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龍神縁起 ~立派な神様のお供しよう~  作者: もぐら
第一章 出瑞(いずみ)編
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第二十四話 遊ぶ子供の声を聞け

若龍王子にゃくりゅうおうじさま。いよいよ私たちの命運は定まりました。鈴音すずねは今生の最期の思い出に、ここで王子神さまをもてなしとうございます。私たちの舞をお気に召していただけたら、是非お付き合いください」

「えっと、でも母上が怒ってるから……」

「これをどうぞ」


 ためらいがちに断ろうとする若龍王子の言葉を遮った鈴音は、義郎が放り出した立烏帽子と舞扇を拾い上げて、それらを童子神の頭に結び手に握らせた。成人用のそれらは子供が身につけるにはいささか大きすぎたが、義郎よりはずっと見栄えが良かった。


「はい、よくお似合いですよ」

「え、あれ?」


 若龍王子が半ば無理やり持たされた舞道具を押し返そうか迷っている間に、鈴音はすっと少年から離れ、義郎よしろうに向き直ってこう言った。


「さぁ義郎。今度は私も一緒に舞うから、足並みを合わせて頂戴ね」

「おい、とうとう気が狂ったのか。源主みなもとぬしが怒り猛っているこの修羅場の只中で、子供と遊ぶだと?」


 またもや勝手に話を進められた義郎が抗議すると、鈴音は彼の幅広の両肩を掴んで、真正面からしっかりと見上げてきた。若龍王子の前で諦観の念を零したしおらしい態度とは裏腹に、その瞳には生きるために死力を尽くさんという固い決意が表れていた。

 雷雲轟き嵐吹きすさぶ夜空の下で、義郎にだけ聞こえるように耳元で囁く。


「ごめんなさい、義郎。若龍王子があなたを怖がらずに飛び込んでくるなんて、流石に予想外だったの。かえって源主の怒りを煽る結果になってしまったわ……だけど遊君としての勘が告げている。この番狂わせは私たち次第で、起死回生の好機にもなり得ると!」

「好機……?」

「説明している時間が惜しいわ。お願いだから、今はただ私を信じて、一緒に舞って!」

「……ええい、一度乗った船だ! もうなるようになれ!」


 義郎が半ば捨て鉢になって同意すると、鈴音は笑顔で頷き返す。


「細かい技法はいらないわ。ただ二人で息を合わせて、ひたすら歌い舞うのよ。雑念を払って、私と心を通わすことだけに集中して。あなた、どんな歌なら歌える?」

今様いまようだと、字を習うときに書いたいろは歌しか……」

「はぁ、本当に風流とか雅というものとは縁遠いひとねぇ。ならそれでいきましょう。さぁさぁ、王子神さまを待たせてはいけないわ」


 鈴音は義郎の手を引きながら、若龍王子の前に進み出た。


「王子神様、僭越ながら私たちが人間の遊びの"いろは"をお教えいたします。難しい事ではありません。皆で動きを合わせれば自然と心も躍り出すのです――こんな風に」


 鈴音は若龍王子に一礼すると胸が膨らむほど大きく息を吸いこみ、場違いなほど陽気に歌い始めた。


「色は匂えど――」


 鈴音の唇の動きに合わせ、義郎も同じ言葉を口ずさむ。師父から筆を与えられて文字を教わり始めた幼少時、一生懸命覚えようと日が暮れるまで木石に書き連ねた言葉を、記憶から掘り起こした。


 いろにおへど りぬるを

 だれそ つねならむ

 有為うい奥山おくやま 今日きょうえて

 あさゆめじ ひもせず

(花が咲いても散ってしまうように、この世に永遠なるものは存在しない。移ろいゆく儚い世間を乗り越えて悟りの頂きへ辿り着いた私は、もうつまらない欲望や快楽に惑わされはしないよ)


「え? え?」


 いきなり目の前で始まった合唱に戸惑う少年。頭に自分の身の丈ほどもある立て烏帽子を乗せ、小さな手に舞扇を握りしめたまま、目の前の光景に釘づけとなる。

 注目したのを見計らって、鈴音がたんたん、たたんと軽やかに舞い始めた。義郎も彼女の動きを追ってだんだん、だだんと強く地を踏み鳴らす。

 女の高く甘やかな声と、男の低く厳かな息吹。女が袖を翻して蝶のように羽ばたき、男は駆ける駿馬のように腕を振る――異なる二人の二重奏がより重なり、一つの律動へと昇華していく。動きをそろえるという非日常的な行動が、義郎と鈴音の間に連帯感を生み出し、気分をいやおうにも高揚させた。 


「この阿呆ども、性懲りもなくまだ続けるか!」


 源主も男女の奇行に気づき、反省の色が見え無い態度に怒り猛った。空を割るような雷鳴がいよいよ激しさを増して、舞い歌う人間たちを脅しつける。


「あら、天の楽党が囃しているわ! 心憎い演出ねぇ」

「雷太鼓ってか? よし、この急拍子に遅れるなよ!」


 しかし義郎と鈴音は天上からの圧力に屈さぬどころか、今度は唸る雷雲と落雷の音に拍子を合わせる始末だった。歌舞で強く結びついた二人の意識は、個々の自我を一時ながらも忘れ去り、そこには恐怖の入り込む余地が無かった。猛る大荒神の御前で大胆不敵に、ひたすら遊び狂う。


「痴れ者どもめ、ついに狂ったか」

「わぁ……すごい」


 雷さえ囃子にしてしまう二人に源主があきれ果てる一方、間近で眺めている若龍王子は感嘆の吐息を漏らす。

 神々の御前で、義郎と鈴音は繰り返し舞い歌う。


 色は匂へど 散りぬるを

 我が世誰そ 常ならむ

 有為の奥山 今日越えて

 浅き夢見じ 酔ひもせず


「いろはにおへどちるぬるを……」


 いつしか若龍王子はいろは歌を、たどたどしくも口ずさんでいた。楽しげに舞う二人に感化されて、次第にうずうずと体を身動がせる。そしてついにふっと足を前に振り上げ、二人の間に飛び込んだ。


「僕もやる!」


 手に握りしめた舞扇をぶんぶん振り回し、被った立烏帽子をふらふら揺らしながら、若龍王子自ら元気に舞い始めたのである。


「おっと」


 小さな子供の乱入に思わずたたらを踏む二人。舞が一瞬中断されるが、そこに鈴音が待ってましたと言わんばかりに、「そや!」と囃して一首滑り込ませた。


 そや 群雲むらくもの 雷太鼓かみなりだいこ る中に たまむあそぶ りゅう若君わかぎみ


 これといった言葉遊びの無い即興の凡歌。しかし技巧を凝らしていないがゆえに、子供にも意味がわかりやすかった。自分の事を歌われていると気づいた王子神は喜んで勢いづく。


「わぁい!」


 舞い遊ぶ童子神は岩の地面に裸足をぺたぺたぺったんと響かせ、一足ごとに旋回が早くなっていく。挙句の果てにバッタのようにぴょんぴょん跳ね始め、その高さは義郎たちの首まで届いた。

 遊びに夢中になった若龍王子は傍らの義郎と鈴音の存在をすっかり忘れてしまっていた。だから両手を広げて跳ね回った拍子に、握りしめた舞扇で二人の顔をばしりばしりと殴ってしまっていることにも気づかなかった。


「うぉっ」

「きゃっ」


 顔をしたたかに打たれた二人は、思わずよろめいて引き下がった。


「いてて……む?」


 その時、我に返った義郎は周囲の違和感に気が付いた。徐々に近づいていたはずの雷鳴がいつのまにか遠ざかり、強まっていたはずの嵐が穏やかになり始めている。

 そして源主が、若龍王子をじっとみつめていた。


「若龍や……」


 理性を失った怒りの凶相はなりを潜め、元の冷静な美貌が戻っている。氷のような無表情は相変わらずだが、その目元には憤怒や憎悪ではなく、慈愛が宿っているように見えた。

 我を忘れて舞い遊ぶ子供を見守っている源主に、鈴音が鈴を振り鳴らすようなとびきりの美声で歌を贈った。


 遊びをせんとや 生まれけむ

 戯れせんとや 生まれけん

 遊ぶ子供の 声聞けば

 我が身さえこそ 揺るがるれ


 歌い終えた時――頭上の大穴から雨が降り注いだ。夜空の天の川が氾濫したのではないかと疑うほどの豪雨が、穴の真下にいる義郎と鈴音、それに若龍王子に降りかかる。


「きゃっ、いたい!」

「伏せろ鈴音!」


 石を穿つような激しい雨粒に打たれて、鈴音が悲鳴を上げる。義郎は彼女を伏せさせるとその上に覆いかぶさり、身を挺して守った。

 二人が動けずにいる中、若龍王子は相変わらずくるくる、狂々くるくると舞い回っている。水たまりをぴちゃぴちゃしぶかせながら、文字通り狂喜乱舞していた。


「あはははは、涼しいなぁ!」


 龍の若君が笑う中、雨は次第に弱まっていき、まもなく止んだ。


「ああ、楽しかった! でも疲れちゃったぁ……」


 ずぶぬれの若龍王子はとうとう遊び疲れて、烏帽子と扇を放り出すとその場にうつ伏せになって丸まり、すやすや寝息を立て始めた。

 豪雨が過ぎ去ったのに気づいて義郎と鈴音が面を上げたとき、夜空は雲一つない快晴の満月だった。再び洞窟に注ぎ込む月光を頼りに彼らが見たのは、源主が若龍王子の傍によって抱き上げる姿だった。

 腕の中に我が子を抱きながら、源主は義郎と鈴音を見下ろして短く告げる。


「そなたらの罪は洗い清められた」

「え?」


 思いがけぬ言葉に、義郎は我が耳を疑った。彼が聞き返そうとする前に、源主は立て続けにこういった。


「わたくしは再び、しばし場を離れる。この子を着替えさせなければならないし、酒樽と盃をまた割ってしまったから新しい物をもって来なくては」


 一方的に言い放つと、若龍王子を抱いたまま洞窟の奥へ歩き出す。だが一度だけ立ち止まり、二人をちらと見つつ呟いた。


「とっておきの古酒を開けるとしよう――我が宮の客に一献も呑ませず、手ぶらで帰すなどという非礼があってはならない」


 そして今度こそ暗闇に消える。

 残された義郎と鈴音は源主の言葉をじっくり噛みしめ、自分たちが赦されたのだとようやく理解すると、安堵の息をどっと吐いた。


「はぁ、なんとか命拾いしたみたい……ああ、扇がびちゃびちゃ。絵もはげちゃって、もう使えないわね」


 水たまりに落ちた扇と烏帽子を拾い上げる鈴音に、義郎は疑問を口にした。


「なぁ、源主はどうして心変わりして俺たちを赦したんだ……?」

「最初の約束通り、めでたいものを観せたからでしょう。私たちの功を評価して、考え直していただけたのよ」

「めでたいもの? さっきの俺たちの歌舞か?」


 鈴音は首を振る。


「いいえ、違うわ。源主の心を和らげたのはたぶん、私たちの芸そのものではなくて――一緒に遊ぶ王子神の、楽しげな御姿よ。母親にとって、我が子の笑顔ほど喜ばしいものはないでしょう? ましてや溺愛している末っ子なんだから。一か八かの賭けだったけど……九死に一生を得られたみたいね」

「さっきは源主を色情魔みたいに評して俺に色仕掛けさせたのに、今度は母性に訴えたってわけか? ころころ意見を変えて、つきあうこっちの身にもなってくれよ。まぁ、それで上手く事が運んだ以上文句はないが……」

「……今だから言えるのだけれど、もし若龍王子が現れずに滞りなく舞台が終わっていたら、私たちは殺されていたに違いないわ」

「なぜそう思う?」

「舞っていたあなたには見えなかっただろうけど、あの女神は私たちが拍子を外す度に、指を折って数えてたんだもの」

「……どういう事だ」

「私たちの芸で楽しむつもりなんて、毛頭なかったのよ。きっと私たちをさんざん踊らせた後、色々難癖をつけて殺すつもりだったんだわ」

「どうしてわざわざ、そんなもったいぶった事を……神の神通力があれば、人を殺すなんて一瞬で済むだろう」

「荒神の御心なんて推し量れないけど……私たちの無駄なあがきを嘲笑って、溜飲を下げたかったんじゃないかしら」

「……なんという」


 義郎はわずかな所作で神の意図を察した鈴音の機微と機転に深く感じ入る。同時に、人の運命を掌で弄ぼうとした蛇神の悪辣な思惑に、寒気がして言葉が出なかった。


「そんなねじ曲がった態度で観る相手には、どれだけ技巧を凝らしても心に届かないわ……けど、そこに王子神が飛び込んだことで場の流れが変わって、つけいる隙ができた。私たちが人事を尽くした甲斐あって、図らずもあの子が天運をもたらしてくれたのよ」

「しかし、そうなると源主の機嫌をとった直接の手柄は若龍王子にあるんじゃないか。あの女神はなぜ、揚げ足をとらずに俺たちを赦す気になったんだ?」

「子供の楽しそうな様子に和んで、私たち人間風情の始末なんてどうでもよくなったんじゃない?」

「……人間じんかん万事ばんじ塞翁さいおううまだな。この一日で、人生どう転がるか分かったもんじゃないってのがよく身にしみた……」

「全くねぇ。まさにここは、有為の奥山だわ」


 頭上の満月を眺めながら、彼らは頷きあった。


   ◆


 複雑に入り組んだ岩屋御所を、源主が迷いのない足取りで歩んでいる。すると胸に抱いていた若龍王子がもぞもぞと動き出し、まぶたをこすりながら大きくあくびした。


「ふぁあ……」

「おはよう若龍。全く、そなたは手間をかけさせる子ですねぇ」


 源主は我が子へ穏やかに語りかける。そこは義郎達のいる広場から遠く隔たった、外の光が届かない完全な暗黒の中だったが、神の母子の双眸は日月のように煌々と妖しく輝いて、互いの顔を迷い無く捉えていた。


「母上、おはよう……義郎と鈴音はどこ? もしかして殺しちゃったの?」

「まさか。わたくしは慈悲深き菩薩の化身なのです。あの者達は身体を張ってめでたいものを拝ませてくれたのだから、ちゃんと赦してあげますよ」

「本当に? 絶対だよ。僕と一緒に遊んでくれた初めての人間なんだもん、お願いだから殺さないでね」

「ええ、もちろんですとも」


 念を押す息子に母は重ねて頷き、続いて語りかける風でなく独り言を呟いた。


「雄の子の武勇と雌の子の伎芸……いにしえの荒彦すさひこ賑姫にぎひめには遠く及ばずとも、神の端くれと渡り合える人傑が二人そろって我が宮を訪れるとは、百年に一度もない巡り合わせ。勘に障ったからといって食らうのはあまりにも無思慮だ――もっと善い使い道があるのだから。ふふふ」


 静かに笑う母神の胸元で、王子神は小首を傾げていた。

・いろは歌

仮名を重複させず、かつ全ての音を用いて書かれた歌。歌の意味は仏教の経典由来と言われる。

全て平仮名で表すと下記となる。


いろはにほへと ちりぬるを

わかよたれそ つねならむ

うゐのおくやま けふこえて

あさきゆめみし ゑひもせす


・『遊びをせんとや生まれけむ……』

『梁塵秘抄』より。子供の遊び声につられてうきうきする心を素直に歌い上げたとも、遊女あそびが辛い境涯を嘆いているとも、色々な解釈がある。

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