1.1-08 村2
誰かに見られること避けるために、村の近くにあった人気のない森の中へと着陸するワルツ。
そして彼女が抱えていたルシアのことを放すと――
「すこし、ふらふらする……」ゆらゆら
一歩二歩と進んだところで、ルシアは頭を振りながらそう口にした。
乗り物酔いのようなものだろうか。
「ちょっと酔ったのかもね」
「んー、でも気持ち悪くはないよ?こうやって立ち止まっているはずなのに、なんか……周りの景色が流れていくみたい?」
「私は酔わないから分からないけど……多分それ、乗り物酔いの入り口みたいなものじゃないかしら?もっと長い間飛んでたら、もしかすると気持ち悪くなってたかもね」
と、酔わないものの、”気持ち悪さ”だけは理解していたワルツ。
彼女も、食べ過ぎや飲み過ぎの状態になると気持ち悪くなるので、その感覚は分かっていたようである。
それからルシアが落ち着くまでしばらく待ち……。
そして、間もなくして、2人は手を繋ぎながら、いよいよ村へと向かって歩き始めた。
「こんな遠くに来るのって初めて!森の中を見ても、知らない植物ばっかり……」
周囲に広がっていた森へと目を向けながら、握ったその手をブンブンと振るルシア。
まさに、お散歩気分、と言った様子である。
一方で――
「そう……」
手を振られる側のワルツの顔色は、どこからどう見ても、嬉しそうには見えなかった。
だたし、ルシアに手を引っ張られることが苦痛で仕方なかった、というわけではなさそうである。
「(村に行くでしょ?食べ物屋を見つけるでしょ?商品を選ぶでしょ?どうやって買おう……)」げっそり
つまり。
この世界のお金をまったく持っていなかったワルツは、この先の村で、どうやって食べ物を買おうかと、と悩んでいたのである。
ルシアが住んでいた村で、ワルツは、一応、この世界のお金が転がっていないかと探してみたようだが……。
しかし、略奪に遭ったせいか、そこには一銭たりとも落ちておらず……。
唯一、ワルツが持っているのは、現代日本で使っていたお金くらいのものだったのだ。
「(物々交換とかしてくれないかしら?石のお金とか……無いわよね……)」
まだ見ぬ食べ物屋の店主とのやり取りを想像して、思わず頭を抱えてしまうワルツ。
これまで人とあまり接してこなかったために、人付き合いが得意ではなかった彼女だったが……。
もはや、コミュニケーションが苦手だの、話すのが不得意だのと言っているどころの騒ぎでは無くなっていたようだ。
なにしろ、彼女の隣には――
「…………?」きらきら
と、ワルツに何かを期待するような視線を向ける狐娘がいて……。
今更、森の中に入って、食べ物を探そう、などとは口が裂けても言えなかったのだから。
結果、ワルツは、先の戦闘(?)でも使わなかった武装の一覧を確かめながら、重い足を動かして村へ立ち入ったのである。
なお、武器を何に使うつもりだったのかは不明、とだけ言っておこう……。
◇
それからというもの。
ワルツたちは、両手で数えられる程度しか家が建っていなかった村の中を、隈なく見て回った。
そして分かったことは、この村で食べ物屋、あるいは飲食店と呼べるものは、ただ1軒しか無いということ。
それも、ビールジョッキの形に焼印が入った看板――それが入り口に飾られていた店だけ。
……ようするに、酒場である。
そんな店を前に、ワルツたちは、そこへと足を踏み入れるか、迷いに迷った。
何しろ、ワルツもルシアも、日本の法律上は未成年者。
そんな自分たちが、大人のために作られた店へと入って良いのか、戸惑ってしまったのだ。
しかし、別の村や町に行ったとしても、結局は同じだと思ったらしく……。
彼女たちは覚悟を決めて、店へと入ることにしたようである。
結果。
ワルツは、店の扉へと、心なしか震えていた手を掛けると……。
それをゆっくりと手前に引っ張って……。
そして、その隙間に向かって、声を投げた。
「あのー、ごめんくださーい!今、ちょっといいですかー?」しれっ
「さ、流石お姉ちゃん……」
「ん?私、何か変なこと言った?」
「えっ?」
「えっ?」
やり取りが成立していないのか、お互いに首を傾げるワルツとルシア。
どうやらルシアには、ワルツの行動に対して、色々と言いたいことがあったようだが……。
その当の本人であるワルツの方は、自身の言動について、あまり気にしていない様子だったので……。
ルシアはそれ以上、その違和感には、触れないことにしたようである。
それから2人で、店の中へと入り、返答が戻ってくるのを待つことにしたのだが――
「……誰もいない?」
「やっぱりちょっと早かったんじゃないかなぁ?お酒屋さんって、夜遅くまでやってるって聞くし……。店主さん、まだ、寝てるんじゃないかなぁ?」
店には誰も居ないのか、返事はなかなか返ってこなかった。
なので、ワルツはもう一度、声を投げようとするのだが……。
その直後――
ガシャンガシャン
と何かを倒すような慌ただしい音が聞こえて、店の奥の方から50歳台くらいの男性が現れた。
そんな彼には、獣耳や尻尾の類は付いておらず……。
一見するとただの中年男性のような人物だった。
それも、アルコールが好きそうなビールっ腹の、である。
そんな彼は、自身のことを待っていたワルツたちに向かって、こう口にする。
「ゴメンゴメン、待たせた……ん?嬢ちゃんたち、この村では見ない顔だな?店は夕方からの営業だが、うちの酒場に何か用かい?」
と、笑顔になると目尻に生じる皺が、人の良さを物語っていた酒場の店主。
そのせいもあってか……。
ワルツは意を決して話題を切り出すことにしたようだ。
「すみません、実はお腹が減っていて、何か食べ物を分けていただけないかと……。ただ、お金が無いので、物々交換でお願いしたいんですけど……」
「ふむ……まぁ、物によっては考えてもいいか。どんなものと交換するんだ?」
と、ワルツの提案を拒否すること無く、言葉の続きを催促する店主。
そんな彼の返答に安堵したワルツは、どこからともなく『ある平たい物体』を取り出すと……。
それを恐る恐るといった様子で、カウンターの上へと置いた。
その途端、店主が驚愕の表情を浮かべ、関心したようにこう口にする。
「……な、なんだこれは……硬貨か?!ずいぶんと精巧にできているな……」
ワルツがカウンターにおいた物……。
それは現代日本の500円硬貨2枚だった。
それも、偽造防止のホログラム加工が施された500円玉である。
どうやらワルツは、自分の分と、ルシアの分、という意味合いで2枚置いたようだ。
そんな硬貨を見た店主は、2枚の硬貨がこの世界では考えられないような緻密さで作られていることに驚愕したようである。
むしろ、彼にとっては、硬貨などではなく……。
装飾品のように見えていた、と表現した方が良いかもしれない。
「私の国のお金ですが……どうですか?」
「何なんだこれ……すげぇ……」
「ですから、私の国のお金ですって……。朝食をいただけるなら、それを差し上げますけど……」
「い、いいのか?」
「いや、だって、お金ですし、渡さないと食事が食べれないじゃないですか……」
と、500円玉を見て、戸惑っていた店主を前に、少々呆れ気味の反応を見せるワルツ。
それからしばらくしげしげと硬貨を眺めていた店主は、しかし、どういうわけか、ワルツの前に500円硬貨を押し返すと……。
結論の返答を待っていた少女たちに向かって、こう口にした。
「なるほど……。面白いものを見せてもらった。価値は分からんが……朝食を用意するには、あまりに高価過ぎる気がするから、これは返させてもらうぜ?」
「「えっ……」」
「いや、なに。朝食を用意しないってわけじゃない。少し手伝いをしてくれるなら、食事を用意しよう。なんて言ったって、俺はさっき食べたばかりだから、これから新しく調理し直さなきゃならんからな?まさか、今すぐに寄越せ、とは言わんだろ?」
「「あ、ありがとうございます!」」
と、満足気に笑う店主に向かって、同時に頭を下げる2人。
こうして。
ワルツとルシアは、遅めの朝食を確保することに成功したのである。
……ただし、手伝いをした後での話だが。
◇
ちなみに。
店主が言う”手伝い”というのは、薪割りのことだった。
彼が食事を用意する間、本来彼がやるはずだった労働を、ワルツたちが肩代わりする、というわけである。
ただ、店主としては、少々心配だったようである。
何しろ、薪を割るのは、その辺に生えている木の枝よりも細いのではないかと思えるような華奢な手足をしていた少女2人なのだ。
心配にならない方がおかしいといえるだろう。
……ただ。
それは、間もなくして、別の心配に変わってしまったようだが。
ズドォォォォォン!!
ドゴォォォォォン!!
料理を作っていると、店の裏庭から聞こえてくる、地響きと轟。
そこで一体何が起っているというのか。
薪を割るのに、どうして爆音が生じるのか……。
料理を作っていたために手が離せなかった店主としては、それはもう、心配でならなかったようだ……。