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龍神縁起 ~立派な神様のお供しよう~  作者: もぐら
第一章 出瑞(いずみ)編
27/55

第二十七話 若龍王子の七つの試練

※2016/5/14

第二十話の改訂に伴い、最後の引きを修正。

「旅……? どういうことなの母上?」


 若龍王子にゃくりゅうおうじは首にかけられた水晶の数珠を握りしめながら、母の源主みなもとぬしをぽかんとみつめる。

 宝物を下賜された義郎よしろう鈴音すずねは火鉢の側まで下がり、神の母子の様子を見守った。


「若龍や、母の言葉をよくお聞き――」


 源主はすっと長身を立ちあげ、足元の小さな我が子に教え諭した。


「我が豊瑞穂とよみずほの国土は、四海の内に浮かぶ東西に延びた島々で、中央の都に座す大国主おおくにぬしが分割して統治すること八十八カ国。大小合わせて五十万所を越える寺社があり、祀られし神仏の総数は号して八百万やおよろず。その皆がわたくしの認めた大国主に敬服し、彼の臣民を草葉の陰から静かに見守り続けているのです」


 瑞穂国の建国神話において、初代大国主尊だいこくしゅそん荒彦すさひこが源主と交わしたという、『国譲くにゆずり』の大盟約。

 源主がまず息子に説いたのは、国譲りに基づく神と人との共生関係が現在も連綿と続いており、それによって今日の豊瑞穂の秩序が保たれているという見解だった。

 女神はそこで言葉を区切り、憂いのこもった深いため息を漏らす。


「しかし残念な事に、未だにわたくしと大国主を軽んじて、豊瑞穂の和を乱す野蛮な荒神どもが辺境に割拠しています。彼奴等きゃつらの名は――」


 源主は指を折りながら、豊瑞穂の諸国と神々を次々と数え挙げる。


鶴城つるぎ国の金物主神かなものぬしのかみ

得手えて国の赤面主神あかつらぬしのかみ

億里おくり国の大口主神おおくちぬしのかみ

玖礼くれ国の常盤主神ときわぬしのかみ

予喜よき国の物見主神ものみぬしのかみ

静織しおり国の苧環主神おだまきぬしのかみ

来島きしま国の速潮主神はやしおぬしのかみ――この七国七神である」


 義郎は内心で動揺した。源主の挙げた中に、自分の故郷億里国とその土地神が入っていたからだ。しかし、神仏や儀式に疎い彼にはその他の地名や神々との関連性がいまいちつかめなかった。


八柱主神やはしらのぬしがみ……」


 困惑する義郎の隣で、鈴音がぽつりと呟いた。


「知っているのか、鈴音」

「出瑞国の源主様を筆頭とした、豊瑞穂で特に強大な力を持つとされる八柱の大荒神……当世では仏の化身として崇められていて、八大権現はちだいごんげんとも呼ばれているわ」


 鈴音の説明に、源主は切れ長の双眸を細めて納得いかない様子で口を挟んで来る。


「ほう、そこの雌の子はよく知っているようですね。しかし、わたくしを彼奴等と同列に扱わないで欲しいものです。ご存じのとおり、わたくしは常に物腰柔らかで何事にも慈悲慈愛を持って接しており、豊瑞穂の万民に広く慕われています。だが連中は力に物を言わせて恐怖で自分の国を牛耳り、我こそが豊瑞穂の長に相応しいと己惚れてわたくしを一方的に妬み憎んでいるのです」


 義郎たちは『口は災いの元』という先人の知恵に倣い、聞き役に徹した。


「わたくしが大国主への国譲りを決断し、人の世に移り変わって幾百もの冬が過ぎ去りました。しかし七国の荒神たちは未だに各地で我が物顔に振る舞い、事あるごとに民の反乱を煽って歴代の大国主を悩ませてきました。そればかりか、わたくしに神酒を供えようとする善男善女は末代まで祟る始末。水の恵みが十分に行き届かない彼奴等の国では米の実りが乏しく、民心も荒んでいると聞き及んでいます。水穂と冠する国の人民が満足に米を作れず米の酒を楽しめないというのは、実に憐れむべき話です」


(たしかに、俺の故郷の億里国は水田が少なくて貧しく、狼に悩まされて平穏とは言い難い。夜盗も多くて、坊主ですら武芸を競う有様だ……それでも先生に言わせれば、俺を拾った時分からずいぶんましになったらしい)


 義郎は胸の内で、遠い生国の状況に思いをはせる。源主の語り口は主観的で強い偏向を感じさせたが、決して嘘八百のでたらめではなかった。


 考えてみれば、師父の義蔵は義郎を拾う以前、流浪の人だったと語っていた。山に籠って人里との交流を極力避けていたのは、億里国の草深く厳しい環境を修行場として好ましいと見る一方で、土着の風俗に他国との異質さを感じ、幼い義郎を馴染ませない方が良いと判断したのかもしれない。わざわざ遠方の出瑞大社への参詣を命じたのも、郷土ではなく瑞穂国に忠義を傾けよという無言の訓戒なのだろうか。


 師匠の思惑に思いをはせる義郎を余所に、神の母子の対話は続いていた。


「当代の大国主は都へ通じる街道を整備して人の出入りを増やし、国土の隅々に王化の風を吹き込もうと努めているが、神代より悪神どもに躾けられきた人々の目を啓かせるにはまだ十分ではない――そこで若龍王子、改めてそなたに告げる」


 母神は義郎たちから視線を外し、足元の王子神を見下ろす。我が子の不安げな瞳をしっかりと見つめて、力強い言葉で宣言した。


「これよりそなたは荒神の支配する七国へ赴いてこれを鎮め、彼奴等に虐げられている無辜むこの民を救済しなさい。わたくしが与えた数珠を以て、自らの由緒を明らかにして祈りを勧め、人代に生まれ出でた新たな神としてその名を四方に響かせるのです。豊瑞穂の万民が我ら出瑞権現の慈雨に浴したならば、衣食充ち足りて大国主への礼節をよく弁え、真の平安が実現するでしょう」


 頭上から降った宣告に、若龍王子はすぐには返事ができなかった。数珠を握りしめたまましばし硬直し、何度か目をしばたたかせた後、「母上……」と絞り出すようなかすれ声でたどたどしく訊ねた。


「それって、僕をお山から追い出すって事なの?」

「そういう事になりますね」

「母上は一緒に来てくれないの?」

「母は出瑞山の主として、悪しき者から湧き水を守らねばなりません。それに国譲りを誓った当のわたくしが迂闊に諸国を回れば、神々を動揺させて余計な混乱を招くでしょう。わたくしは身軽に動ける立場ではないのです」

「じゃあ、冬にお山に集まる兄上や姉上たちは?」


 義郎は本宮へ参る道中に、鈴音の一方的なお喋りの中で聞いた出瑞大社の伝承を思い出した。

 源主の産み落とした八十柱の王子神たちは、全土にちらばって各地の水源に宿っているが、初冬の十月になると母神の居る出瑞山へ集まって神議かむはかりを行うという。それゆえに豊瑞穂では水神が里帰りする十月を神無月と呼び、逆に出瑞国では神有月と称している。

 出瑞山麓の大社仮宮に建ち並ぶ八十王子の摂社群は、神有月に帰郷する神々が宿るための、文字通りの仮の宮なのだ。


「そなたの兄姉けいしたる八十王子も、他国で水源の主として采配を振るっており、みだりに持ち場を離れることはできません。まだ幼く己の土地を持たないそなただけが、何者にも縛られず自由に諸国を渡れるのです」

「で、でも……母上が『くにゆずり』したから、お山の外は人間の縄張りなんでしょ? 神の僕が、人間の縄張りに入っちゃいけないんじゃないの?」

「わたくしが最初の大国主と取り決めたのは、神と人が住むそれぞれの世界の線引きと、それを侵して害を成す者の始末についてです。そなたに望んでいるのは、悪を懲らしめる世直し……善行のために人界へ降りるのだから、何の不都合もありません。納得しましたか、若龍?」

「……いやだよ」


 小さく呟いた時、彼の足元にぽろぽろと滴が落ちた。子神は急に面を上げて、母神の腰に抱き付いて泣き叫ぶ。


「やだやだ、やだ! 母上と離れたくない! 荒神って母上と同じくらい怖いんでしょ? そんなところへ行ったら死んじゃうよ! なんでそんなひどいこと言うの? 僕が言いつけを破ったから嫌いになったの? もう二度としないから許して、捨てないで!」

「若龍、駄々をこねないでおくれ……母がそなたを嫌いになったと思ってはいけません。我が腹を痛めて産み落とし、今日まで見守ってきた愛し子を、たった一度の過ちでどうして疎んじるものか。けれどもこれは、そなたを思うがための苦渋の決断なのですよ」


 母はゆっくりと跪いて、泣きじゃくる我が子を豊穣な胸の内にひし、と抱きしめる。伏した眼差しは儚げに揺れ動き、内に秘めた感情の奔流が察せられた。


「今の豊瑞穂は人代……神は深山幽谷しんざんゆうこくに押し込められ、窮屈で生き辛い世界だ。このような時代に神の子として生まれたそなたが安息に生き長える術は、二つに一つしかない。わたくしの庇護の下でいつまでもひっそりと息を潜めるか、他を圧倒する偉業を成し遂げて己の地位を固めるか――わたくしはそなたが何者にも侮られない存在となり、誇り高く立派に成長する事を強く望んでいるのです」

「今までずっと、お山から出ちゃいけない、人間に見つかっちゃいけないって言ってたじゃない! なんで今になっていきなり追い出すの? 意味わかんないよ!」


 そもそも若龍王子が義郎達に襲いかかったのは、人間に目撃されてしまった事を源主に咎められるのを恐れて、ごまかそうとしたためである。それを発端とする神と人のいざこざがようやく和解を見たのに、今更戒めを翻して我が子を山から追放するというのは、義郎にも解せなかった。


「義郎……なんで源主さまは、今こんな話をしているのかしら」


 鈴音が若龍の悲痛な叫びに同調し、義郎の袖を引いてそっと耳打ちしてくる。


「全くだ……わざわざ俺たちの前で、こんな気まずい雰囲気を作らなくていいだろうに」

「そうじゃなくてっ」


 察しの悪い義郎に苛立った鈴音は、顔を義郎の間近に寄せた。彼女の顔は何かを悟ったように神妙に強ばり、声は微かに震えて怯えを含んでいる。


「あれほど体面に拘っていた源主さまが母子の問題を、なぜ"私たちにも"聞かせているの……?」

「っ……まさか」


 指摘された義郎もその不可解に気づき、次いで嫌な予感がよぎる。その時、源主が息子の――あるいは鈴音の――疑問に静かに答えた。


「昨日今日の思いつきではありません。そなたが生まれたときからずっと考えを巡らし、機会を待っていたのです。人界に旅立つそなたの後事を託せる、類い稀なる人傑が我が山にやってくるのを――これも仏陀の導きでしょうか。念願叶って、ついに現れました。それも、二人も」


 伏して息子を抱きしめていた源主はゆっくりと面を上げ、その双眸の先に義郎と鈴音を捉えて、厳粛な言葉を発した。


「源主神の御言を以て、義郎と鈴音にす。我が末子、若龍王子のしもべとなれ。七柱の荒神の鎮定へ旅立つこの子に付き従い、よく仕え、よく支え、よく教え、よく諌め、よく導いて、王子神の成し遂げる偉大な奇跡に貢献せよ」


いきなり降ってわいた神託に、二人は手に汗を握り息を飲んだ。

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