第四話 豊瑞穂の千秋万歳
「――これが世に名高き我が国の建国神話『国譲り』であります。荒彦大御神と后神の賑姫神による創業からすでに一千年の歴史を刻み、大国主尊が大国主尊と異国風に尊称され、瑞穂国が豊瑞穂と美称されるようになった当代においても、『国譲り』で交わされた神と人の関係は絶える事無く続いております……すなわち源主大神は我が出瑞大社の主祭神であるのみならず、我が国を御統治なさっておられる主尊陛下の正統性を証明なさる後見の神でもあられるのでございます!」
出瑞大社の祈祷師の長々とした講釈が終わり、静かに拝聴していた出瑞講の面々はにわかにざわめいて口々に感想をもらす。
「へぇ、難しくてよくわかんねぇけど……出瑞の神様ってのはえれぇんだな! おらの村の川にもお出瑞さんの祠があるけんども、そんなにすげぇとは知らんかった」
「あたしもお荒さまとお賑さまが夫婦神なのは知ってたけど、お上のご先祖様だったんだ……ただの大工と酒造りの神さまじゃなかったのねぇ」
「里に帰ったら皆にも教えてやらんとのう」
故郷の村や町の日常生活の中で何気なく見知ってきた、身近な社や祠に鎮座している神々。それらの信仰対象の、自国の長い歴史に根ざした壮大なる来歴を知って、ある者は膝を叩いて喜び、またある者はほうと感慨深い溜息を吐いて、感激を素直に吐露していた。
「……今上の主尊が御即位なさり、宰相を置かず御自ら御政道に励まれてはや十数年。陛下は官位や所領を私利私欲のまま争っていた公家や武家の方々を見事に従えて威儀を正し、天下太平の世を築き上げました。そして豊瑞穂八十八国の街道の整備に尽力なさり、平和を謳歌する民草の交わりを奨励なさっておられます。今日、皆様方が遠路はるばる出瑞大社への参詣を望まれて喜ばしくも実現できたのも、ひとえに陛下の御慈悲による我ら民草への賜り物。ひいては陛下の御一族の正統性を盤石ならしめている、出瑞の神々のお陰なのでございます!」
祈祷師は当代の為政者の成果を己の帰属する出瑞大社の巡礼へ帰結させ、俗世の帝王礼賛を神聖な大社への信仰に重ね合わせる。出瑞請の参加者の内、理想と情熱に浮かされやすい若者の幾人かが立ち上がり、「大国主尊万歳!」「源主大神万歳!」と諸手を挙げて叫び出した。
(大国主尊と出瑞大社に建国以来の縁があると説いて、統治者の権勢を大社の偉光に結びつける……巧みな弁舌だな)
一人旅の身として出瑞講を遠巻きに観察していた義郎は、群衆に付和雷同して感情的に盛り上がる事なく、一歩身を退いた目線で周囲の様子を伺う。庶民の君主に対する素朴な敬愛を焚きつけ、大社への信仰と同一視させて熱狂させる出瑞祈祷師の求心力――あるいは扇動力――に内心で舌を巻いた。
「さて、いよいよ茶屋を発って今日の宿を目指すばかりですが……古くから十里を行く者は九里をもって半ばとすると申します。出瑞大社への最後の道程に出る前に、皆様が大過無く巡礼を成し遂げて息災のまま帰郷を果たせるよう祈るべく、ここで出瑞国の神々へ千秋万歳を奉じさせて頂きましょう。拙い芸ではありますが、皆様もこの山間におわす神々と共にどうかご照覧あれ!」
講釈を終えた壮年の祈祷師が今度は背に負っていた鼓を取り出して、ぽん、ぽぽんと打ち鳴らす。すると脇に控えていた若い祈祷師が懐から扇を取り出して高々と広げ、鼓の拍子に合わせて祝いの異国詩を朗詠しながら、ゆっくりと舞い始めた。
嘉辰令月歓無極
万歳千秋楽未央
(このめでたい日めでたい月に、喜びは極まりない。万年も千年も、楽しみはまだ尽きることが無い)
それにつられて出瑞講の巡礼者たちも拍手で合いの手を打ち、やんややんやと盛り上がっていく。
(祈祷師が案内して、白い飯を食わせて、講釈の後は芸能で楽しませて……庶民相手にいたれりつくせりだなぁ)
一方それを眺めている義郎は、最低限のわずかな荷物をずだ袋にまとめて孤独な一人旅。なけなしの路銀から関所料を捻出できず、やむなく山賊の出没する険しい脇道を突破してようやくここまで辿り着いた。図らずも先ほど餅を振る舞われて一食分浮いたため、今夜は自炊雑魚寝の木賃宿ではなく食事付きの旅籠に泊まれそうだと、慎ましい目算を立てている有様。
故郷の皆から旅費を融通してもらい、遍歴の祈祷師の案内で安全な街道を通りつつ、道中の名所も見物してきたであろう出瑞講の面々とは天と地ほどの待遇差である。茶屋での休憩中にこれほど接待されるなら、宿では一体どんなもてなしが彼らを待っているのか、義郎には想像も付かない。
(もう少し見ていたいが……このまま最後まで付き合って彼らと同時に茶屋を出たら、道が混んで面倒だな。一足先に発つとしよう)
義郎はそう思い立つと、盛り上がる出瑞講の傍をそっと離れた。茶屋の女主人に茶の代金を支払い、また奢られた餅の礼を述べる。そして脚絆を結び直して旅支度を整えると、祈祷師の歌舞に唱和する人々の囃子声を背に聞きながら、颯爽と茶屋を後にした。
――千秋万歳、千秋万歳! 豊瑞穂の神々と人々に、永久の実りと栄えあれ!
作中に古典から引用した詩歌が含まれているので明記。
『嘉辰令月歓無極……』こと千秋万歳は、『和漢朗詠集』より引用。
特に引用が明記されていない詩歌は、物語上の必要性に迫られて作者が考えた自作です。「下手くそ、自分ならこうする」「規則から外れてる、正しくはこう」などご意見ご助言があれば、感想覧やアカウントへのメッセージなどで気軽にご一報ください。よりよい創作活動の糧にさせて頂きたく思います。