9.1-17 黒い虫17
『ねぇ、お姉ちゃん?今から、お姉ちゃんたちがいる王城に、虫を放しに行きたいと思うんだけど……いいかなぁ?』
『……ごめんルシア。ちょっと、何言ってるか分からないんだけど……』
王城の来賓室で、四天王の一人であるアブラハムの容態を伺っていると、ルシアから飛んできた無線機の通信。その内容があまりにも唐突すぎて、ワルツは耳を疑う以前に、戸惑ってしまったようだ。
『虫を放すって……何?』
『えっとねー……テレサちゃんがお酒屋さんで作った虫除けの効果を試したいからって、ユリアお姉ちゃんたちに、虫をたくさん捕まえてきてもらったの。だけど、虫除けのテストする場所が町の中にはなくって、王城なら開けてるから良いっかなぁ、って話になった?』
『まぁ……確かに、町の中でばら撒くくらいだったら、王城に来てやった方が良いかもしれないわね。っていうか、何?テレサ。もしかして、蚊取り線香でも作ったの?』
『何かねぇ、テレサちゃん、”もくさくえき”って言ってたよ?』
『それ、虫除けは虫除けだけど……園芸用のやつじゃないの?』
『んー、私にはよくわかんないから、後でテレサちゃんに直接聞いてくれる?』
『しゃぁないわね……。いつ来る?』
『今!』
『おっけー。じゃぁ、待ってるわね?』
そんな返答をして、通信を切るワルツ。ずいぶんと適当な内容の会話に聞こえるが、これがこの姉妹の普段のやりとりである。
それからワルツは、自身に内蔵された無線通信システムから、外の世界へと意識を向けると、そこにいたカタリナに対して視線を向けた。
「どう?治りそう?」
「もう少しかかりそうです」
「そう……。原因は?」
「調べた感じですと、服用してからしばらくたって効果が出る”毒”だったようです。どうやって何を飲ませたかまでは分かりませんが……おそらく、私たちのところで殺害することが目的だったのではないでしょうか?」
「なるほど……。だから、ここの兵士が、突然押しかけてきたのね……」
と、口にしながら、部屋の入り口の方へと視線を向けるワルツ。
そこには、自身の槍を支え棒にして、ドアを押さえる水竜の姿があって……。彼女は——
「開けなさい!」
「開けよ!これはベガ様からの命である!」
「開けぬ!ここから先は、メシエ様より賜った不可侵の領域!何人たりとも、これより先は進ませぬ!通りたければ、力尽くで押し通るが良い!!」
——と、タイミング悪くやってきた兵士たちを、部屋に入れさせまいと、奮闘していたようである。
「あと少しで良いから持ちこたえてね?水竜」
「御意に!」
ワルツに対し嬉しそうに返答してから、扉を押さえる手へと力を込める水竜。
その様子を見届けたワルツは、未だアブラハムの治療を続けていたカタリナへと視線を戻した。
「で、どんな感じ?時間が掛かりそうだったら、一旦、この場から撤収するっていうのも手だと思うけど?」
「いえ……来ました」
カタリナがそう口にした——その瞬間だった。
「うぅ……」
力なく倒れていたアブラハムが、意識を取り戻したようだ
そんな彼は、最初の内、ぼんやりとしていたようである。毒のせいか、あるいは眠っているのと等しい状態だったためか、頭が回っていなかったらしい。
だがそれも、短い時間のこと。次第に彼の意識は、はっきりとしていき——
「……はっ!?わ、私は何を?!」
——まるで、何も無かったかのように、単に寝坊したことに気づいたかのごとく、飛び起きたようだ。
「え?何をしたかって?今にも死にそうになってただけよ?」
「えっ……?!」
「いや、別に、私たちが、貴方に手を掛けようとしたわけじゃ無いからね?むしろ助けてあげたくらいなんだから。カタリナに感謝しなさいよ?」
「は、はあ……。カタリナ様……助かりました……」
「いえいえ」
そう言って、アブラハムに対し、謙遜の態度を見せるカタリナ。
そのやり取りが終わってから、ワルツは本題について切り込み始めた。
「それで貴方。なんか毒を飲まされてたみたいだけど……心当たりは?まぁ、あえて聞かなくても何となく分かるけどね……(どーせ、例の施術師に……)」
「ここに来る前、精神が落ち着く薬を飲んで参りました。それがもしかすると、それが毒に差し替えられていたのかもしれません……」
「(それが元々毒だったんじゃ……)」
「(向精神薬ですか……。よほど、ワルツさんのことが、苦手だったんですね……)」
アブラハムの言葉を聞いて、それぞれに異なる理由で、目を細めるワルツとカタリナ。そんな彼女たちは、この瞬間、少しだけ考えを改めていたようである。アブラハムが口にしたという精神安定剤。それが毒では無く、本物の薬で、単に、アブラハムが大量に飲みすぎてしまっただけではないのか、と。
彼がどんな種類の精神安定剤を口にしたのかは、2人には分からなかったが、その種類と用量によっては、心臓に大きな負担が掛かってしまう種類の薬剤が無いとも言い切れなかったのだ。
しかし、その可能性に気づいていても、ワルツは敢えて問いかけることにしたようである。
「こんなことを言うのは、貴方にとって聞き捨てならないことかもしれないけど……その薬、例の施術師が取り替えた可能性とか、無いわよね?」
”施術師”がベガを救えない……。それに気づいたアブラハムのことが、何らかの意図を持って暗躍していた”施術師”にとっては邪魔だった、という可能性は十分にあり得る話だった。それも、ワルツたちのところでアブラハムが死んだなら、前科のある彼女たちが殺したことにできるので、不自然な点は少なく、非常に都合が良いと言えたのである。
ワルツもカタリナも、その可能性が一番高い、と考えていた。自分たちは政治的な道具に使われたのだ、と
だが、アブラハムの考えは、彼女たちとは真逆だった。
「……それだけは絶対にありません。断言できます」
「「えっ……」」
「あの方は……あの方は、ベガ様をお救いになれないかもしれませんが、私たちのことを救ってくださることはあっても、殺すことなど、絶対にありません」
「えっ、そんなこと言っても、現に貴方……」
と、ワルツが反論しようとした、そんな時のことだった。
「ぬ、主様!申し訳ございません!や、尻尾が限界で……あ゛っ?!」
バキッ……ドゴォッ!!
「開いたぞ!」
「アブラハム様を拘束しろ!」
水竜が支え棒として使っていた双頭槍が、限界を迎えて、ドアから外れてしまったようである。その槍は、本来、彼女の尻尾の一部で、彼女が元のドラゴンの姿に戻った際には、身体の一部として吸収されるのだが……。幸い、彼女の槍が折れるようなことは無く、ドアが開かれた反動で、その場に転がってしまっただけのようである。まぁ、兵士たちに踏んづけたり、蹴飛ばされたりして、部屋の片隅の方へと吹き飛んでいったようだが。
その結果、アブラハムは、兵士たちに拘束されることになってしまった。そんな彼には、抵抗する様子は無く。彼はおとなしく兵士たちに連れて行かれたようである。
ただし、何も言わずに連れて行かれたのでは無く、こんな言葉をその場に残して。
「……ワルツ様、カタリナ様。ここで、お別れです。後のことは……お願いいたします」
「まさか、あんた……こうなることが分かっててここに?!」
自分たちに小さく笑みを残して、連れて行かれるアブラハム。そんな彼に対し、ワルツは、そんな質問を投げかけたものの……。彼がその問いかけに答えることはできなかったようだ。
一つだけ補足させてもらうのじゃ。
……なぜ、アブラハムは死にかけたのか。
あまりに短時間で兵士たちがアブラハムのことを拘束していったゆえ、結局、原因はわからずじまいなのじゃ。
精神安定剤の飲み過ぎによる影響なのか、あるいは薬が毒に差し替えられておったのか……。
ただ、いずれにしても、アブラハムの元に兵士たちがやってくるということだけは、確定しておったのじゃ。
それだけ言えば……まぁ、答えは出ておるようなものじゃろう。
何が原因でアブラハムが倒れたとしても、結論は同じなのじゃからのう。
あともう一つ、書きたいことがあって書けなかったことがあるのじゃが……それを書くとネタバレになってしまうのじゃ。
じゃから、どんなことを書きたかった、とだけ記しておくのじゃ?
……どうしてアブラハムは、精神安定剤を飲んだのか。
さぁの?




