第二十九話 中原京の噂
豊瑞穂の中枢たる中原京では晩春三月以来、貴族界を中心にある噂が囁かれていた。
「貴殿はご存じですかな。巷の噂では、鈴音御前が神隠しに遭ったそうですぞ」
「なんと。鈴音御前といえば桃塚湖の宿場にいる、白拍子の舞で評判を呼んでいる若い遊君ではありませんか。桃塚の長者の代参として、姉弟子の葵御前と一緒に出瑞参りへ出かけていたと聞き及んでいますが……あれが神隠されたとは、麻呂は初耳ですな」
「その出瑞山で失踪したのです。巫女の案内で山上の御神域へ詣でた直後、にわかに降って来た大雨で足を滑らせて、急流に飲み込まれたきり行方知れずとか。つい先日、速船で八俣川を下って桃塚に帰ってきた葵御前が、鈴音御前の荷物を抱えて長者の宿へ駆け込む姿を見た者がいるから、間違いありません」
「それはまた不幸な……しかし、ただの事故では? 普通、神隠しというものは、誰も見ていない時に忽然と姿を消すもの。川に落ちたとはっきりしているのに、出瑞の神々の仕業と見なすのは浅慮では。『君子は怪力乱心を語らず』と言います。神仏への崇敬と下衆の俗信を混同するのは、いかがなものでしょう」
「確かに、これだけで神隠しと断ずるのは早計ですな。実際、大社は地元の若衆を率いて捜索したが、七日目には死んだものと判断して、社僧による初七日の供養を執り行ったという話です」
「ならば、やはり事故でしょう」
「しかし、葵御前の報告を聞いた桃塚の長者は驚きもせず冷静に、一言だけこう呟いたそうですぞ――『神に召し取られたならば仕方あるまい』――と」
「……今上陛下が芸能の師とお仰ぎあそばしておられる、姥桜ですか。陛下もあの遊興狂いさえなければ、非の打ち所の無い聖天子であらせられるのだが。現人神の御血統の清らかな御身に、化外の淫売どもを近づけるだけでも常軌を逸しているというのに、雅楽寮を差し置いて御自分の一座まで召し抱えるというのは、どうにも……」
「まぁまぁ、今は玉に疵を探すような話をしたいのではない。肝心なのは、天下の許しを得ている芸道の第一人者が神隠しと断じた事ですよ。さらに、それを御耳に入れた陛下も彼女の見解に御心を動かされ、慰めに自ら衣をお脱ぎになって下賜なされたとの事。これをいかが見ます」
「なんと、陛下が? ……ううむ、たしかに歌舞音曲には古来より、神仏を喜ばせ人との距離を縮める霊妙な役割があると伝えられております。ゆえにその道を究めた者はおのずと神性を宿し、終には仏性を具えるとか……となると鈴音御前が失踪したのは、出瑞権現が彼女の舞に感激の雨を降らし、川を通じて水神の世界へ召し寄せたというのですか」
「桃塚の長者の見立てでは。その証拠に、御前の法要を行うつもりはないようです。神仏のおわす異界に遊んでいるならば、供養は余計なお世話というものですからな」
「ふむ……思えば鈴音御前は、天性の舞姫であった。その容貌の麗しきは言うに及ばず、若くして諸々の技芸に広く通じて教養深く、傍に集まる人々の耳目を楽しませて、彼女の前で笑顔を作らぬ人はいなかった……しかし、その心は常に芸能の高みを見据えていた。名立たる貴公子に口説かれても、いかなる宝を積まれても、気位を高くしてはねのけ、ついに浮名の一つもなく清らかな身でこの世を離れてしまった。当世の遊君には類をみない乙女であり、芸の求道者だった……」
「もしや彼女は、観音菩薩が化身して地上に現れた、生き仏だったのではあるまいか。たとえ卑しい端女でも、欲望に惑わされず己の志す道にひたむきに専念すれば、業前を神仏に認められて縁を結べるのだと身をもって示し、衆生を教導したのでは」
「おお……それは、なんと素晴らしく尊い話だろう。このようなありがたい出来事が起きたのは、大国主尊が宰相を置かず、陛下御自ら御親政をお執りになる聖代がゆえの瑞祥でしょう。王法の徳で満たされた我が国土を、輝かしい仏法の光明が祝福して照らしているのです」
「然り。しばしば三界は火宅、この世は来世へ至るまでの仮初めの宿などと申すが、全き仏国土となりし当世に生まれたこの幸運を、どうして憂う必要があるものか」
「まこと、あまりの感動に涙で袖を濡らさずにはいられませんなぁ」
「しかしそれにつけても、あのような器量よしが誰も手を付けぬ内に退場とは、実にもったいない」
「いやはや、全く。あの舞姫の袴を最初に解くのは、果たしてどこの貴公子かと賭けていたのに、これではご破算ですよ」
鈴音御前の出瑞山での失踪事件は、桃塚の芸能の技量を謳う霊験譚として巷間に流布し、大衆の話題をさらった。
もちろん、新進気鋭の舞姫の美貌を惜しむ声は少なくない。
だが、いたずらに生に執着したあげく鏡に映る老い衰えた容色を嘆き、昔日の栄耀栄華を懐かしむ醜態を晒して人々を幻滅させる遊女が多い中、よくぞ有終の美を飾ったものだと評価する向きが大勢であった。
人の噂も四十九日までというが、鈴音御前の美しい散り際は尾ひれを付けながら語りぐさとなり、桃塚の遊里の名声も日に日に高まっていった。




