9.2-16 世界樹16
世界樹の幹を突き破るようにして、その中から流れ出てきた黒い川。それは、その場にいた者たちを容赦なく飲み込んでいった。
「うぎゃぁぁぁぁぁ!!」
「たすけっ……うあ゛ぁぁぁぁぁ!!」
「にげ……ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
その黒い川に呑み込まれた途端、断末魔を上げて、濁流に消えていくアルボローザの兵士たち。その際、悪魔族のメイドや執事たちが、飲み込まれなかったのは、日頃の特殊な訓練の賜か、あるいは単に運が良かっただけか。
そんな彼、彼女たちは、兵士たちの交代を助けながらも、必死な様子で黒い濁流と戦っていたようである。なにしろ、彼らの後ろにあるのは、魔王ベガが住まう王城。その場で虫たちを押さえることができなければ、昏睡状態の主を失ってしまうのは目に見えていたのだ。そこで戦うメイドや執事たちにとっては、まさに虫との戦争だった、と言えるかも知れない。
そんな戦場のど真ん中——というよりも最前線に、黒い濁流たちと真っ向から戦う、メイドでも執事でも、そして兵士でもない、4人の者たちの姿があった。
「リア!援護をお願いします!」
「……はい!」
「レオ!身体強化の魔法を使うぞ!」
「賢者さん!ボクにもお願いします!」
「いや……それはやめておいた方が……」
虫に追われて天空の足場から落ちてきた勇者たちである。
そんな彼らは、元の”勇者パーティー”だったころのように、息の合った戦闘を見せていた。勇者とユキが前衛に立って物理的な手段を用いて戦い、リアと賢者が後方で魔法を使い戦う、という陣形である。なお、賢者は天使化しており、リアの放つ火魔法と共に、強力な光り魔法によって、虫たちを蹂躙しているようだ。
「数が多い……!ニコル!どうにかなりませんか?!」ズドォォォォン!!
「どうにかって……私は元来、魔法使いではないから、他の天使たちみたいに大規模殲滅魔法は使えんぞ!レオとユキさんとで足止めをしている間に、私とリアで地道に潰していくしか、やり方は無いだろ!だが確かに……終わりが見えない以上、ジリ貧かもしれん……!」ドゴォォォォォン!!
「っ!しばらく耐えていれば、ルシアちゃんとかユリアさんとか、近くにいる他の人たちが気付いてくれるはずです!今は、戦闘に集中しましょう!」ズシャァァァァァ!!
「…………っ!」ドゴォォォォォ!!
迫り来る黒い影を相手に、今できる事を効率よく繰り返していく勇者たち。そんな彼らには、現状の戦線を維持することが精一杯だったようだ。
「手さえ開けば、無線機を使ってすぐに助けを呼ぶこともできるのですが……ここで手を緩めたりなんかしたら、リアも王城も大変なことになってしまいます……!」
「……まだ耐えられる!今はジッと期を見計らうしかない!」
「確かに、ボクたちはそれでも良いですけれど……リアさんは?」
「…………っ!」ドゴォォォォォ!!
「リア!大丈夫ですか?!」
「もう……ダメです!」
「「「えっ……」」」
リアの厳しそうな表情を見て、不安に駆られる勇者たち。現状、リアが限界を迎えると、その後で迎えるだろう絶望的な状況が、3人には手に取るように予想できていたようだ。
しかしである。
リアの言葉は、勇者の思っていたような意味とは、かなり違っていた。
「調整が……大変です!」
「「「……はい?」」」
「思い切り……やって良いですか?」ゴゴゴゴゴ
「えっと……はい、どうぞ?」
「ふぅ……。では、皆さん。少し我慢して下さい!」
「「「えっ?」」」
急に、雰囲気が変わった様子のリアに、戸惑う3人。なにしろ、彼女は、今まで吃り気味の話し方だったというのに、急に普通の話し方に変わったのである。
変化はそれだけではなかった。彼女の身体から、空間を歪ませてしまうほどの魔力が、不意に染み出てきたのだ。それを見て、戸惑わない方が難しいと言えるだろう。
一方の虫たちも、その異常な魔力には敏感に反応して、皆一斉に、リアへと、殺到したようである。もしかすると、彼らにとっては、彼女から染み出る魔力が、蜜のように見えていたのかも知れない。
だが、その行動は、彼らにとって、命取りとなる。
「えっと、魔法の名前は……別に良いですね」
リアがそう口にした瞬間——
ズドォォォォン!!!!
——と、彼女を中心として球形に広がっていく、魔力の壁。
それは単なる魔力。魔法としての形を与えられて、火や氷といった物理現象に変換されるその前段階の、純粋無垢な魔力の塊である。
本来、波としての性質を持っているはずの魔力は、しかし、異常に高密度だったためか——
「ぐっ?!」
「うっ?!」
「…………?」
——勇者たちの身体に、小さくない物理的な衝撃を与えたようだ。具体的には、海に深く潜った際に加わる水圧のような圧力が、彼らの身体に加わった、と表現すればどんなモノかは分かってもらえるだろうか。
それは人間にとって、それなりに苦しいモノだった。幸いだったのは、人が死ぬほどの圧力は無かったことだろうか。
そう。
人にとっては。
ブチブチブチブチ……!!
周囲から聞こえてくる、おぞましいとも表現すべき破裂音。
それが何の音だったのかは、言うまでもないだろう。




