9.4-08 本物8
「なんというか……会う者たちが、皆、何かを言いたげなのじゃが、どういうわけか、それを口に出さずに去って行くのじゃ。どうしてかのう?」
「さぁ?テレサちゃんが臭いからじゃない?」
「……え゛っ?」
あまりにストレートすぎるルシアの一言を聞いて、面食らうテレサ。豆鉄砲を食らった鳩、あるいは、摘ままれた狐、といったところだろうか。
「わ、妾が、く、臭いじゃと?!」くんくん
「多分、もう木酢液の臭いになれちゃってるから分かんなくなってると思うけど、木酢液って、思いのほか、臭いがキツいと思うんだよね。特にテレサちゃんは、原液の入った容器を袖から出し入れしてたから、余計に臭いが付いちゃってるんじゃないかなぁ?私たちもそれなりに臭いと思うけど……」
そう言って、自分の服の匂いを嗅ぐルシア。その際、彼女の眉間に皺が寄ったのは、無視できない何かを感じ取ったためか。
「ふむ……そういうことじゃったのか……。エネルギア嬢たちもそうじゃが、その辺を通る兵士たちも、妾たちに近づいて来ようとしないのじゃ。これはもしかすると、想像以上に臭っておるのかも知れぬ……」くんくん
「かもしれないね?(んー、多分、兵士さんたちが近づいてこないのは、また別の理由があるからだと思うけど……勘違いしてるテレサちゃんを見てるの面白いから、黙っておこっと)」
内心でそんなことを考えながら、人知れず目を細めるルシア。なお、理由は不明だが、彼女が腹黒対応をするのは、テレサが相手だった場合のみである。
そんなやり取りを交わしていた彼女たちがいたのは、王城の正門前。王城周辺に木酢液を撒くというタスクを完了したテレサたち4人は、今度は町の中——正確には、町の周囲を取り囲む市壁へと、木酢液を散布するために向かおうとしていたようだ。
その際、テレサは、自分たちを中心に放たれていた木酢液の臭いにようやく気付いたわけだが……。結果、彼女は、1つの懸念にたどり着くことになる。
「つまり……町の中を歩いて行ったら、町の人々にも、兵士たちと同じ目で見られるということかの?……こやつら、臭い、と」
その疑問に対し、今度はベアトリクスが返答する。
「テレサ。私はテレサがどんな匂いであっても受け入れる所存ですわ!」
「いや、お主は良いかもしれぬが、他の者たちにとっては受け入れがたい臭いかも知れぬではないか?それに、妾の臭いだけではのうて、お主からも木酢液の臭いが漂っておるかもしれぬのじゃぞ?そうなれば、市民たちの視線は、妾だけではなく主らにも向かうことになるのじゃが……」
「……なにも問題はありませんわ?それならそれで、テレサと同じ匂い、ということですもの」ぽっ
「こやつ、もうダメかも知れぬ……」げっそり
と、あまりにポジティブすぎる考えを持ったベアトリクスを前に、疲れたような表情を浮かべるテレサ。
すると今度は、そのやり取りを聞いていたイブがこう口にした。
「あ、そうだ、テレサ様」
「む?何じゃ?イブ嬢。何か思いついたのかの?」
「木酢液の臭いが気になるなら……香水を付けて誤魔化せばいいかもじゃない?」
「ふむ……。つまりお主は、妾が香水を所持しておると考えておるのかの?しかし、残念じゃが、妾は持っておらぬ。確かに、ミッドエデンの一般的な貴族たちは、香水を使って体臭を誤魔化しておるようじゃが、妾の場合は、毎日、ルシア嬢に湯浴みをさせて貰っておるゆえ、香水は必要ないのじゃ。それに、正直言うと……妾はあの匂いが苦手なのじゃ。何故皆、アレが良い匂いじゃと言っておるのか、妾には分からぬ。匂いを嗅いだだけで、鼻の奥のほうがツーンとして、気持ち悪くなってくるだけじゃからのう……」
と口にして、香水の匂いを思い出したのか、眉を顰めるテレサ。
そんな彼女の香水に対する考えを聞いた後で、イブは——
「そ、そうかもなんだ……。ごめんなさい、テレサ様……。イブ、テレサ様が香水の匂いが嫌いって知らなかったかもだから……」
——と、どこか悲しげな表情を浮かべて、俯いてしまった。どうやら彼女は、まさかテレサが香水嫌いだったとは思っていなかったようである。
その様子を見て、テレサが言葉を追加する。
「いやの?イブ嬢。お主の考えは尤もなのじゃ。妾とて、主らが嫌な思いをすることが分かっておってまで、我を通すつもりはないからのう。それに、ここで湯浴みするわけにもいかぬし、着替えたら着替えたで、すぐに臭くなってしまうじゃろうからのう。じゃから、香水を使って臭いを誤魔化すというあいでぃあはアリかも知れぬ。……というわけでじゃ。誰か香水、持っておらぬかの?」
そう言ってテレサはその場にいた者たちを見回すのだが——
「お寿司の匂いなら嫌いじゃないけど、私もちょっと、香水はね……」
「以前は使っていましたけれど、テレサやルシアちゃんと共に行動するようになってからは、いらなくなりましたわ。ですから、私も、今は持っていませんの」
「……ふむ」
「そっかー。じゃぁ、このままで行くしかないかもだね……」
「そうじゃのう……」
「私はお寿司の匂いがあるから大丈夫!」
「それはそれで……いえ、何でもありませんわ」
そして結局、香水を使うことを諦める4人。それから彼女たちは、王城の門を通って、いよいよ不特定多数の市民たちが暮らす町へと行こうとするのだが……。
その直前、空から助っ人たちが降りてきた。
「お疲れ様です、テレサ様」
「戻ったです!」
「皆様、これから町に行くところですか?」
ユリア、ローズマリー、それにダリアのサキュバス3人組である。テレサたちが王城の周囲で作業を進めている間に、3人は傷ついた世界樹の亀裂がこれ以上広がらないよう、亀裂の内部に木酢液を散布し終えたようである。
そんな3人に気付いたテレサは、何かを思い出した様子で問いかけた。
「あ、そうじゃ!ユリアは確か香水を持っておったと思うのじゃが……ちと、妾たちに貸してくれぬかの?」
その問いかけを聞いたユリアは、首を縦に振って、おもむろにバッグの中へと手を入れるのだが……。このあと起こる問題について、予想していた者は誰一人としていなかったようだ。




