4前-08 闇?
壁際に横たわるルシアを目の前にして、天使は後ろに異様な気配を感じた。
「誰です?」
振り向きざまに誰何を問う。
だが、返答はない。
天使が振り返ると、後ろには見たことのない髪の色をした女性がこちらを向いて俯き佇んでいた。
故に、顔や表情などを窺い知ることは出来ないが、明らかなことといえば、圧倒的な殺意が自分に向けられていることだろうか。
「ふむ」
だが、敵意や殺意だけで、天使を止めることは出来ない。
それに、並の攻撃では無効化できるし、攻撃を受けても再生できる。
天使とは神に作られた究極の兵器なのだから。
「まぁいい」
天使は、そんな女性の殺意に、身の危険を感じてはいなかった。
そもそも、魔力を感じないのだ。
魔法も使えない目の前の女性が自分に対して何ができよう、そう考えた天使は再びルシアの方を向いた。
だがその瞬間、
ボフン!
という音を立てて、黒髪の女性を中心に半径20mが内側に消失した。
天使を巻き込んで、だ。
カタリナは一部始終を見ていた。
真っ黒なワルツが視界の中で歪んだと思った瞬間、周囲のありとあらゆるものが消えた。
彼女を中心にして、地面、建物が円を描くように綺麗に無くなったのだ。
次の瞬間、黒い粒子のようなものが天高く登っていくと共に、まるで爆風のような強い風がワルツに向かって流れていく。
とはいえ、一瞬のことであるが。
カタリナは、一時的に耳が痛くなったので耳を抑えていたが、直ぐに収まった。
「えっ・・・いったい何が・・・」
地面や建物は、まるで切られたかのような滑らかな表面をしている。
抉られた地面下からは地下水のようなものが滲みでており、穴の中に溜まっていた。
そんな異常な光景が広がっている中、先ほどまでワルツと相対していた天使の姿はなく、自分、狩人、ルシア、それにいつの間にか遠いところに移動していたテンポの仲間全員が無事であった。
つまり、ワルツの攻撃によって目の前の大穴が開けられた、ということだ。
カタリナは、その事に気づいて声を上げる。
「ワルツさん!」
だが、その声が発せられると同時だった。
サクッ・・・
再び、白い刃が異空間から姿を表し、今度はワルツを貫いた。
「っ!!」
2度目とはいえ、突然の出来事に驚くカタリナ。
「思いの外、貴方は危険ですね」
そんな声がして、刃の根元付近から天使が現れた。
「貴方のお相手を先にいたしましょう」
サクッ・・・
そう言って、二本目の刃をワルツに突き立てた。
どうやら天使は、ワルツの攻撃を異空間に逃げることで回避したらしい。
だが、天使が回避して、攻撃の優先順位を変えるほどの攻撃である。
カタリナは、自分には考えも及ばない攻撃だったのだろうと推測するのだった。
ところで、カタリナは安堵していた。
天使の攻撃がワルツを貫いた事には驚いたが、彼女の正体を知っているカタリナにとっては、何ら問題ではない。
何よりも、2回も刺されたというのに血の一滴も流れていなかったのだから気にするほどのことでもない。
では、カタリナは何に安堵したのか。
それは、真っ黒に染まってしまったワルツが・・・笑みを浮かべたことに、である。
それも、いつものワルツの笑みだ。
カタリナの最大の懸念事項、それは真っ黒になってしまったワルツそのものにあった。
ワルツの理不尽さは分かっているし、ここが街なので、戦うために力を抑えなくてはならないことも知っていた。
だから、これまで見たことの無い、真っ黒な姿になった彼女を見て、怖くなったのだ。
まさか、我を忘れて暴走してしまうのではないか、と。
だが、ワルツが今、浮かべている笑顔は、彼女が悪巧みを考えている時の笑顔そのものだった。
その証拠に、
「カタリナ、テンポをどうにかしてあげて」
と、いつも通りの彼女の言葉が飛んできた。
「はい!」
カタリナはワルツの言葉に元気よく応じるのだった。
ワルツの眼前では、様々なエラーの表示が浮かび上がっては消えていっていた。
(危なっ・・・もう少しで、世界を滅ぼすところだったわ・・・)
エラーの中には
《対消滅爆弾使用 Y/N? N リジェクト》
《縮退炉ブースト Y/N? N リジェクト》
などという表記もあった。
つまり、この惑星消滅までギリギリのところだったのだ。
何れにしても、ワルツの脳内Nキー連打によって、この世界が壊滅する可能性は回避されたのだが。
(だけど、悩んだ甲斐があったわね)
そもそも、こんなことになったのは、目の前の天使がルシアやテンポを傷つけたのが原因である。
まるで、こちらが王都への攻撃が出来ないということを分かっていて、あざ笑うかのように攻撃を加えてくる天使に、怒り爆発寸前、という状態だった。
だが、ワルツはそんな怒りを、仲間を守りきれなかった自分の不甲斐無さで上書きした。
次々と浮かび上がってくる怒り、そしてそれを上書きする情けなさ。
それが限界に達して、行動が取れなくなったのだった。
髪の毛や眼の色が闇色に染まったのも、限界に近いワルツの心を反映してのことだ。
だが、その中でもワルツは考え続けていた。
狙われているルシア、それにカタリナ達をどうすれば天使の攻撃から救うことができるのか。
結論から言ってしまえば、天使のヘイトをワルツに溜めることが出来れば、少なくとも、味方に攻撃が向かうことは無くなる。
だが、天使は魔力の強いものを優先的に攻撃する傾向があることを薄々感じていた。
まぁ、テンポはずっと刃を掴んでいたので、狙われても致し方無いのだが。
要は、魔力を保たないワルツがどうやって天使のヘイトを集めるか、これが問題だった。
故に、既に真っ黒になった髪だけでなく、眼も黒く、服装も暗めにして、想像上の魔族(あるいは魔人)を表現した。
更には、火器管制システムのロックオンの内、全体の70%程を天使に向けてターゲッティングし、普通の人間ならショックで即死するのではないかというレベルでプレッシャーをかけた。
そこまでやってようやく天使は振り向いた。
どんだけ鈍感なのよ・・・、と一瞬、ラノベのヒロインの主人公に向ける感情が理解できたワルツだった。
どちらかというと、ヤンデレだろうか。
それはさておき、それでもヘイトを集めるには足りなかったので、今度は
《反重力リアクターブースト Y/N Y アクセプト》
と、機能限定を解除し、周囲の空間ごと圧縮、蒸発させたのだ。
あわよくば天使ごと巻き込もうと考えていたが、異空間に逃げられてしまい、結局、傷を与えることはできなかったが。
こうして異空間に逃れた天使によって、ワルツは身体を貫かれる事になってしまったのだ。
だが、それは、ワルツにとっては好都合だった。
二つの刃を身体に刺さったまま掴むワルツ。
そして、ブーストされた重力制御を用いて短い杭を作り出し、刃を貫いて、何もない空間に固定する。
ディメンションアンカー。
これで、天使が異空間に逃げることは出来ないはずだ。
「っ?!」
突如として自分の腕が激痛とともに動かなくなったことに気づいた天使。
「じゃぁ、消えてもらうわね」
と言って、ワルツは先ほどのように、自分の体の周囲を歪ませていき・・・
ボフン!
再び、空間を削った。
周囲の地面だけでなく、空気すらも圧縮し、小さな球体に押しとどめていく。
すると、真っ黒い球体は細く伸びて霧のようになり、先ほどのように天高く登って行き、消えた。
何が起こったのか。
結論から言えば、超圧縮によるブラックホールの生成とその蒸発である。
蒸発といっても、本来は爆発を伴うので、惑星の外側までワルツの重力制御を用いて吹き飛ばしたのだ。
故に、空に登っていくように見えるのだが、内部ではトンデモないエネルギーの濁流が渦巻いていることだろう。
さて、ターゲットはどうなったのか。
よく、相手にダメージを与えられたかどうかを表現するために、『手応え』という言葉が使われるが、重力制御による攻撃に手応えなどは無い。
故に、どうなったのかは目視で確認するしか無いのだが・・・。
「はぁはぁ・・・」
ワルツから20m程度離れた穴の縁に、両腕を失った天使が荒い息を吐いて、立っていた。
「リペア」
すると、みるみるうちに再生していく天使。
「そう・・・引きちぎったのね」
どうやら、無理矢理に腕を引きちぎって回避したらしい。
腕の再生を終え、天使は再び涼しい顔に戻る。
「やはり、貴方が一番危険そうだ」
今度は近づいて攻撃することをやめたのか、長距離で攻撃を仕掛けてくるらしい。
ワルツに向かって、無数のビームを撃ってきた。
だが、飛んできたビームを、再び圧縮し、惑星外に排出するワルツ。
ある意味、芸がないが、これ以外の方法だと、人体に有害なガンマ線などの放射線が周りの仲間達や町の住人に降り注ぐ恐れがあるので、迂闊な方法は選べない。
「ならこれは?」
ワルツが天使のビームを処理している間に、カタリナの真後ろに移動していた天使。
どうやら、カタリナを人質にするようだ。
「迂闊な事をすると、この方の命は保証できませんよ」
『首と胴体が永久にお別れすることになる』と言わない辺りは、流石、神の使いだろうか。
「・・・」
再び、俯くワルツ。
「・・・ワルツさん。私に構わずに攻撃して下さい!」
首元に、腕から生えた新しい刃が当てられているというのに、素手で刃を掴むカタリナ。
そのせいで、首元と手から出血している。
そしてカタリナの目は本気だった。
それでも、依然としてワルツは俯いたままだ。
「では、大人しくしていて下さい」
と天使はワルツに向かって声を発し、同時に刃になっていない方の手を翳す。
何か魔法を使おうとしているのだろうか。
長い詠唱をしていた。
恐らくは、これまでには無かったようなレベルの魔法だろう。
すると、俯いていたワルツが口を開いた。
「・・・ごめんね、カタリナ。貴方の夢を叶えられないかもしれないわ」
「・・・はい」
ワルツの言葉に、自分の最期の時を感じ、ゆっくりと目を閉じるカタリナ。
すると、天使に羽交い締めにされている彼女と、ワルツとの間の空間が重力レンズなど比ではないレベルで歪んでいった。
そして、
「・・・さようなら」
ワルツが手をかざした瞬間、
血吹雪が舞った。
天使の、だ。