4中-07 毒物
見かけない女性の素性を調べて欲しいというワルツの頼みで、警戒しながら酒場へ向かうカタリナ。
一方、ルシアはそれほど警戒する素振りは見せていない。
相手が美人(?)だから、だろうか。
(知らない人に近づくときはもっと警戒するように言わなきゃダメね)
ワルツはそんなルシアの様子を観察しながらそう思うのだった。
2人が酒場まで近づいていくと、女性は酒場の店主と話し込んでいた。
「おはようございます、村長さん」
「おはようございます」
「お?お前たちか。おはよう」
酒場の店主がいつも通りに挨拶を返してきた。
「おはようございます、お嬢さんたち」
女性も挨拶を返してくる。
「えっと、この方は?」
「あぁ、旅の冒険者の方だ。昨日の夜この村に着いたんだが、宿が無くてな。それで、一晩家に泊めたんだ」
夜遅くまで営業していた酒場にやってきて、泊めて欲しいと言ったのだろう。
ところで、この村には宿屋がある。
では、何故女性は、宿に泊まろうとしなかったのか。
実は、この村の宿は殆ど利用する客が居ないため、夜の段階で客が居ないと閉店してしまうのだ。
まぁ、扉を叩けば深夜でも泊めてくれそうではあるが。
「そうでしたか。てっきり、店主さんに奥さんが出来たかと思いましたよ」
「無いな」
即答する店主。
その言葉に、少しだけ女性の表情が崩れた気がするが・・・気のせいのようだ。
だが即答で否定されれば、多少は傷ついてもおかしくはないだろう。
と、そんなやり取りをしていると店主が話題を変えてきた。
「・・・最近、うちに飯を食いに来ないが、ちゃんと飯は食ってるのか?」
「えぇ。狩人さんが用意してくれていますので」
「マジか・・・」
(よく考えてみると、騎士がみんなの炊事係ってどうなんだろう・・・)
だが、まいっか、と方付けるワルツ。
「まぁ、いつでもうちに食べに来てくれよ。もちろんタダだからな」
「ありがとうございます」
・・・店主は、親のようなことをカタリナ達に言うのだった。
随分と脱線したが、女性が何者なのか分かったので、カタリナとルシアは工房に戻ろうとする。
「すみません。見かけない方だったので、誰かな、と思って出てきただけなんです。失礼しました」
「しつれいしました」
2人揃って戻ろうとした時だった。
「ところで可愛いお嬢さんたち・・・」
女性が笑みを浮かべながら口を開いた。
「・・・王都に居た人って、誰か知ってる?」
虹彩を真っ赤に染めて、だ。
その眼には魔力が宿っていた。
常人なら間違いなく、問いかけられた言葉に対して、包み隠すこと無く答えてしまうことだろう。
所謂、魔眼というやつだろうか。
あるいは『魅了』と呼べるのかもしれない。
・・・だが、魔眼の能力が2人に届くことはなかった。
このことを予期していたわけではないが、念の為に掛けておいた物理・魔法結界が功を奏したようだ。
「・・・ルシア。家の中に」
カタリナがルシアを背に庇う。
「・・・うん」
ルシアもカタリナの言葉に逆らうこと無く、家の中に勢い良く逃げ込んだ。
自分の体調の復調を再優先に考えたようである。
余程、ワルツたちと旅に行けないほうが嫌だったのだろう。
「あれ?魔眼が効かないなんて・・・」
女性が不思議そうに首を傾けた。
すると・・・
「・・・あなた、サキュバスでしょ?」
何もない空間にワルツが突如として現れる。
・・・というより、ワルツ本体である機動装甲は家の中に入れないので、ずっと外にいたのだ。
『えっ?』
そんなワルツの突然の登場にカタリナも女性も驚いていた。
唯一、店主は驚きの声を上げなかったが、それでも眼は見開いていたので、驚いているのだろう。
「えっと、ワルツさん?この方がサキュバスって、どういうことですか?」
「いや、この人がコウモリのような形をした真っ黒な羽の生えている魔族っぽい人にしか見えないのだけど・・・失礼な事を言ってないわよね?」
「・・・そうでしたか。だとすれば、失礼ではないと思います」
ワルツの眼には、深夜にやってきたこの女性が最初からサキュバスに見えていた。
紫のセミロングヘアに褐色の肌。
水着のように布地の少ない服装を身につけており、身長や体型はカタリナに近い。
その上、コウモリっぽい真っ黒な羽である。
典型的なサキュバスではないだろうか。
周りの人間にはこのサキュバスが普通の人間に見えているようなので、何らかの幻術か精神魔法を使っているのかもしれない。
ちなみに、ワルツがそれを指摘しなかった理由は、サキュバスも普通に人間と共存している世界だったらどうしよう、と思ったからである。
見た目がサキュバスっぽいコウモリ娘だからといって、不審者だと決め付ける訳にはいかなかったのだ。
故に失礼ではないかという発言をしたのだが、昨日王都から逃げ出した事を知っているとなれば、女性は只者ではないのだろう。
失礼でも相手の正体を確かめる必要があったのだ。
「もしかして、私達を酒場から監視しようとしていたのかしら?」
酒場は工房と道を挟んで反対側にあるので、監視するには誂向きの場所である。
「・・・そう、ばれちゃったかー」
すると、近くに居た店主の首元に何か鋭利なものを突きつけるサキュバス。
どうやら、店主を人質に取るようだ。
「この人の命が惜しくなかったら・・・」
「ん?何を言っているんだ?寝言は寝て言えよ」
と店主が口にした時には、既にサキュバスの位置と店主の位置が入れ替わっていた。
一瞬の出来事である。
『?!』
店主以外の全員が驚愕する。
もちろん、ワルツもだ。
(全く見えなかった・・・)
機械であるワルツにすら、あまりの早業に認識できなかったのである。
「それで、命が惜しくなかったら、なんだって?」
「・・・ふふふふふ」
先ほどまで驚愕の表情を浮かべていたサキュバスが、不意に笑みを浮かべる。
「そんなんで、私を捕らえられるとでも?」
すると、目が再び赤く光るサキュバス。
魔眼(?)を使って店主を魅了させるつもりか。
・・・だが、
「・・・で、何か起こるのか?」
「・・・そんな!」
何も起こらなかった。
店主には効かなかったようだ。
「・・・店主さん?もしかしてですけど・・・魔王ですか?」
「・・・いや、どうしてそうなる」
「だって、サキュバスの攻撃を受けても全く影響を受けないようですし」
「・・・誓ってもいいが、俺は普通の人間だぜ」
「正体は秘密ってやつですか?」
「嬢ちゃんが正体を教えてくれるなら、教えてもいいが?」
「・・・やめときましょう」
「まぁ、別に隠すほどのことでもないけどな」
ガッハッハ、とサキュバスを取り押さえながら、豪快に笑う店主。
一体何者なのだろうか。
「で、そのサキュバスなんですけど、どうします?」
「貰っても困るからやるぜ?」
「じゃぁ、頂きます」
まるで、狩った魔物をやりとりするかのような会話である。
ワルツは、店主からサキュバスを受け取った。
見かけによらず筋骨隆々な店主から、見た目は貧弱な少女に渡ったのだ。
それを好機と見たのだろう。
ワルツに渡った瞬間にサキュバスが逃げ出そうとする。
が、しかし、
「う、うそ・・・」
店主どころの話ではなく、金縛りにあったかのように全く動けず、さらには空中に浮かべられるサキュバス。
「あぁ、言っとくけど、俺なんかより嬢ちゃんのほうが遥かに強いぜ?逃げ出せるなんて思うなよ?」
すると、がっくりと項垂れるサキュバス。
・・・しばらく俯いて・・・最後の悪あがきをした。
「・・・魔王様、バンザイ!」
といって、歯を思い切り噛み締めたのだ。
「っ!カタリナ!ルシアと同じ血液フィルターの準備!奥歯に毒を仕込んでたみたいよ!」
「分かりました!」
そう言って、すぐに工房に駆け込んでいくカタリナ。
カタリナを待っている間、ワルツはサキュバスの身体に毒が回らないよう対処する。
レーザーでサキュバスの経静脈を両方切断した上、気道、食道も切断したのだ。
ついでに、腹部を切開して胃を開き、内部に入っただろう毒物の隔離も行った。
毒物の種類が分からない以上、ワルツにはこうするしかなかったのだ。
口内から直接取り込まれるタイプの毒物出った場合、吸収された後は静脈を通って、心臓、そして全身へと回っていくので、その前に頭部から戻ってくる血液の隔離が必要であった。
あるいは、青酸カリのように、唾液に含まれる水分と反応して毒ガスを生成する物質だった場合には、気道にガスが侵入すると拙いので、気道を切断して肺に入り込まないようにする必要があった。
あとは、飲み込んで腸から吸収されるタイプだが、これは遅効性なので、今回のような自殺では考えなくても良かった。
しかし、毒物を飲み込んだことに代わりはないので、念のためこれ以上毒物を飲み込まないよう食道を切断した・・・というわけである。
だが、太い静脈を切断したというのに血は吹き出さない。
静脈や開腹によって出てきた血は、全て重力制御で浮かべてあるからだ。
サキュバスに人間の血が輸血できるかどうかわからない以上、1滴たりとも無駄にはしない。
一方、サキュバス本人には何が起こったのか分からなかっただろう。
一瞬で首や臓器がバラバラになったのだ。
おそらく、痛みすら認識できかったのではないだろうか。
そして血圧の低下で意識の薄れゆくサキュバスにワルツは告げる。
「簡単に死ねると思ったら大間違いよ?」
眼はサキュバスよりも赤く、髪を真っ白にして笑みを浮かべた上で、だ。
「店主さん、水をお願いします!」
「お、おう!」
突然目の前でサキュバスの解体が始まったことに店主は驚いていたが、ワルツの呼びかけにはすぐに応じた。
・・・というよりも、ワルツの変身に驚いていたと言うべきか。
「用意出来ました!」
カタリナが道具一式を工房から持ってきた。
「2箇所、透析の準備をお願い」
「はい」
カタリナの結界を使った血液フィルターは結局、透析と呼ぶことにしたようだ。
ワルツは、まず、空中に浮かべている血液をフィルターに掛けた。
ルシアの時はカタリナが結界魔法を使って透析を行っていたが、今回はワルツの重力制御を併用するので、一瞬で数リットルに及ぶ血液の処理が完了した。
そしてすぐに開胸し、下大静脈を切断。
そこから出てくる血液も透析にかけ、再び静脈に戻した。
これは、腸から吸収された可能性のある毒物を除去するためである。
「水だ!」
店主がちょうどいいタイミングで水を持ってきた。
ワルツは店主に貰った水で、胃、食道、口内を洗浄する。
その間、毒物を取り除いた血液を静脈に戻しながら、新たに出てくる血液をフィルターで濾過する。
更には、切断した気道から重力制御で新鮮な空気を直接流し込み、人工呼吸も行った。
「カタリナ、縫合して」
もちろん回復魔法で、である。
「まずは、首からね」
切断した静脈、食道、気管を繋げる。
こちらは既に洗浄も血液の浄化も行っているので問題はないだろう。
「次は腹部をお願い」
胃の洗浄のために開腹した部分を閉じていく。
「最後、胸部をお願い」
大静脈や肋骨、胸部の筋肉や皮膚などを繋いで完了である。
「あとは、感染症対策ね」
「分かりました」
既に意識のないサキュバスを工房内のカタリナの研究施設に遠隔の重力制御で運んでおく。
あとは煮るなり、焼くなり・・・だろうか。
「・・・なんか、凄いことになってたな・・・色々と」
まだ工房前に残っていた店主がタイミングを見計らったのか、ワルツに話しかけてきた。
「えぇ、でも私たちはいつもこんな感じですよ?」
「マジか・・・」
一体何が起こったのか、と聞いてこないところを見ると、店主には何が起こっていたのか大体の見当が付いているようだ。
「・・・魔王って何なんでしょうね?」
ワルツは、サキュバスが毒物を噛む直前に言っていた言葉を呟く。
「魔王は魔王だろ。俺には分からんよ」
「ですよねー」
魔王が治めているという国から随分と離れた場所にあるのだ。
店主とは、ほぼ無縁と言ってもいいだろう。
「ま、なんかあったら声をかけてくれ。飯でも何でも食いに来てくれよ」
どんなことがあっても、店主は店主だった。
「はい。狩人さんがいない日はお世話になります」
「・・・まぁ、いいけどな」
(やっぱり、狩人さんに食事を作らせるのは拙いかしら)
では一体、誰が食事を作るというのだろう。
ワルツだろうか?
・・・こうして、サキュバスとの一件はとりあえず方付いた。
変身したワルツの姿に何も言ってこない店主は、相当に出来た人間なのだろう。
ワルツも店主が何者なのか気になったが、結局聞くことはなかった。
もしかすると、店主もワルツに対して同じことを思っているのかもしれない。
さて、この後、ワルツが工房の中に戻ると、地面に項垂れるテンポとテレサの姿、そして食卓の上では無残な姿を晒すドミノが眼に入ってきた。
どうやら、ルシアが工房に逃げ込んだ際、振動で崩れたらしい。
ドミノや食器、そして卵が床に落ちて酷いことになっていたようで、狩人に大目玉を喰らっていた。
誰が?
テンポとテレサの2人だ。
ドミノを最初にやりだしたのはワルツだが、透明になって姿は現さなかったので、事無きを得た。
どうやら、狩人は炊事担当ではなく、ワルツパーティーのオカン担当のようである。