9.2-15 世界樹15
「……あ、賢者さん……。やっぱり……生きていたのですね」
階段を降りきったところで、ボーッと空を眺めながら、地面に横たわっていた賢者。リアはそんな彼の姿を見て、安堵したような表情を浮かべながら、駆け寄った。
そんな賢者の隣にはユキもいて……。彼女はリアの行動に、どういうわけか苦笑していたようだ。
「リアさん……。ボクのことは心配してくれないのですね……」
「えっ……?えっと……ユキさん?大丈夫……ですか?」
と、取って付けたかのように、問いかけるリア。
その反応に対して、ユキが突っ込む。
「その質問、少し、わざとらしくないですか?」
「えっと……勇者様が……ユキさん……すっごく強いから大丈夫だ、って……」
「そうでしたか……。納得はできないですけれど……まぁ、いいです。確かに、身体を変えてからというもの、強くはなっているかも知れませんが、でも今回ばかりは、さすがに、死ぬかと思いました(そういえばボクって……どのくらいの高さから落ちても大丈夫なのでしょうか?)」
リアの言葉に対して相づちを打ちつつ、天辺の見えない世界樹に向かって、なんとも表現しがたい視線を向けるユキ。そんな彼女は、試しに、もっと高いところから飛び降りてみようかと考えて——しかし、怖くなったのか、結局止めることにしたようだ。
そんな2人の隣では、リアと共にやってきた勇者が、地面に寝そべっていた賢者に対し、状態を問いかけていた。
「ニコル……死んでいますね?」
「レオ……。それは、私が生きているのを分かっていて、敢えて聞いているんだよな?」
「もちろんです。挨拶みたいなモノですよ」
「まったく……。実際、1回——いや2回死んだというのに……。1回目はユキさんとぶつかって……で、2回目は地面に落ちて、色々とぶちまけて……」
「それは、お疲れ様です。ですが、そのおかげで、私もリアも、それにユキ様も、助かることができました。すべてはニコルのおかげです」
「お前たち2人は確かにそうかも知れないが、ユキさんは……正直、避けるべきだったんじゃないかと、今になって後悔している……」
「いえ、ユキさんがどの程度の高さからの落下に耐えられるのか分からない以上、ニコルが身体を張って落下速度を落としてくれたおかげで、事なきを得たのかも知れないではないですか。結論を出すのは早計かと思いますよ?」
「事なきを……な……」
勇者の言葉に対し、深く溜息を吐いて、上体を起こす賢者。その際、首を押さえていたのは、そこに何か違和感のようなものが残っていたためか。
ただ、それもごく短い時間のこと。彼は、回復モードから、戦闘モードへと頭を切り替えると、すぐに立ち上がり……。そして、勇者の方を振り返って、逆に質問をした。
「それで、虫たちはどうなった?階段に飛び移った後で、襲われなかったか?」
「はい。襲われたので、戦いながら後退してきました」
「全滅させたのか?」
「いえ。リアの援護があったのでかなり戦闘を有利に進められましたが……あまりに数が多かったために、逃げるのがやっとでした。おそらく彼らは、今もなお、私たち……いえ、リアのことを探しているのではないでしょうか?」
「…………」
「……何か心配事でも?」
勇者の報告を聞いた直後から、どういうわけか口を閉ざして、そして考え込んでしまった様子の賢者。そんな彼の行動に、報告した本人である勇者は、眉を顰めながら問いかけた。
すると賢者は、ややあってから、何かを思い出すかのように目を閉じて……。そして話し始めた。
「……”虫”とは、一説によると、お互いの匂いに敏感な生き物なのだそうだ。特に、攻撃的な虫——例えば、蜂などは、その傾向が顕著で、仲間が傷つけられたり、殺されたりすると、仲間の体液の匂いを辿って、殺った犯人を突き止めるらしい」
「つまり……あの虫たちは、仲間殺しに敏感かも知れない、と?」
「まぁ、可能性の話だがな。だが、攻撃的な虫というのは、戦闘のために特化した何かしらの特徴を持っているはずだ。まさか、顎が強靱というだけの特徴しか無いなど、あるまい」
「…………」
賢者の話を聞いた勇者が、思わずその眉間の皺を深くした——そんな時の事だった。
ズドォォォォン!!
その場に大きな音が響き渡る。それは何も、そこにいた虫に対して、勇者が鉄パイプを振り下ろしたから、というわけでも、再び上から元魔王が落ちてきて賢者を押しつぶしたから、というわけでもない。世界樹の幹が爆ぜるようにして吹き飛んだのだ。
そして、そこから——
カサカサ……
ぷぅ〜ん……
——という生理的な嫌悪を及ぼすような音が聞こえてくる。
それも、まるで、世界樹の壁面から闇が溶け出して、真っ黒な川を作るかのような光景を作り出しながら……。




