのも、ちょっと難しそうですし……)」
現状、マリアンヌは、半ば囚われの身。自由行動は許されず……。外を出歩いて、欲しい材料を集めてくるというのは、難しそうであった。
「(表に出るための何か言い口実は無いものかしら?)」
「ねぇ、マリアンヌ?聞いてる?」
「えっ?あ、はい。聞いてなかったですわ?」
「貴女、居候なのにやるわね……。まぁ、良いけど。明後日からなんだけど、私たち、学院に登校しなきゃならないのよ」
「あぁ、学生でしたものね」
「そういうこと。そんなわけだから、貴女も学生として、学院に行って貰うわよ?」
「はあ………………は?えっ?」
「やっぱり話を聞いていなかったのね……」
いったい何が何なのか……。今まで考え込んでいたマリアンヌは頭が真っ白になっていた。自分が学生にならなければならないなど、急に降って湧いたような意味不明すぎる話で、話に理解が追いつかなかったらしい。
しかし、ワルツの説明を聞いて、マリアンヌは事情を理解することになる。
「こんなところに引き籠もっているくらいなら、学生になって知見を広めた方が有意義だと思うのよ。それに貴女、このままだと、ブクブクになっちゃうわよ?ただでさえちょっとぽっちゃり気味なんだから、すこし外を出歩いた方が良いと思うわ?」
「ブ、ブクブク……ぽ、ぽっちゃり……」
マリアンヌは言葉に言い表せないような致命的なショックを受けた。ぽっちゃりと言われるのは、今日が初めての事だったのだ。
ちなみに、ワルツとマリアンヌの話を聞いていたメンバーの内、約2名ほどの目も死んでいたようだが、それが誰だったのかは伏せておく。なお、機械の身体をもつテレサとポテンティア、そして近衛騎士たちに体調管理をされているジョセフィーヌではない。
マリアンヌ他2名が、蒼い顔をしながらワナワナと肩を震わせている中、ワルツは別の人物へと話題を振った。
「ジョセフィーヌはどうする……って、貴女は貴女でやることがあってここに来たんだったわね」
ワルツはジョセフィーヌに対し、一緒に学生をするか、と問いかけようとしたらしい。
ちなみにそのジョセフィーヌは——、
「私自身が学生になるのは難しいですね。一応、学院の名誉教授ですので」
——学生ではなく、名誉教授の地位を持っていたようである。教える科目は、宮廷学、あるいは帝王学といったところだろうか。
「ま、そうよね。分かりきったことを聞いて、申し訳なかったわ?」
「いえいえ。ですが、ワルツ先生が教鞭を振るわれるというのでしたら、学生になる事も吝かではありません」
「あ、うん。そのつもりは無いわ?」
ワルツは否定するが、周囲の者たちの表情には疑いの色が浮かんでいたようである。これまでの授業においては、教師のハイスピアが教壇に立っている時間よりも、ワルツが教壇に立っている時間の方が長かったからだ。
にも関わらず、そのことを誰も口にしなかったのは、皆、同じ事を考えていたからだろう。……もしも、ワルツが授業をしている事がジョセフィーヌに知れたら、彼女は間違い無く、学生をやる、と言い始めるはずだ、と。




