第三十八話 深山流兵法、一殺五怨の戒めと滅私義剣の勧め
若龍の無邪気な問いかけに、義郎は短刀で胸を突かれたような衝撃を感じ、思わず固まってしまった。若龍はそれに全く気付かず、興味津々な眼差しで問いを繰り返して来る。
「ねぇねぇ、義郎は今まで何人くらい殺したの? どんな風に殺した? 教えて教えてー」
幼気な童子の口から不意に殺人の経験を訊ねられて、動揺しない人間が果たしているだろうか。それも"経験の有無"ではなく、"殺した数"を確認しているのである。釣った魚や捕まえた虫の成果でも聞くような気軽さで。
「……なぜ、そのような事を訊ねられるのですか?」
義郎は訝しげな面持ちで膝元の若龍を見下ろし、質問の意図を推し量る。童子は快活に答えた。
「母上が言ってた。人間の"武芸者"って人は、同じ人間を殺すのがお仕事で、同族殺しの上手さを競って自慢するんだって。義郎のも武芸者なんでしょ? 神様の僕と喧嘩して勝っちゃうくらい強いから、きっとたくさん強い人間と戦って殺してきたんだろうなぁと思って、お話が聞きたくなったの」
「……なるほど」
良くも悪くも裏表のない、純粋な好奇心からくる関心らしかった。意図を解した義郎は、若龍の顔を見つつ率直に答えた。
「拙者は、未だ人を殺した事はございません。身を守るためにやむを得ず刀抜いた事はありますが、殺生はしておりません」
「ええ、うっそだぁ。母上の御山まで旅したんだから、途中で他の仕合とかもしたんでしょ。二、三人くらいは殺したんじゃないの?」
若龍は義郎の答えを疑って重ねて問う。武芸者の仕合は、相撲の取り組みや弓術家の射的のような爽やかな競技めいたものではない。基本的には木刀で立ち合って先に打った方の勝ちとするが、互いの腕前と名誉をかけて本気で打ち込む以上、不具の怪我や撲殺の危険は常に付きまとう。さらに木刀での決着に異議を唱えて、真剣勝負の殺し合いへ発展する事は決して珍しくない。
源主から武芸者の生き方を教え聞かされたのならば、仕合に殺傷が付き物だという事も聞き及んでいるのだろう。
「たしかに道中で高名な達人の名を聞いたり、行きがかりの武芸者に仕合を申し込まれた事もありましたが、神山に詣でるので精進潔斎しておりました……そもそも、我が深山流兵法の流儀では喧嘩や他流仕合といった私闘を一切禁じ、無用な殺生を戒めているのです」
「人の殺し方を教えてるのに、殺しちゃいけないの? そんなの変だよ、意味ないじゃない」
「そうかもしれません。しかし我が師父は、武芸を生業とする者には常に一殺五怨の宿命が付きまとい、ゆえに滅私義剣の心構えが肝要であると教え諭してくださいました」
「なにそれ」
「つまりですね――」
義郎は若龍に懇々と教え諭しつつ、かつて養父にして師匠である義蔵が自分にそれを説いた時の情景を思い出していた。
◆
老剣士義蔵に拾われて砥石山の奥地へ籠り、幼少より木刀を握って稽古に勤しんで来た孤児は、数え年十五で元服を迎えた。人里との交わりを極力避けており、そのため近郷の氏神社の氏子に属していない深山父子は、山中の名も無き小さな祠の前でひっそりと元服の儀を執り行う。少年は義父の手で髷を結われ烏帽子を頂き、義郎と名を改めた。
祠から住処の草庵に帰ると、義蔵はおもむろに居間の床板を外して、床下から一振りの打刀を取り出した。床下にそんな物が隠されていた事に驚く義郎に、師父はこう説明した。
「時々人里に降りて毛皮や山菜を売り、塩や金物を買っていた小銭の一部を密かに貯めて、この日のために用意しておいたのだ。あいにく無銘の数打ちだが、晴れて帯刀の身となったお前に授けよう」
思わぬ贈り物に義郎は大変喜び、師父に恭しく頭を垂れて礼拝する。逸る心を懸命に抑え、拝受されるのを今か今かと待ち構えた。だが、義蔵は刀を手にしたまま弟子を見据え、「その前に一つ話がある」と切り出した。
「義郎、五倫の道とは何たるか、言ってみよ」
すぐ刀を渡されるものと思っていた義郎は、唐突に問答が始まってお預けをくらった気分を味わうが、すぐに気持ちを切り替えて問いに答えた。
「はい、ええと……人間が生きる上で大切にすべき人間関係の事です。親と子が愛情で結ばれる"父子の親"、君主と臣下が互いを慈しむ"君臣の義"、夫と妻が役割を分けて支えあう"夫婦の別"、大人は子供を慈しみ子供は大人を敬う"長幼の序"、友人同士が嘘偽りなく誠実に付き合う"朋友の信"――この五つです」
「ふむ、その通りだ。ちゃんと教えた事を身に付けているようだな」
「おかげさまで……でも、どうして今そのような話を?」
義蔵は一つ咳払いし、膝を詰めてこのように語りだした。
「つまりだな――お前は今日より刀を帯びて、他人の生殺与奪を自由にできる力を得る。だが一人殺めれば、五倫の絆に因って五人、あるいはそれ以上の人間の怨みを買って命を狙われるという事だ。仇討を挑んで来る五人を返り討ちにすれば、彼らの縁者から新たに二十五人が立ち上がり、それを倒せばさらに百二十五人……果てしない復讐の輪廻から解放されたければ人生の全てを捨てて遁世するか、死を選ぶしかない。お前が武芸で身を立てんと志すならば、いずれ命の遣り取りに身を置く事になろう。だがむやみに勇み立って一人でも敵を殺めたならば、このような悪業が終生付きまとうものと覚悟せよ」
武器武術のもたらす災禍を説かれた義郎は、師父の真に迫った眼差しと語り口に圧倒されてすぐには声を出せなかった。のけ反りながら静かに深呼吸すると、辛うじて声を絞り出して口を開いた。
「……先生は、俺に戦うなと仰るのですか。今説かれた理屈に従えば、せいぜい護身しか許されないではありませんか。それでは一体いつこの刀を、先生が教えてくださった剣術を用立てれば良いのですか。このまま山に隠棲して身を埋めよと仰るのですか……」
「そうではない」
脅かされてすっかり萎縮してしまった弟子の弱音を、師父はばっさり切り捨てる。
「護身を越えた武力には、大きな責任が伴うという話だ。むやみやたらに蛮勇を誇って、くだらない喧嘩や功名目当ての仕合に明け暮れれば、どれだけ勝利を重ねて武名を響かせた所で、遺恨が積もり積もって必ず報いを受ける。お前が武芸にて一家を成し、あるいは流派を興さんと望むならば、平素から立ち振る舞いによく気を配り、刀の抜き所を弁えるべきだ」
「ではどのように振る舞うべきですか。どのような場合に刀を用いるべきなのでしょうか」
教えを乞う弟子に、師父はこのように説く。
「まずはよく道徳を修め、我欲に衝き動かされない克己心を養う事だな。そして物事の是非を見極めて、非道や不条理を正すべき時に初めて柄に手をかける――私心を滅却して、義に因って斬るのだ。そのような振る舞いを心がける限り、天下の人々はお前の働きを支持して助け、また敵方も道理を解せば怨恨を鎮めて矛を納めよう。『不義にして強くばその倒れんこと必ず速やかなり』、『積善の家には必ず余慶あり』。私利私欲で力に物を言わす者は破滅を免れないが、世の為に尽力する者には人々も協力を惜しまないものだ」
わしも若いうちに気付いておればな――ついと目線を逸らした義蔵が小さく独りごちたのを、義郎は確かに聞いた。
(そういえば、先生は俺を拾う以前、どこで何をしていたのだろう……)
東国を流離っていた時に捨てられていた赤子を偶然拾い、後世に自分の剣技を残したいと望んで養育を決意したのだと、今まで幾度も聞かされていた。しかし、そもそも何故師父が流浪の身にあったのかは一度も説明された事がない。
義蔵は厳しい山岳生活を通して義郎を幼少から鍛え、武術の指南をはじめ様々な事を教えてくれた。単に文字の読み書きだけではない。「仕官して恥ずかしくない最低限の手習いを」と言って、異国の儒学や古今の軍記を手本もなしに諳んじた記憶だけで書写し、その講読までやってのけたのである。五倫の道徳の説明を抜き打ちで求められた義郎がきちんと答えられたのも、平素の教育の賜物だった。
無知な幼少の頃は疑問を抱かなかったが、年相応の分別を備えた今になって思い起こせば、とても田舎武士の教養ではない。よほどの地位や家柄に恵まれなければ、これほどの文武両道は不可能ではあるまいか。だが、そのような人物が何故天涯孤独の身で流離っていたのか……今更ながらに、自分は義父の過去を何も知らない事に気づく。同時に、詮索しても決して口を割らないだろうとも感じた。
義郎の胸中の思いを余所に、義蔵は改めて向き直るとこのように締めくくる。
「そうだな、これらを"一殺五怨の戒め"と"滅私義剣の勧め"とでも名付けようか……さて、以上を説いた上で、お前にこの刀を授けるとしよう。だが今言ったように、決しておろそかな気持ちで用いてはならんぞ」
「……はいっ」
師父の訓戒を受けた弟子はその目に固い決意を秘めて頷き、拝受した刀を厳かに帯へ差し込んだ。左半身に加わった刃物の重みが、新たに得た力とそれに伴う責任を彼に強く意識させた。




