9.3-31 悪魔31
王城前の広場でカタリナによって執り行われていた文字通りに異次元の治療方法。その光景を王城の3階にあった窓から静かに眺める一人の男性の姿があった。
「……私たちは、いったい、何という者たちに手を出してしまったのだろうか……」
頭の両脇からまるでヤギのようなくるりと丸まった2本の角を生やす、この国の宰相——メシエである。
そんな彼の顔には、疲れの色が見え隠れしていた。そこにあった机の上に、山のような書類が溜まっているところを見ると……。どうやら彼は、ベガの病や、黒い虫たちの一件、それにミッドエデンの者たちの来訪などが原因で、言葉では簡単に表現できないほどの大変な忙しさに見舞われていたようである。
そして彼は、窓から見えていた景色を見て、こう思っていたに違いない。……彼女たちはいつになったら国に帰るのか、と。尤も、それを実際に口にすることは無かったようだが。
ただその代わりに、彼はミッドエデンの者たちの行動を眺めながら、こんな言葉を呟いた。
「……いつか我が国がミッドエデンに攻められるようなことはあるのだろうか……。おそらくは、彼女たちだけで、この国は数刻も保たずに負けてしまうだろうな……。もしもそうなったら……いや、未来を憂うなど無駄か……。来たるべき時のために、今をどうすべきか……」
彼はこの国の宰相。そして、魔王ベガの忠実な僕。その思考の中心では、常に、国の行く先を見据えていたようである。そう、魔王ベガが治める国の繁栄を……。
とはいえ。
彼の思考は、アルボローザ王国のことだけで一杯だったか、というと、そういうわけでもなかったようである。いやむしろ、半分ほどは、違うことを考えていた、と言うべきかもしれない。
「……しかし、ランディー。何故、お前がそこにいる……」
窓から見えていたのは、何もドラゴンたちが治療されている姿だけではなかった。そこにいて治療をしていたカタリナや、コルテックス、それに、メシエの実の妹であるランディーの姿も見えていたのである。
そんな妹は、兄であるメシエの視点から見る限り、ミッドエデンの者たちと楽しそうに(?)行動しているようで……。それを見ていたメシエとしては、なにやら頭が痛かったようである。
「……ランディーには困ったものだ。必死になってお前のために、色々と手を回しているというのに、いつもお前はその隙間を逃げていこうとする。それとも……私が過保護なだけか……?」
と、まるで自身に向けるかのようにそう言って、大きな溜息を吐くメシエ。彼らの父は早い時期に亡くなり、母もかなり前に他界していた。その結果、兄の手で育てる事になった年の離れた妹の姿は、もしかすると彼にとっては妹ではなく……。父と娘に近い関係のように感じられていたのかも知れない。
それからも彼の独り言は続く。
「まったく……。アブラハムのやつにも困ったものだ。あれだけランディーには不用意に近づくな、と忠告したというのに、性懲りもなくまた近づくとは…………本当に困ったものだ。アイツは、我々の種族に掛けられたこの”呪い”のことを、よく知っているはずなのだがな……」
現在は兵士たちに掴まって、王城の地下にある牢獄に収監されている四天王の1人、アブラハム。そんな彼のことを捕縛するように指示を出したのは、メシエだった。その口ぶりからすると、メシエはランディーとアブラハムを遠ざけておきたかったようだが……。さすがに、毒物を服用させて殺すつもりまではなかったようだ。
その証拠に、次に彼はこんな言葉を口にする。
「……あいつらの結婚を簡単に認められれば、どれほど幸せな事か……」
そう言うと、窓とは逆の方向——壁や通路の向こう側にあるはずの世界樹の方角へと振り返るメシエ。そして彼は、壁の向こう側に話しかけるように——そして、懇願するようにこう言った。
「……せめて、ランディーだけは……あの娘の未来だけは、どうにかならないものでしょうか?」
そんな彼の言葉は、誰かに届くはずのものではなかった。なにしろ、部屋の中には彼しかおらず、その上、扉も分厚いので、彼の声が誰かの耳に入る可能性は微塵も無いはずだったのだから。
しかし、世界というものは、不可解な出来事に溢れているらしく……。次の瞬間、部屋の中に、メシエの言葉に対する返答のような声が響き渡る。
「……成すことを成せ。汝は汝のすべきことを。娘は娘のすべきことを……」
その言葉はもちろんメシエの耳に届いていたものの、しかし、それを聞いた彼が取り乱す様子は一切無く——
「……かしこまりました」
——彼は目を瞑ってそう短く答えると、その手を静かに握りしめた。
それを例えるなら、まるで——主人に逆らうことの出来ない奴隷のように……。
正直言うと、こういう書き方が嫌いなのじゃ。
じゃが書かねば切り口が付けられぬと思ってのう……。
仕方なく書いた、というわけなのじゃ?




