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14.8-36 試験36

 エムリンザ帝国がポテンティアからの攻撃を受けた際、第一皇女のマリアンヌは、転移魔法を使って国を出て、そしてレストフェン大公国にいる支援者の元に身を寄せていた。


 そんな彼女は、心に大きな傷を負っていたようである。エムリンザ帝国を脱出してきてからというもの、彼女は連日ように放心していたのだ。ボンヤリと空を見上げるだけの日々。昼も、そして夜も。


 ただ、彼女が夜に空を見上げるときは、何かに怯えるかのようだった。町を治める公爵や召使いたちが心配そうに問いかけるものの、彼女から帰ってくる返答はいつも「大丈夫よ」という説得力のない言葉だけ。そのためか、多くの者たちが、マリアンヌに対して同じ事を考えたようである。……エムリンザ帝国で起こった痛ましい事件(?)のために、マリアンヌは心を病んでしまったのだろうと。


 ギルムの町の周辺に兵士たちが集まっているのも、彼女が原因だった。というのも、この町の公爵は、エムリンザ帝国とズブズブどころか、元々、エムリンザ帝国の関係者で、レストフェン大公国にとってはスパイ。マリアンヌなど皇族には恭順しており、マリアンヌの報告——帝国が正体不明の攻撃を受けて大打撃を受けた、という情報を信じて、もしもの有事に備えて兵士たちを集めていたのである。


 近いうちに、レストフェン大公国も同じ運命を辿ることになるかも知れない……。町を治める公爵は、マリアンヌの事情説明を蔑ろにはせず、今、自分が出来る事を行うことにした、というのが、町の外に兵士たちが溢れていた理由だ。尤も、公爵は、マリアンヌの説明をすべて信じていたわけではなく、彼女の説明の半分ほどは、錯乱のせいだ、と切り捨ててしまったようだが。


「はぁ……どうしてこんなことに……」


 白い雲が流れていく空を、マリアンヌは溜息交じりに眺めていた。とはいえ、彼女は空を見上げて呆けていたわけではない。彼女にはとある事情があって、空から目が離せなくなっていたのだ。


 彼女の脳裏には、数日前の出来事が焼き付いていた。空から無数に降り注ぐ黒い虫たちの姿が公都を滅ぼした(?)光景だ。要するに彼女は、ポテンティアによる襲撃が忘れられず、いつ降り注ぐとも分からない悪夢(黒い虫たち)に怯え、空を常に見上げていたとのである。


 白い雲が空を流れていく内は、マリアンヌの精神は比較的安定している状態にあると言えた。夜になると怯えたような反応を見せるのは、空を浮かぶ雲が、白いのか、それとも黒いのか、分からなくなるせい。いつ降り注ぐとも分からない黒い虫の雨が、彼女の精神を蝕んでいたのだ。レストフェン大公国を影から乗っ取ろうとした事に対するしっぺ返しかも知れない、という罪の意識があったことも、彼女の精神の不安定さに拍車を掛けていたようである。


「もっと遠くに逃げたほうが……」


 もっと遠く、虫すら生息していないほど寒い地方まで逃げれば、毎日怯えて過ごすことは無いのではないか……。マリアンヌは虫に対して極めて酷く敏感になっていた。極度の虫嫌いを越えて、完全にトラウマを抱えていたと言えよう。


 それが叶わないのなら、せめてこの穏やかな日々がずっと続けば良いのに……。そう考えるマリアンヌだったが、世の中は無常らしい。


   カサッ……


 マリアンヌの目の前を何か黒い物体が通過していく。そのあまりの速度に、マリアンヌは理解が追いつかなかったようだ。


 最初の内、彼女は、ネズミか何かが、公爵邸の裏庭を駆けていったのだと思い込もうとした。そうすれば、とりあえずは精神の安定が図れるからだ。


 だが、2匹目が続いてマリアンヌの視界の中を通過していったために、彼女はその黒い物体たちを無視できなくなったようである。2匹目を無視できるほど、彼女の精神は図太くなかったのだ。


 その出来事の後、彼女が顔に貼り付けていた無表情が、ボロボロと音を立てて崩れていくまでに、それほど長い時間は掛からなかった。


「ひぇぇぇぇぁぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ?!」


 それはまさに奇声だった。悲鳴などと言う生易しいものではない。心の底から絞り出すような叫び声だ。


 彼女は奇声を上げながら、スカートの裾を踏んづけて、無様に転びながらも、必死になって走った。兵士たちの制止などお構いなしに、中庭を抜け、城を抜け……。気付くと下町の路地裏にまでやってきていた。


 それでも彼女は逃げた。どこまでも宛てなど無く逃げ続ける。ぜぇはぁ、と息が切れるが、立ち止まればそこで終わりだと思ったらしく、苦しくてもどうにか無理矢理に逃げようとする。


 この時の彼女には転移魔法が使えなかったようだ。もしも使えたのなら、彼女はカサカサと動く黒い物体を見た瞬間に、その場から転移して逃げおおせていたはずだからだ。なぜ彼女が、一度は使った転移魔法を使えなくなっていたのかは不明だが、彼女は魔法が使えないなりに、全力で足を動かしたようである。


 あまりに全力で走りすぎて、目の前が段々と白くなってきた頃。


「ア嬢?よそ見をしておったら、知らぬ人とぶつかるゆえ、ちゃんと前を見ながら歩かねば——」


   ドンッ!


「ごはっ?!」ドサッ


「……こ、こんな感じで、人を轢いてしまうからのう……」げっそり


 マリアンヌは凄まじく硬くて重い物体にぶつかってしまう。銀色の岩のような何か……。いったい何なのかを確かめようとするマリアンヌだったが——、


「うぅ……」ガクッ


——衝撃があまりに強かったせいか、あるいはずっと走りっぱなしで疲れてしまったせいか、彼女は気絶してしまったのである。


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