第二話 蟻の行列出瑞参り
「お侍さん。あんた、あっちの峠から来たんかね」
峠道を降りて街道筋に合流した義郎は、道端で 『一服一銭』と高札の建てられた茶屋を見つけて一息ついていた。長椅子に腰を降ろし、脚絆の紐をゆるめて足を休めていると、薄い番茶を持ってきた中年の女主人に話しかけられた。
「あそこには昔から、一人旅しか狙わないせこい小物の追いはぎどもが住み着いてるんだよ。出くわさずに無事に越えて来るなんて、運がいいね」
「いえ、途中で囲まれたんですが追い払いました」
渡された茶を一口啜ってから義郎は短く答える。女主人が「へぇ?」と軽く驚いた。
「連中の親分が突き出した薙刀を切り払って、ついでに髷と烏帽子を切り落として脅かしたら、血も見ない内に一目散に逃げていきましたよ」
腰の刀を撫でながら簡潔に状況を説明すると、女主人が今度はひゅうと上機嫌に口笛を吹く。一旦茶屋の奥に引っ込むと、餅を五六個積んだ小皿を盆に乗せてすぐさま戻って来た。
「やるじゃないか! 連中に丸裸にされた可哀想な旅人が、よくうちに駆け込んでくるんだよ。その度にお上になんとかしてくれって頼み込んだけど、『関所料を惜しんで官道を避ける者が悪い』つって梨のつぶてでね……けれどもあんたのお陰で、奴らもこれからはちったぁ慎重になるだろうさ。一泡吹かせてくれて清々したよ。こいつはあたしの奢りだ、ゆっくりしておいき」
「荒事の後で、ちょうど腹を空かしていたんです。御好意に甘えさせて頂きます」
義郎はぺこりと頭を垂れ、餅の積まれた小皿を慎んで受け取る。
「それにしてもたった一人で山賊どもを追い散らすたぁ、若いのに腕の立つお侍さんだね。何処の人だい」
「億里国です」
「へぇ、たしか東国の……億里野とかいうだだっ広い草っぱらで有名な、馬の産地だっけね? 随分遠い所からきたもんだ。この出瑞国へは武者修行にきたのかい?」
「いえ、出瑞大社へお参りに来ました。郷里のお師匠様から免許皆伝の前に、物詣での旅をして世間の見聞を広めて来いと言われまして。正月明けに出発したんですが、路銀が心許なくて道中の宿や農家で薪割りや水汲みして稼ぎながら少しずつ進んでいたら、桜が咲く今ごろになってようやくたどり着いた次第で……」
「たった一人で物詣での旅とは、そりゃ関心な事だ。しかも東の遠国から、遥か西のこの出瑞国の一之宮をわざわざ選ぶなんて、あんたのお師匠さんは目の付け所が違うね、誇っていいよ」
「恐縮です」
「そうだ、この日の高さならそろそろ……お侍さん、折の良い時にうちに来たね。出瑞山へ行くならもうちょっとここに居なよ、いいもんがみれるから」
「良い物?」
「おっと、噂をすりゃあ……」
女主人が義郎の来た脇道ではなく広い街道の方角を見つめると、遠くからどやどやと賑やかな声と足音が聞えて来る。程なくして道の向こうから、白い狩衣に身を包んだ神官風の男二人組が、背後に二三十人からなる集団を率いて茶屋へ押しかけて来た。
「そうら、来なすった。あれが今時流行りの出瑞講だよ。出瑞大社にお仕えしとる祈祷師さまが、豊瑞穂全国を渡り歩いて出瑞の神様の御徳を熱心に説いて回っとるんだけど、その一環で村や町を代表して大社へお参りの旅に行く人たちを募って、ああして出瑞参りの御一行を案内してるのさ」
「へぇ、あれが『蟻の行列のごとし』と名高い……」
「お侍さん、悪いが端に寄っとくれ。団体さんのお世話をせにゃならんから」
女主人に従い片隅によった義郎は、茶と餅を飲み食いながら出瑞講の団体を遠巻きに観察した。
(あそこの足腰のしっかりした老人は百姓だろうか。あっちのきっぷのいい娘はきっと市場の物売りだろう。腕が太くて顔に傷の多いあの男はたぶん喧嘩っ早い漁師か水夫――ごった煮だな)
彼らはきわめて統一性の無い、雑多な職業が入り混じった庶民の集まりだった。男と女がおり、若者も老人もいる。農民と思わしき朴訥な話し方の者がいれば、商人に違いない早口の者もいるし、受け答えが気難しい職人気質の者もいる。そして言葉を交わし合う各々の訛りはずいぶん異なり、他郷の人々の寄せ集めなのも明らかだった。
そのような十人十色の団体だが、皆の顔には一様に歩き旅の疲労が浮かぶと同時に、それに負けない活気にみなぎっている。一人ひとりの出身は違えども、全員が寺社巡礼の名目で故郷の村や町の参詣代表者として世へ送り出された、誇らしき人々だ。家族や友人たちから託された願い事を一身に背負いつつ、余所の土地を見聞するという一生に一度あるかないかの楽しみを大いに満喫しているに違いなかった。この参詣の旅を終えて帰郷したら、道中で見聞した事を故郷の皆に語り聞かせて、一生の思い出にする事だろう。
団体客がやいのやいのと騒ぐ中、茶屋の主人が彼らの中に割って入って右に左と駆け回る。大きな盆に予め用意していた茶と握り飯をぎっしり乗せて、一同に配膳していった。
(白い飯だ……貴族の行列ならともかく、庶民にあんな大盤振る舞いするなんて)
数ヶ月は口にしていないご馳走が目の前で次々と運ばれていく様子に、義郎は卑しいと恥じつつも唾を飲まずにいられない。
食事が行き渡ると、一行の先達を務めている二人組の祈祷師の内、年下の若い男が法螺貝を吹き鳴らして周囲の耳目を集めた。そして年上の壮年の祈祷師が杖を突いて立ちあがると、貝笛に負けぬよく響く声で話し始める。
「信心深き善男善女の方々、ようやく出瑞国へ入国しました。ここまでくればあとひと踏ん張り、あと半日歩けば日の暮れぬ内に霊峰出瑞山の大社の、門前の宿場町に辿り着くでしょう。今一度この茶屋で最後の休憩を設けますが、皆様方が足を休めている間に、我が出瑞大社の縁起(事の始まり)を改めて説きたいと存じまする」
年長の祈祷師が挨拶している間に、若い祈祷師が荷物から巻物を取り出して、近くの適当な木の枝に掛け吊るして人々に披露する。巻物の中身は文章ではなく絵で、顔料を惜しげなく使って荘厳に彩色された様々な情景が描かれており、それらは繋がりをもった一つの物語となっているらしかった。
どうやら巡礼者たちが休憩するわずかな合間を利用して絵物語を語り説き、自分たちの奉ずる出瑞の神への教化を促すつもりのようだ。案内している彼らも腰を下ろして一息つきたいであろうに、熱心な布教ぶりである。
(庶民から大社への寄進を募るために、諸国を渡り歩いているだけの事はあるな……)
出瑞祈祷師の旺盛な体力と篤い信仰心に、義郎も内心で感心する。
「そもそも我が出瑞大社の創建は古く、遠く上古の遙かなる神代にまで遡ります。ここでは我が国の建国にまつわる伝説『大国主尊と源主神の国譲り』を引用して、その悠久の年月と荘厳さを実感していただきたく思いまする」
(これからお参りに行く所の昔語りか……せっかくだから聞いて行こう)
皿を見れば餅はまだ残っている。義郎は今しばらくここに留まり、出瑞講の団体の背後から祈祷師の講釈を静かに拝聴する事にした。
「今では遠い昔の話となりますが――」
山間の茶屋で聴衆の見守る中、祈祷師が絵物語を指し示しながら、朗々とした語り口でいにしえの神話を説き始める――