第四十八話 若龍と百太夫の問答
2018/05/04:今まで一話あたり6000~8000字を目安に書いていましたが、読みやすさ改善のため、今回の投稿から一話5000字前後になるように分割して投稿します。
「――暗い洞窟の奥底で、怒り狂った源主が頭上の大穴から覗ける夜空に雷雲を轟かせ、拙者たちに呪詛を吐き連ねました。もはやこれまでかと思ったのですが……そのとき鈴音がとっさに機転を利かせて、若君を歌舞に巻き込んだのです」
「うん! 二人とも、僕にお遊戯教えてくれたの! えっとね、こんな風にくるくる回って……」
「ちょっと若様、話がそれますから座って静かに……ええと、それで、そんな風に若様が私たちと打ち解けて楽しげに遊んでいると、それを眺めていた源主はたちどころに怒りを鎮めて、我が子の笑顔を見せてくれたからと言って私たちをお赦しになったんです。その後は打って変わって親切になって、風雨に凍える私と義郎のために、火鉢を用意して暖かい食べ物を与えて下さいました」
「僕が持って来てあげたんだよ! 火の点け方知らないから、鈴音にやってもらったけど」
「ほう……なんと……」
百太夫の意外なほどの聞き分けのよい態度に納得した義郎たちは、出瑞山での一部始終を余さず説明していた。義郎と鈴音の二人は協力して記憶を頼りに、互いに補い合いながら述懐する。その合間あいまに、二人の間に座った若龍が好き勝手に割って入って自由気ままにお喋りした。
豊瑞穂の神々の長と仰がれる、出瑞山の源主神――洪水と干ばつを自在に操る荒ぶる龍蛇として神話にその名を刻む、強大な女神に捕らわれながら辛くも生還した若者たちの稀有な体験談に、桃塚遊女の長老は切れ長の目を大きく見開いて身を乗り出し、いちいち相槌を打って真剣に聞き入っている。
背後に控えている鈴音の姉分の葵が、あまりにも大仰な話をすぐには飲み込めず、ただ目を丸くして「まぁ……」と呟いたきり呆然としているのとは対照的だった。
「ううむ……お前たち、若い身空でとんでもない事を成し遂げたものじゃな。荒ぶる国神の怒りを鎮め、死すべき運命を回避しただけでも驚嘆に値するのに、その王子神の知己となり客人として遇されるとは……」
素直に感嘆して称賛する百太夫の言葉に、義郎たちはこそばゆさを覚える。だがすぐに表情を曇らせ、鈴音が神妙な面持ちでその後の顛末を述べた。
「……ただ、再び戻って来た源主は、私たちに褒美を下賜すると同時に、息子の若龍王子さまに七柱の荒神退治の試練をお命じになって、餞別の数珠を授けられました。そして私たちに、人界へ天下る王子神さまのお供をせよと神託を下されたのです」
「七柱の荒神じゃと!? 源主と肩を並べる、古き国神たちの平定を命じられたというのか!」
「いきなりの大任に戸惑い、せめて里に戻って長者さまに相談したいと嘆願したのですけど……今ここで承諾しなければ祟り殺すと言って、先に注ぎ込まれた毒で責め立てられ、変若水による治療と引き換えに止む無く従わざるを得ませんでした」
「変若水……お前たち、伝説の若返りの秘宝を口にしたとな!?」
「は、はい。私はその時の意識が曖昧で、よく覚えていませんが……」
鈴音は顔を俯けて黙りこくる。ちらりと横目を送られた義郎が、軽く会釈して後を請け負った。
「正確には、飲んだ者の身体の時間を巻き戻すそうです。若君が言うには、拙者たちの飲んだ量では毒を受ける以前までは遡れず、今も身体を流れる血の中で神の毒が眠っているそうですが……とにかく辛うじて一命をとりとめ、こうして生還できたのです」
努めて平静を装って語る義郎だが、性悪な女神に問答無用の屈従を強いられ、尊厳を踏みにじられた苦い記憶が否応にも蘇る。それは鈴音も同じだろう。
それまで能天気にお喋りしていた若龍も、両側に控えた従者たちの密かな意気消沈に気付いて、らしくもなくしおらしくなった。声を潜めて伏し目がちになりながら、自分が出瑞山から桃塚へ降臨した目的を、百太夫に一生懸命説明する。
「……人の世界には悪い神に虐められてる人たちがたくさんいるから、母上の代わりに退治して世直ししてきなさいって、お使いを頼まれたの。母上は義郎と鈴音に僕のお手伝いをさせるために、祟りで縛り付けてるんだ……僕がちゃんと母上のお使いをやり遂げて、皆に尊敬される立派な神様になったら、二人にかけた祟りを解いてくれるんだって」
「"世直し"……出瑞の国神による、人界の世直しとな……」
若龍の言葉を深く噛みしめ、吟味するように反芻する百太夫。その表情は、眉間にしわを寄せて難しげであった。
「これが、私たち三人が出瑞山で体験した物事の全てです、長者様」
「そうか、なるほど…………ふむ……」
鈴音が締めくくると、百太夫は言葉少なに相槌を打ったきり、静かに目を閉じて思案気に口を閉ざした。幾ばくかの間、深く息を吸って胸を上下させた後、百太夫はおもむろに目を細く見開いて、若龍に訊ねた。
「……一つお訊ねしたい。あなた様は神として、一体どんな力をもっておられるのかね。母神の源主さまは、豊瑞穂の水脈という水脈、雨雲という雨雲を司り、豊瑞穂の洪水と干ばつを意のままにできる絶大な力の持ち主じゃ。その子女たる八十王子の神々も、やはり豊瑞穂八十八国の名だたる水源に鎮座し、人々に対して様々な霊験を発揮した縁起と功徳によって、今日まで崇敬されておられる。同じ出瑞権現の系譜に連なる末子のあなた様は、葵達に披露なさった水面歩き以外に、一体どのような神通力をお持ちかな」
「うーんとね……そうだ、木登り!」
若龍はぴょんと床を蹴って立ち上がると、義郎と鈴音があっと叫んで制止するのを掻い潜って、近くの柱にててて……と駆け寄った。そして柱に抱き付くと上方へ筆を走らせるような滑らかな動きですらすら這い登り、頭頂へ辿り着くと今度は横に渡された梁に手を伸ばしてひらりと梁上へ飛び移る。猿ですらこれほど鮮やかには動けまい、蛇がしゅるしゅると這い上るような滑らかな登攀だった。
「みてみて、すごいでしょ! 御山の崖や谷をいっぱい登り降りして遊んでたから、これくらいならへっちゃらだよ! なんなら屋根の上まで行ってみようか?」
梁の上に腰かけた若龍が、得意気な笑顔を振りまきながら眼下の大人たちに自慢する。
「ちょっと若様! 危ないから降りてください!」
「うん、分かった」
鈴音が慌てて梁の下へ駆け寄り諌めると、若龍は意外にも素直にこっくり頷く。
「義郎、こっちきてー」
「うん? なんですか?」
若龍に呼ばれた義郎は、おもむろに立ち上がって梁の下に近づく。童子はその間に両手で横木を掴んで身体をおろし、ぶら下がったまま従者が眼下に来るのを待ち構えていた。
「義郎、そっちに飛ぶよー」
「は?」
「いち、にの、えーい!」
「うぉっ!?」
梁にぶら下がった若龍は振り子のように身体を前後に揺らして勢いを付けると、ぱっと手を放して義郎の胸に飛び降りて来た。義郎が驚きつつもとっさに両手を広げて小さな胴体を受け止めると、掴み抱えられた幼い主君はきゃっきゃとはしゃいで笑う。
「へへへ、義郎すごーい!」
「……若、本当に危ないからお止め下さい。拙者が受け止めそこなったら頭を打って大怪我ですよ」
「義郎が受け止めそこなっても、僕は上手に義郎にしがみつけるからだいじょーぶ――いてっ」
自由奔放と評するには度を越した、危なっかしい若龍の振る舞いを見咎めた義郎は、童子を床に降ろすと拳骨を作って頭をこつんと小突き、厳しい口調で素行を戒めた。
「拙者は止まり木ではありません。危ないですから、二度と高い所から他人に飛びかかって遊ばないように」
「はぁい……」
「もうっ」
頭を両手で押さえつつ、しぶしぶ反省する若龍。顔を険しくする義郎の横では、鈴音もぷんぷんと腹を立てていた。
「もうよい、分かった。皆、座りなさい……はぁ」
そんな三人の一連のやりとりを、葵と一緒に傍観していた百太夫が声を上げて制止して、座に着くよう促す。深々と吐いた溜め息からは、少なからぬ失望が漏れ出ていた。
「……能ある鷹は爪を隠すというが、とてもそのようには見えぬ。せめて雨雲を操れるものと期待しておったが、水面や柱の上を駆け回って人を驚かすのがせいぜいとは……だが、母神様が頼りなく思ったゆえに修行を命じられたのだから、人界に降りたばかりでその無力を責めても仕方あるまい」
一人納得した百太夫は三人が座り直すとすぐさま「ならば」と切り出し、再び若龍に問いかけた。
「王子神殿、続けてお訊ねしたい。そなたは出瑞権現の源主さまの持つという若返りの霊水、変若水はもっておられるかね?」
「んー、ないよ?」
若龍がふるふると首を振ると、百太夫は「……そうか」と短く呟く。
「そこの二人は成り行きで口にしたそうじゃが、王子神さまが母神様にお口添えなされば、妾にも分けて頂けるかね……いや若い衆よ、どうか誤解しないでおくれ」
若返りの秘薬を要求した百太夫は、一度周囲の若者たちの顔色をみて、彼らの怪訝な視線に対して釈明する。
「妾は遊びの君として容色を保つのに心を砕いておるものの、残念ながら決して若くはない……若返りの霊水が実在すると聞けば、にわかに興味を惹かれるし、願わくば手に入れたいという浅ましい欲望が生じたのは、認めざるをえん。だが、なにも妾自身のためだけではないのじゃ」
百太夫は膝を詰めて若龍と正対し、こんこんと道理を諭すように理由を述べた。
「妾はあなた様を本物の神様と確信しておるが、世の人々はそう易々と信じるまい。出瑞権現の王子神を名乗るならば、その身の証として母神の神宝を人々に授けてその効果を発揮したならば、たちどころに万人が納得するに違いなかろう……いうなれば妾は、王子神殿の存在を世に知らしめる手助けがしたいのじゃ。ご自身のためになると思って、母君に口ぞえを願いませぬか」
「そんな事言われたって僕、母上に御山から出されたばかりだから、すぐには会えないよ。むりなものはむり」
重ねて求める百太夫の嘆願を、王子神はすげなくはねつける。すると長者は、今度は両手を床について額づき、土下座姿で童子へ頼み込んだ。
「どうか、そのように無碍になさらず。もしあなた様から神宝を賜れるなら、お布施に糸目はつめませぬ。王子神さまの御降臨を称えるために、桃塚でもっとも広く開けたすばらしい景観の土地をご寄進いたしましょう。そしてこの宿よりずっと大きく豪華な社殿を建立して、あなた様をご主神として丁重に遇させて頂きますぞ。もちろん、美味しいお菓子や玩具も望むままに――」
「んもー、むりだってば!」
莫大な報酬をちらつかせて母神への口利きをしつこく頼む百太夫に、若龍はしびれを切らして叫ぶ。一喝されて思わず顔を上げた女長老を、童子神はしかめ面で睨み唇を尖らせながら、一気にまくし立てた。
「母上が御山のてっぺんからお社を見下ろして、お参りに来る人たちのお願いを聞いてたのを、傍でずっと見てたから分かるけど――母上は、自分を頼ってお願いしに来る人たちに色々施してあげるのが大好きだよ。その人に必要だと思ったらなんでも惜しまず分けてあげるし、陰からそっと助けてあげてる。乾いた田んぼに雨雲を送ったり、お参りの道で男の人と女の人がさりげなく出会えるようにしてあげたり……でも叶える必要がないと思ったお願いは、どんなにお花やお香をお供えして盛大にお祈りしても、たくさんのお米とお金を差し出して立派なお社を建てても、母上は絶対に応えてくれないよ」
「……妾には変若水を授かるのに相応しくないと、王子殿はそう仰られるのかね」
「おばさんは、自分じゃ母上の御山にお参りできないから、代わりに鈴音をお参りに行かせたんでしょ? だったら、鈴音が滝でお祈りのお遊戯した時に、おばさんのお願いも母上に届いてるよ。それでももらえないんだったら、たぶんそうなんじゃない?」
いかにも他人事の、突き放したつれない返事だった。
「そうか……まことに残念じゃ」
額づいていた百太夫は渋々面を上げると、眉にしわを寄せてがっくり肩を落とす。懐から扇を取り出すと片手でぱっと振り拡げ、表情を隠しながらこう告げた。
「王子神どの、しばし待たれよ。考え事がしたい……葵、御簾を降ろしておくれ。几帳も妾の前へ」
「あ、はい……」
百太夫の指示を受けて、背後に控えていた葵が静かに立ち上がって進み出る。自分と長者の佇む母屋と義郎たち三人を座らせた庇間、その境界線上に巻き上げられてある御簾を降ろして空間を遮断した。さらに母屋の内側で几帳を動かして長者の姿を隠してしまう。
綾で縁取った目の細かいすだれと、鳳凰柄の絹幕を垂らした台が、義郎たちと長者との間に、薄いながらも二重の障壁を作った。
2018/05/04:本日の夕方にもう一話投稿する予定です。




