第二十二話 巌に花を咲かせましょ
「畏まりました。畏れ多き女神様の御前で芸を披露させて頂けるとなれば、一世一代の晴れ舞台。私たちの歌舞を是非ご照覧ください」
源主の脅迫的な忠告に力強く頷いたのは、義郎ではなく鈴音だった。懐から取り出した扇を開いて口元を隠し、不敵にほほ笑む。
何か面白いものを見せろという源主の無理難題を、芸人の鈴音が快諾したので義郎は内心頼もしく思った。ただ、その発言には若干気になる点があった。
(私たち……か。鈴音が舞うために、俺は何ができるだろう)
義郎は笛を吹く暇があれば木刀を振る男で、管弦は知らない。そんな自分にこの場で何が出来るとも思えなかったが、鈴音に協力を頼まれれば可能な限り応えたかった。
だが源主は、露骨に失望した態度を見せた。
「ふぅん。まぁ、そうするだろうとは思っていましたよ。しかし、我が子をたぶらかした業前は評価してやってもよいが、この期に及んで同じ手が通用すると思っているのでは、馬鹿の一つ覚えとしか言いようがない。そなたが古の賑姫に匹敵する神業の持ち主なら、岩舞台で舞った時点でわたくしも降りていたはずでしょうに」
「あら、女神さまは勘違いなさっておりますわ。今から舞うのは私ではなく、この人です」
鈴音が扇を閉じて指し示したのは、そばに立つ義郎だった。
「……え、俺?」
「ほぉ」
義郎が素っ頓狂な声をあげて困惑する一方で、源主が興味深げに呟く。驚く二人に鈴音はその趣旨を述べた。
「私はすでに御神楽を捧げておりますから、立て続けに二度舞台に立つのは興がありません。また良き芸能を演じるには、陰陽和合――陽気と陰気の調和が取れた空間を生み出すのが肝要と言われています。陰陽二元の理に照らし合わせるとここは陰気の濃い洞窟であり、さらに時刻は夜ですから、女舞は陰気を強めるばかりでよろしくないのです。ここは力強い陽気がみなぎる荒武者の男舞こそ新鮮で、かつ場に相応しいかと思われます。私は脇から歌を添えて、拍子を取りましょう」
なるほど、意図を聞けばそれなりに道理にかなっており、筋も通っているように聞こえる。けれども、突然そんな役目を割り振られても当の義郎は困惑するばかりだった。
「ふむ、単に奇をてらっただけの思いつきではないらしい」
源主は腕を組んで一旦納得しかけたかに見えたが、すぐに水を差した。
「けれども、その雄の子に座興の心得があるとは到底見受けられませんね。笛を咥えたこともなさそうな猪武者に、いきなり舞台の主役を押し付けるのは酷でしょう。門外漢の醜態を観て酒を不味くするくらいなら、雌の子一人で舞い歌う方が見苦しくないのですが――そなたもそう思いませんか?」
最後の言葉は、義郎に向けられたものだった。
「ええ、まぁ……むぐ」
同意を求められて生返事しかけた義郎の口を、鈴音がとっさに扇で塞ぐ。そのまま割りこみ、源主の顔をしっかり見ながら断言した。
「心配要りませんわ。武芸の達人というものは、己の肉体の律動を緩急自在に操りつつ相手の挙動を捉える呼吸と足捌き、いわゆる乱拍子を心得ていると聞き及んでいます。先刻の立ち回りをみれば、彼がその妙技に達していることは疑いありません。私の節回しに合わせて踏み鳴らすなど朝飯前でしょう」
(よくもまぁ、いけしゃあしゃあと……)
大言壮語をすらすら並べる鈴音の口達者には、称揚されているはずの義郎も呆れて物も言えなかった。
「ふむ……」
源主は二人をじっくり見つめた末に、すっくと立ち上がって告げた。
「よろしい。そこまで言うなら、田舎侍のお手並みを拝見しようか。わたくしはしばし座を立って、割ってしまった盃の替えを取りに行く。戻るまでの間に舞の用意を済ませなさい」
源主は背を向けて洞窟の横穴へ歩む。だが一度だけ立ち止まって振り返り、こう言い添えた。
「……わかっているだろうが、くれぐれも妙な気を起こさないように。人の手足で天井の穴まで登るのは不可能だし、わたくしの案内無しに我が宮をうろつけば、光の届かない暗黒の中を永久に彷徨うことになる。逃げる算段をするくらいなら、辞世の句でも考える方が有意義ですよ」
そして源主は、するすると衣擦れの音を立てながら暗中に没した。
岩屋の宮殿の主が奥に引っ込むのを見届けた後、鈴音は手ぬぐいや櫛を取り出して義郎に向き直った。
「それじゃあ義郎、その汚れた顔とぼさぼさの髪を綺麗にするからじっとしていて頂戴。舞人は見目が肝心よ」
義郎は近づく鈴音の手を振り払い、一方的に話を進めたことをなじる。
「おい、とんだ無茶ぶりをしてくれたな。そりゃあ、俺に出来ることならなんだって協力したいが、いくらなんでも舞えと言われたって無理だ。今からでもとりなして、お前一人の歌舞に変えた方がずっとましに決まってる」
「それは駄目。観客の前で一度出来ると宣言したことを翻すのは言語道断よ。それこそ申し開きができないわ」
「言い出したのはお前であって、俺じゃない」
「向こうにとっては、どちらだろうが同じ事。今更引き返せないのよ」
義郎の反論を、鈴音はぴしゃりとはね退ける。
「第一、言われた通りの事をやっただけであの荒神が素直に喜ぶと思う? 観る者の予想を裏切り、けれど期待は裏切らないのが芸道の胆よ。荒々しい岩石の上に一輪の花が咲き誇るような意外な美しさがなければ、観客の心は掴めないの」
「……俺が舞えば源主の歓心を得られると、お前は本気で思っているのか」
半信半疑で問いかける義郎に、鈴音は確信を込めて頷いた。
「良い見込みがあると感じなければ、素人のあなたに無理強いなんてしていないわ。さっき言った事、口からの出任せではないのよ。あなたがあの大蛇――若龍王子だったかしら。王子神を一方的に斬り刻みながら、自分は一発も喰らわないのには驚いたわ。相手の拍子を読んでかき乱すことができるなら、合わせるのはもっと容易いはずよ」
いわゆる岡目八目というものか。戦いを見守っていた鈴音の観察眼は、義郎の立ち回り方を当人よりもよく分析しているのだった。
「お前の神楽を眺めていた時、足裁きに武芸に似通うものを感じたが、お前も俺の立ち回りに思うところがあったのか」
「私のそれは相方と呼吸を合わせるためのものだけれど、あなたは敵を出し抜くために活かしているのね。武術と芸能には、どこか相通ずるものがあるのかしら……陰陽の関係なのかもね」
義郎が鈴音の舞に対して抱いた感慨と似たものを、鈴音は義郎の剣述に見出したらしい。
「話を戻すけれど、あなたが源主の前で舞う事にはもう一つ、大きな強みがあるわ。それは女の身の私ではどう足掻いても敵わない、天賦の差よ」
「強み?」
素人の義郎に、歌舞を生業とする鈴音より秀でた部分があるとはにわかに信じがたい指摘だった。
神妙な面持ちで答えを促す義郎に、鈴音は冷やかすような笑みを浮かべて、簡潔明瞭に告げた。
「色好みの女が、若い男に奉仕されて喜ばないわけがないでしょう?」
義郎はがっくりと項垂れる。
「そんな下らない理由かよ」
「あら、決して下らなくないわ。主賓の嗜好は、興行の成否を大きく左右するんだから。さぁさぁ、納得できたなら私に従っておめかしして。十分なお化粧は施せないけど出来る限り手を尽くして、荒夷を雅男に仕立てあげましょう」
抗議を諦めた義郎は、大人しく鈴音に身を委ねた。顔を手ぬぐいで磨かれ、髻を解いて髪を梳かれた揚句、舞人に変身させられた。
身支度を整えると、鈴音が可能な限り舞の作法を伝授した。
「本当は手取り足取り教えたいところだけど、時間がないからぶっつけ本番でいくしかないわ。私が最初に今様を一首歌うから、それで節回しを掴んで。最初の歌が終わったら威厳たっぷりにゆったりと立ち上がって、一節ごとに足を踏み鳴らしながら右へ左へ回るの。舞の身振り手振りは即興で、あなたの思いついたままにやって頂戴。男舞だから、扇を武器に見立てて剣術の仕草をしても構わないわ」
「剣術の型をやってもいいのか?」
「そうね、あなたが自信を持って臨めるならその方がいいわ」
「良かった。それならなんとかなりそうだ」
「とにかく力強く、雄々しさを表現して。夜の舞台は徹底的に陽気な舞じゃないと、周囲の陰気に飲み込まれてしまうの」
「なるほど」
「武芸では無駄な動きは排するかもしれないけど、舞で手足を動かすときは激しく大げさに、声を上げるときは洞窟に反響させるつもりで叫んで」
「おう」
「そして何よりも重要なのは、足拍子を間違えても決して動揺を顔に出さない事。多少変に見えても堂々と構えていれば、観客はこういうものだと勝手に納得するわ。何があっても、私と呼吸を合わせることだけに専念してね」
「ああ」
「あと、その武士特有の物々しい顔つきは駄目。観客も威圧されて心から楽しめないわ。目元を緩めて、穏やかな表情を意識して」
「こ……こうか?」
「まだ固い。こうよ、私の顔をしっかり見て。ほら、照れないで――そう、そんな感じ」
懇々と教授する鈴音に、義郎は律儀に相槌を打つ。
「この急場で教えられるのはここまで。あとは人事を尽くして天命に委ねましょう」
打ち合わせを終えると、義郎は月光の降り注ぐ広場の中央に、鈴音は壁際に座して主賓を待つ。ほどなくして、源主が盃を携えて帰ってきた。
「おや……鶴が自分の羽で烏を着飾らせている。甲斐甲斐しいことよ」
広場に現れるなり、源主は二人の姿をそう評した。
舞人と化した義郎は今、着慣れている色褪せた紺の着物の上に、練り絹の白水干を重ね着していた。良く梳いた頭髪を結びなおして立烏帽子を頂き、帯に金泥の舞扇を差している。それらは「脇役が主役より目立ってはいけない」と、鈴音が自身の舞装束を惜しみなく貸し与えたものだった。衣装に着られているような不恰好さは否めないが、平素に比べればずっと華やかなのは間違いない。
一方の鈴音は、水干の下に着ていた赤色の単衣と袴を残して、着飾れるものは出し惜しみ無く義郎に与えたので、ひどく慎ましく見えた。水干や烏帽子を外した格好は、たしかに美しい鳥の羽を毟り取ったような風情だった。
源主は自分の席に腰を下ろすと、新しく持ってきた翡翠の玉杯で酒樽の中身を掬った。並々と湛えられた酒の水面に、頭上の満月を映してうっとりと見つめる。
「月見酒には良い時分。思わず心を奪われて、他のものは目に入らなくなってしまいますねぇ。そこの烏や、せいぜい月に見劣りせぬよう頑張りなさい」
源主がくいと一杯飲み干したのを合図に、いよいよ宴が始まる。舞人は義郎、囃子方は鈴音。文字通り身命を賭した一世一代の晴れ舞台の幕開けだった。




