4前-10 反省
天使がワルツによって消されてから、空は元のように晴れ渡り、初夏の空気を感じさせるような暖かな風が戻ってきていた。
一方、天使との戦闘によって生じた傷跡が消えたわけではない。
平だったはずの教会の広場は、見る陰もなく、デコボコになってしまっている。
尤も、そのほとんどはワルツが重力制御によるものだが。
そんな教会の広場の一角で、テンポはカタリナの手当を受けていた。
「申し訳ありません、カタリナ」
カタリナのことを呼び捨てにするテンポ。
「いえ、私の大切な仕事なので」
と、気にした様子はないカタリナ。
カタリナにとっても、テンポにとっても、お互いに同じ細胞を有するコピー同士のような関係にある。
故に、この二人の間ではお互いの呼び方などはどうでもいい話なのかもしれない。
「・・・はい、これでおしまいです」
「助かります」
どうやら、テンポの治療が終わったようだ。
結局、テンポが受けた傷は、大きいとは言え単なる切り傷だったので、組織の欠損や崩壊が無い以上、回復魔法で十分に修復可能なレベルであった。
出血も、テンポが自ら応急処置を施したこともあって、命の危機に陥るような量ではなく、生理食塩水の点滴程度で対応することが出来た。
というわけで、テンポの容態に問題はない。
だが、カタリナの表情は重かった。
「リペア・・・ですか・・・」
ふと、天使が使用していた魔法を呟く。
自分の知らない修復魔法に、何か思うところがあったようだ。
「今のままでも十分ではないのですか?」
彼女が何を考えているのかを察したのか、テンポはカタリナに問いかけた。
だがそれは、本心で言ったわけではない。
ワルツの弟子である以上、十分、という言葉は存在しないのだから。
「いえ。できることがあるなら、私はやってみたい」
どうやら、カタリナの中では、これからの道筋が見えてきたようだ。
テンポは、そんな姉の様子を暖かく見守るのだった。
「ううん・・・」
狩人が目を覚ます。
「・・・はっ!天使は?!」
そう言ってから、周りの様子を見て、そして理解する。
「(そうか・・・終わったのか・・・)」
周囲の状況が戦闘の激しさを物語っていたが、仲間たちは全員無事だった。
一方で、天使は居ない。
そこから、天使との戦闘に勝利したと判断したようだ。
視界の端のほうで、ワルツが腹を抱えてのたうち回っているが、カタリナが放置しているところを見ると、大したことはないのだろう、と狩人は納得する。
狩人は立ち上がり、一人、離れたところに居たルシアの横に座った。
ルシアはまだ、気を失ったままである。
ルシアの横に来たのは、特に理由があったわけではない。
単に、一人だけだと寂しいか、と思っただけだ。
そして狩人はひとり考える。
「(私に何かできることはあっただろうか?)」
勇者を超える圧倒的強者を目の前にして、狩人は何も出来なかった。
もしも、準備万端で戦闘を始めたとして、果たして勝てる相手だったろうか。
狩人の頭の中では、様々なシチュエーションで戦闘が展開されていくが、どのパターンでも自分が天使に一撃を入れるイメージが湧いてこなかった。
「(私に足りないものは何だろう?)」
何よりも、どうすれば皆の役に立てるのか。
これから先、狩人は悩み続けることになる。
しばらく狩人が悩んでいると、隣でルシアが目を覚ます。
「・・・」
しばらく目をパチクリとした後で、はっ!、と起き上がった。
どうやら狩人と同じく、周囲の状況を確認しているようだ。
狩人と違う点は、掌に光の粒を集め始めたことか。
「もう終わったぞ?」
狩人がルシアを止める。
「えっ・・・そう、なんだ・・・」
ルシアは手の魔力を霧散させると、ゆっくりと地面に腰を下ろした。
その際、地面に空いた大きな穴の向こう側で、姉が何故かピクッピクッと痙攣しているのが気になった。
だが、それを誰も指摘しないので、問題ないのだろう、と思うことにしたようだ。
「・・・」
「・・・」
しばらくの間、二人の間に無言の時間が続く。
どうやらルシアも、自分のあり方について考えているらしい。
「町中じゃなければもう少しマトモに戦えたかもしれないけど・・・」
独り言のようにルシアが呟く。
「でも、何も出来なかった・・・」
攻撃しても、すぐに回復する天使。
そして、どんな攻撃でも無効化してしまう能力。
薄っすらとした記憶だが、突如として何もない空間から刃が飛び出してきたことも覚えている。
ふと、自分の胸に目をやると、その攻撃の跡なのか、かすり傷のようなものがあったので回復魔法をかけておいた。
ルシアから見ても相当に強い相手。
一体、そんな相手にどうやって戦えばよかったのか。
ルシアも人知れず、悩むことになるのである。
(く、苦しい・・・死ぬぅぅぅ・・・)
・・・ワルツは皆とは違う事で悩んでいた。
流石に、石や土を食べるのは拙かったか、と思っても後の祭りである。
せめて、木や草にしておけばよかった、と後悔していたのだ。
どちらにしても腹痛は避けられないのだが。
(お姉ちゃんに地面に落ちてるものを食べちゃダメって言われたけど、こういうことだったのね・・・)
痛みからなのか、元からなのか、思考がおかしくなったようだ。
しばらくの間、地面に這いつくばりながら腹痛に悶絶していると、痛みがようやく治まってきた。
「ふぅ・・・」
まるで、一仕事を終えた農夫のように、汗を拭う素振りを見せながら立ち上がるワルツ。
その顔には、どこか清々しいものがあった。
もちろん、汗など掻かないが。
そして、辺りを見回す。
すると、どうも顔が冴えない仲間達、凸凹になった地面、そして物陰に隠れながらこちらの様子を伺う教会関係者の姿が眼に入ってきた。
(後者二つはどうでもいいとして、問題はみんなね)
「じゃぁ、みんな集合!」
治療を終えたテンポ、彼女を治癒したカタリナ。
意識を取り戻したルシアと狩人。
全員を一度、集める。
「みんな大丈夫?」
暗い表情・・・というよりどこか思いつめた表情をした仲間たちに、飽くまで明るく問いかけるワルツ。
仲間達はワルツの顔を見て、堰を切ったように一斉に口を開いた。
『もっと強くなりたい(です)(お姉さま!)』
まだ、戦闘が終わってから30分と経っていないのに、強くなりたい、と言う仲間達。
言い合わせたわけではなかったが、皆が同じことを言ってしまったことに苦笑するのだった。
そんな皆の言葉に、内心でワルツは悩んだ。
(天使って勇者よりも強かったんじゃない?そんな存在よりも強くなりたいって、一体、何と戦う気なのかしら?)
仲間達は、自分が戦いの中で仲間の役に立てるように、今よりも強くなりたいといった意味で言ったのだ。
だが、ワルツは天使よりも強くなりたいと捉えたらしい。
何れにしても、ワルツを見る仲間達の視線は真剣なものだった。
真剣な言葉には真剣に答えなければならないだろう。
ワルツは髪の色を白く変え、虹彩も蒼色に変化させた。
「・・・大変な道程になるわよ?」
その問いかけに躊躇した者は居ない。
仲間全員が深く頷くのだった。
こうして、ワルツ達は『楽しい修行の旅』から『過酷な修練の茨道』を歩むことになる。
・・・とはいっても、ワルツ自身が面倒事を避けるというスタンスを変える事はないので、飽くまでも旅は楽しむものとして進めていくつもりであった。
尤も、ワルツの望みと、仲間達がどう行動するかは別の話ではあるが。
ところで、ここは王都の中である。
天使との戦闘で轟音や閃光などをまき散らしており、近隣住民には多大な迷惑をかけたことだろう。
つまり、王城に住まう騎士や王家にも迷惑をかけた、ということだ。
「というわけで、逃げるわよ!」
何が、というわけなのか、理解できない仲間達。
だが、逃げると言うワルツの言葉は理解できた。
しかし、先程まで、『強くなりたい』という話をしていたというのに、舌の根も乾かぬうちに『逃げる』とはこれいかに。
狩人が口を開く。
「しかし、ここは戦うべきでは?」
周りの仲間達も、同じ考えのようだ。
その様子を見たワルツは、
「ここで、騎士たちの相手をするということは、この国に喧嘩を売ることになるけど、いいの?アルクの村やサウスフォートレスには帰れなくなるわよ?」
と答えた。
つまり、指名手配される、ということだ。
すると、考えこむ素振りすら見せず、狩人は言う。
「とっくに、覚悟はできている」
どうやら、他の者達も同じらしい。
このメンバーの中でも、指名手配されると一番影響があるのは伯爵令嬢の狩人だ。
その当人が、問題ない、と言っているのだから、構う必要は無いのかもしれないが・・・。
だが、狩人を仲間として迎えるとき、ワルツは伯爵夫妻に『責任をもって守る』と明言した。
これは、物理的な怪我から守るだけではなく、社会的なキズからも守ることを意味しているのだ。
つまり、狩人に前科者というレッテルを張るわけにはいかなかったのである。
そもそも、狩人が前科者になるだけで済めばいいが・・・。
もう一つ、ワルツには指名手配されたくない理由があった。
アルクの村の工房である。
工房を作るまでに、たったの1ヶ月とはいえ、相当な苦労があったことは間違いない。
これまでの苦労を捨ててまで、国に喧嘩を売る意味はあるのか。
故に、ワルツは決める。
「みんなの気持ちはよく分かったわ」
そう前置きを入れた。
そして、深呼吸をして告げる。
「だけど、今回は逃げた方が得策だと思うの。狩人さんやアレクサンドロス伯爵夫妻には迷惑をかけられないし、それに工房のことだってあるわ。(酒場の)店主さんにはたまに帰るって言ってあるしね。だから、今回は退きましょう」
ワルツの言葉に難しい顔をする仲間達。
「・・・そうだな」
意外にも、ワルツの提案に最初に同意したのは狩人だった。
自分の親のことを思い出したのか、苦笑する狩人。
他のメンバーも同じように、考え直したらしい。
「じゃぁ、逃げましょうか」
こうして、一触即発だったワルツ達VSミッドエデン王国の戦いは回避されたのだった。
もちろん、それだけでは終わらないのだが。