9.5-01 正体1
「えっと……あまりに色んな事がいっぺんに起こりすぎて……もう、何が何だか……」
見知らぬ幽霊のような女性の訪問、ベガの部屋の大改造、そして世界樹の根による町の孤立化……。その1つ1つが自身の理解の範疇を超えていたためか、ランディーの頭は、オーバーヒートを起こしてしまったようである。その上、彼女の目の前では、兄のメシエが、依然として意識無く床に伏せっていたこともあって……。精神的な余裕があまり無かった彼女には、テレサたちの説明が、余計に耳へと入ってこなかったようである。
そんな彼女たちは、メシエが伏せっていたベッドがそこにある通り、王城3階にあったメシエの執務室横にある仮眠室にいた。そこには、ランディーのほか、テレサ、ルシア、ベアトリクスと、自発的にランディーを警護していた水竜部隊の姿があって……。ずっとメシエに付きっきりだったために部屋から出ていなかったランディーに対し、テレサたちが、自称”魔神”の女性から聞いたという話や、ライスの町に起こっている出来事を伝えていたようである。もちろん、明日の夕刻に何か大きな出来事が起こるかも知れない、という予言じみた発言についても……。
ただまぁ、女性の正体が本当に魔神かどうか分からなかったので、テレサたちは、酒屋にいた人物の正体について、あまり言及しようとしなかったようだが。
「そうじゃろうのう……。妾たちもよく分からぬのじゃ。アレが人間だったのか、それとも幽霊だったのか、あるいは——魔神だったのか……」ちらっ
「えっと……そうですね……。それについてもよく分かりませんけど……でも何より私が分からないのは、世界樹の根が町を取り囲んでしまった、という話の方です。町どころか、その外側にある森ごと囲んでしまうような大規模な異変があったら、ここまで大きな音や振動が伝わってきても良さそうに思うのですが、そんなことは一度も無かったはずですし……」
と口にしながら、ここ数日の出来事を思い返すランディー。
そんな彼女は、ベガの部屋にあるバラの苗木の交換作業を除けば、前述の通り、ほぼ兄の看病に付きっきりで……。つまり、静かな部屋の中にいたので、何かしら地面が揺れるような事があれば、すぐに分かるはずだった。だが、少なくとも、彼女の意識がある間に、気になるような振動は感じられず……。彼女の混乱を増長する原因の1つになっていたようである。
それはテレサの方も同じだったようだ。
「ふむ。妾たちも振動や音は感じておらぬのじゃ。先ほど初めてストレラ殿——えっと……」
「えぇ、聞き及んでおります。テレサ様のお姉様だと……」
「いや…………まぁ、似たようなものかの?それで、そのストレラ殿が帰り際に飛行艇からこの地を見下ろしたら、町の外が、そんなとんでもない状況になっておった、と言っておっての?」
「この話、アブラハムさんたちには?」
「うむ。既に伝えてあるのじゃ。すぐに調査隊を派遣して、町にどの程度の影響があるか調査する、と言っておったのじゃ?まぁ、それを言った途端、泡を吹いて倒れた御仁がいたようじゃが……カタリナ殿が気付けをしておったゆえ、大丈夫じゃろ」
と、過労で倒れるたびに、カタリナによって、まるでゾンビか何かのように復活させられては、再び大変な仕事に従事させられている四天王たちの事を思い出すテレサ。その際、彼女が目の前で眠るメシエに対し、細めた視線を向けていたのは、今までその大変な仕事を一人でこなしてきたメシエに何か思うことがあったためか、あるいは、目を覚ました後で彼の身に降りかかるだろう災難を思わず想像してしまったためか……。
それから彼女は何かを振り払うように首を振ると、話の内容を変えて、ランディーに伝えるべきもう1つの要件について話し始めた。
「あ、そうなのじゃ。前に約束したとおり、ランディー殿の屋敷に、新しい蒸留装置を設置しておいたのじゃ?人の口には入れられぬ木酢液などの抽出を行いたい場合は、先に作った古い方の装置を使って、酒の蒸留を行いたい場合は、新しい方の装置を使って欲しいのじゃ。どちらが新しい装置かは、見れば何となく分かると思うのじゃ?」
「すみません。ありがとうございます。でも……この町に降りかかってる問題をどうにかしない限り、使う機会は無さそうですけどね……」
「なーに、心配せずとも大丈夫なのじゃ。ここにはルシア嬢……と、それにベアもおるからのう?」
「ちょっとテレサちゃん?協力するのは吝かじゃないけど、急に無茶振りするの止めて欲しいんだけど?」
「今、何となく私の名前、とってつけた感があったのですけれど……」
「お二人がいるなら、心強いですね」
テレサの突然の無茶ぶりに対して、ギャーギャーと騒いでいた(?)少女たち2人に対し、優しげな視線を向けながら、そう口にするランディー。それが彼女の本心だったのか、それとも世辞だったのかは本人にしか分からないものの……。それからというもの、その場に流れていた空気は、随分と柔らかくなったようだ。
◇
それから3人が、ランディーと別れて、部屋から出た後。彼女たちは、王城の廊下を歩きながら、こんな会話を交わしていた。
「ランディーさん、本当に”魔神さん”のことを知らないのかなぁ?」
「テレサの言葉をさらっと流していましたわね?一見した様子では、知らないように見受けられましたけれど……」
「ふむ……。じゃが、前にワルツがアブラハム殿から聞いた話じゃと、悪魔族と魔神は切っても切れぬ関係じゃと話しておったらしいからのう……。話せぬ事情があって、妾たちに悟られぬよう振る舞っておったのかもしれぬ」
そんな会話を交わしながら、難しそうな表情を浮かべて、廊下を歩いて行くテレサたち。
ライスの町を取り巻いている様々な問題の中で、彼女たちが最も大きく懸念していたのは、”魔神”と名乗る女性が去り際に残した不穏な言葉で……。直接会ったことが大きく作用したのか、3人には彼女の言葉を無視できなかったようである。




