9.1-32 黒い虫32
そして、アルボローザの国を、いよいよ夕闇が包み込み始めた。ミッドエデンの者たちがアルボローザにやってきてから、ついに3日目の夜が訪れたのである。
そう。アルボローザ王国主催で、晩餐会を開く予定の夜が……。
「長いようで……短かったのう?木酢液を作っておったら、一瞬で3日が通り過ぎていったような気がしなくも無いのじゃ」
と、この3日間の出来事を思い出しながら、一人感慨にふけていた様子のテレサ。
そんな彼女の様子を見て、何か思うことがあったのか……。そこにいたベアトリクスが、彼女に対してこんな質問を投げかける。
「テレサ?一つ良いかしら?」
「何じゃ?ベアよ」
「テレサは、着替えないのですの?」
テレサたちに割り当てられた来賓室。そこには、テレサとベアトリクスの他にも、姉たちのところから戻ってきたルシアや、イブとローズマリーたちの姿があって……。皆、パーティー向けの衣装に身を包んで、執事かメイドたちが呼びに来るのを待っていたようである。
ただ……。
敢えて燕尾服を来ていたルシアや、メイド服姿がデフォルトなイブは置いておくとしても、テレサもどういうわけか着替えていなかったようだ。
「ふっ……妾が何故着替えないのか、不思議に思うかの?それはのう……この服を脱ぐと……すごいからなのじゃ?」
「す、すごい……?!」ごくり
「……いや、冗談じゃからの?単に、ここの城には、尻尾を3本分通すことのできる服が無かっただけなのじゃ。まぁいいじゃろう?ミッドエデンの晩餐会では、普段からこの格好じゃし……」
「そういえばテレサ、尻尾が3本生えていましたものね……。ちなみに、普段は、どうやって通しているのですの?」
テレサだけでなく、この世界にいる尻尾の生えた獣人たちの服には、ほぼ例外なく、腰の部分に、尻尾を通すための穴が開けられていた。ただ、一般的には、尻尾が1本ギリギリで通るか通らないか、その程度の穴しか開けられていなかったのである。端的に言うと、他人に尻尾の付け根を見せるという行為は、恥ずかしいことだったのだ。
とはいえ、わいせつ的な行為に当たるかというと、そういうわけでもなく……。敢えて尻尾の付け根を強調して出すようなデザインのドレスも無くはなかった。今、ベアトリクスが着ているドレスなどは、その典型例と言えるだろう。
だが、そういった色気とは無縁なテレサには、自身の尻尾の付け根を見せるなど、まるで関係の無い話で……。彼女の服に開けられていた尻尾用の穴は、3本分ギリギリしか開けられていなかったようだ。魔法を使うと最大で2本減るので、ブカブカに作るわけにもいかなかったのだろう。
そんな服の穴に、狐の獣人特有のふっくらとした尻尾を、いかにして3本も通すというのか……。ベアトリクスには、物理的に不可能だとしか思えなかったようだ。
その疑問に対し、テレサが実演しながら(?)、説明する。
「方法はいくつかあるのじゃが……妾の服には調整用のチャックが特注で付いておるから、それを開いて尻尾を通してから、また閉める、というのが普通の方法かのう。それ以外にも……」スポンッ「こんな感じで一本一本、尻尾を外してから付け直すこともあるのじゃ。まぁ、そのときの気分で変えるのじゃ?」スポッ
「「「「…………」」」」
「む?何じゃ?主ら。妾の尻尾が欲しくなったのかの?……残念じゃが、これは非売品じゃから、誰にも渡せぬのじゃ?」
そう言いながら、3本の尻尾を、ブンブンとバランス良く交互に振るテレサ。どうやら彼女のその尻尾は、機械的な仕組みと、魔法的な仕組みが同居する、ハイブリッドな尻尾だったようだ。むしろ、その器用な動かし方を見る限り、"触手"と言っても過言ではないかもしれない……。
ちなみに。
そこにいた者たちの中には、確かに、テレサの尻尾を強く所望する人物がいたものの……。その大半が微妙そうな様子で、眉を顰めていたようである。——そのうち、その辺の道ばたに、テレサの尻尾が落ちているという凄惨な事件(?)が起こるのではないか……。もしかすると、皆、そんなことを考えてたのかもしれない。
「……テレサ?」
「……やらぬ」
「そこをなんとか……」
「この尻尾は妾のあいでんてぃてぃーなのじゃ。これを取られたら、妾は狐ではのうて、ただのヒューマノイドになってしまうのじゃ?ちなみに……」スポンッ「……獣耳も取れるのじゃ?」スポッ
「……どれか一つで良いから譲ってくださらないかしら?家宝にしますわ?」ごくり
「じゃから、非売品と言っておるのじゃ……」
と、テレサが自身の身体のパーツが自由に外せることをベアトリクスに自慢しているその隣では……。
話に付いていけなくなった他の3人が、別の話題で会話をしていたようだ。
「そういえば、ルシアちゃん?さっき、どこ行ってたかもなの?」
ランディーの酒屋から王城へと移動した際、いったんは皆で、この来賓室までやってきたルシア。そんな彼女は、部屋に着くや否や、ワルツに連れられて、どこかへと姿を消したのである。そんな彼女が一体どこで何をしていたのか、イブには興味があったようだ。
なにしろ、ここは、ミッドエデンの敵国とも言える国。そこでミッドエデン最強の魔法使いが、その姉と共に消えたのである。それを気にしない方が、無理だと言えるだろう。
その質問に対し、ルシアは、すぐに返答しようとしたものの……。しかし、姉たちがベガのことを話しているとき、何故か小声になっていたこと思い出して、出かかっていた言葉を、一旦飲み込んだようである。どこまで話して良いものか、彼女には判断が付かなかったようだ。
そんな彼女の様子を見て——
「「…………?」」
——事情をまったく知らなかったイブも、ローズマリーも、ルシアがどうして急に黙り込んだのか分からず、首を傾げてしまったようである。とはいえ、何も分からなかった、という訳ではなく、ルシアが何かを隠そうとしていた事だけは分かったようだが。
それからルシアは、そこで何故か目をキラキラと輝かせていた2人に対し、適切な言葉が見つからなかったのか、逆にこんな質問を口にした。
「そういえば……ここの魔王様のベガさんって人、今のところ、ミッドエデンから来た人たちは、誰も見てないって話だったけど……元気なのかなぁ?」
その言葉は、ルシアにとって、自身がしていたことの、大雑把な説明のつもりだった。ベガがどんな状態にあるのか、一言も言っておらず、その上、そのベガのことを救おうとしている姉たちに協力してきた自分の行動とも、少なからず関係していた話題だったのである。
それを口にするだけで、賢いイブなら、事情を察してくれるはず……。ルシアは、そんな期待を持って口にしたのだろう。
だが……。
聡明すぎるイブは、ルシアの期待とは裏腹に、逆に迷走を始めたようである。
「……ま、まさか?!」
「うん?」
「どうしたです?イブ師匠?」
「イブ……ルシアちゃんの言葉で、全部分かったかもだよ?ルシアちゃん……”勇者”としての務めを果たしてきたかもなんだよね?」
その言葉を聞いた瞬間——
「…………!」びくぅ
——イブが言わんとしていた言葉を察して、合点がいったような表情を浮かべるローズマリー。
一方、ルシアの方はというと、イブの言葉を——
「勇者の務め……?(マナを作って、世界樹を助けることかなぁ?)んー、確かに、勇者の務めかもしれない」
——と、上手い具合に、的を外して誤解していたらしく……。イブが想像していた本当の内容には、気づいていなかったようである。——すなわち『魔王ベガのことを痛めつけてきた』、と。
その結果、彼女は、とある問題に巻き込まれることになるのだが……。
それはもうしばらく先の話である。
ここで書きたいことが山ほどあるのじゃ。
実際、何度か書いては消してを繰り返したのじゃ?
じゃが、それを書くと、ネタバレになる可能性があってのう……。
今日は余計な事は書かずに我慢するのじゃ……。
……なお。妾の尻尾は触手ではのうて、ただの尻尾なのじゃ。
そう。
ただの、のう……。




