第十八話 武士と大蛇の大立ち回り
岩屋御所を飛び出した義郎は抜き身の刀を引っ提げて、岩舞台の上で鎌首もたげる白鱗の大蛇へ迫る。
後三十歩で刀が届くといった所で、大蛇はいきなり頭を突き出して咬みついて来た。とっさに後ろへ飛びのいて、寸での所で避ける義郎。
飛び退き様に初太刀を加えようと刀を振り上げたが、獲物を捕らえ損ねた蛇は速やかに頭を退き、太刀筋は空を斬った。武者と大蛇、両雄の初撃は空振りに終わる。
ここから先は大蛇の間合いと見定めた義郎は、追い打ちを警戒して大きく下がった。
すると大蛇は長大な尾で大地を叩いて周囲の岩石を砕き、鋭い破片を義郎目掛けて弾き飛ばしてくる。無数のつぶてを捌ききれないと判断した義郎は、近くの岩陰に飛び込んで身を守る。
敵が守りに入ったと見るや、大蛇は尻尾で岩石をさらってはがらがらと石の雨を降らし、早く出て来いと言わんばかりに義郎を攻め立て始めた。
篭城を余儀なくされた義郎は、つぶての間隔を見計らって岩陰から大蛇の様子を伺う。試みに足元の石を拾って投げつけたが、大蛇は避けようともせず、拳大の石が頭に直撃しても巨体はふらつきもしない。こちらの投石は全く通じていないようだ。
(くそ、弓矢があればここからでも反撃できるものを……狩りに来たわけでもなし、無い物を嘆いても始まらん)
義郎は舌を打ちながら打開策を練る。
(このままだといずれ大石に頭を砕かれるか、よくて生き埋めだ……しかし、うかつに飛び出して接近すればまたあの大口に狙われる。石の降る中であの動きを見切れるか? たとえ避けられても、足を止めれば空いた尻尾ですかさず追撃してくるだろう。あんな牛よりもでかい化け蛇の一撃をまともに食らえば、たちまちお陀仏だ。一気に間合いを詰めて斬りかからなければ、勝機は無い。考えろ――どうすれば奴の攻撃を掻い潜って近づけるか)
自問自答していた時、腰に差した小太刀を思い出す。先ほど鈴音に「これも使って」と渡された物だ。
あくまで舞装束の一部であり、装飾過多で刃渡りも短いため、武器としてはあまり当てに出来ない。それでも受け取ったのは己の得物が折れた時の予備にするつもりだったのだが、この状況では気休めにしかならないだろう。
――そう思った時、この土壇場でふと別の使い道を閃いた。
(『戦は正を以って合し、奇を以って勝つ』――分の悪い状況を覆すには、一か八か賭けるしかない!)
義郎は己の技量と感覚を信じ、躊躇せずその思いつきを実行に移した。
自分の刀を右手一本で握り直し、空いた左手で小太刀を抜き放って二刀流となる。そして降り注ぐ石雨の間隔を見計らうと意を決して岩陰から飛び出し、真っ向から大蛇へ挑み掛かった。
大蛇は敵の武器が増えたのを見て一瞬身を竦めたが、すぐに落ち着きを取り戻したようだ。牙爪がいくら増えようと、近づかなければどうしようもない以上、対処も変わりはしないのだ。
大蛇は迫る獲物へ冷静に狙いを定めながらぐぐっと身体をたわませ、迎撃体勢に入る。確実に毒牙が届く距離まで義郎を引き寄せると、ぐわっと大口を空けて首を伸ばし、猪武者に文字通り喰らいかかっていく。
と、その時。義郎は走りながら左手の小太刀を振り上げ、大蛇の顔面目がけて勢い良くぶん投げた。
大事な武器を手放すわけがないと、そう思い込んでいたのだろう。今度ばかりは大蛇も驚き、慌てて首を引っ込めようとするが遅かった。突進を止めた一瞬の間に、小太刀はくるくる回転しながら一直線に宙を駆け、大蛇の眉間に剣先からぐさりと突き刺さる。
二刀流で手数を頼みに突撃すると見せかけて、衝突する直前にいきなり小太刀を飛び道具に変えて意表を突く――それが義郎の思いついた奇策であり、師匠義蔵に仕込まれた武芸十八般が一つ、手裏剣術を応用してこそ成せる妙技だった。
あわよくばこの一撃で仕留められれば、と期待したがそう上手くはいかないらしい。大蛇の頭部に刺さった小太刀は切っ先三寸で止まっており、脳天まで貫通してはいないだろう。
致命傷を免れた大蛇は、眉間に浅く刺さった凶器を取ろうと激しくもがいた。尾を振り回して虫を追い払うように額をはたくと、弾き飛ばされた小太刀は地に強く叩きつけられて真っ二つに折れ、完全に使い物にならなくなってしまう。
だが義郎にとって、小太刀の奇襲が必殺となるか否か、そもそも命中するか否など、大した問題ではなかった。重要なのは、完全に意表を突いた武器投擲への対応に迫られた大蛇が、義郎を迎撃しそこなったという事実。その隙を彼は見逃さなかった。
大蛇が義郎から意識を逸らした二、三瞬の間に、義郎は頼みの愛刀を両手で握り直して一気に距離を詰め、岩舞台へと駆け上がって大蛇の懐に踊り込んでいた。
「えいぃぃぃっ!」
そして鬨の声を上げながら、怪物の太い胴体へ勇猛果敢に斬り掛かったのである。
(固い!)
鱗に覆われた大蛇の皮は固く、まるで丸太に打ちかかっているような手応えで、刃は表面を撫で斬りにすれども骨肉まで達しない。だがそれがどうした、ここまで来て輪切りにできぬなら出血死させるまでよと、腹をくくった義郎はやたらめったらに斬りまくって敵の刀傷を増やしていく。返り血を浴びる興奮で身体が燃え上がり、息は荒く、目も血走っていた。
むろん、大蛇とて懐の敵を野放しにするはずもない。額から血を流す頭を刀の届かない高所へ持ち上げると、義郎を頭上から見下ろしながら、尻尾を鞭のようにしならせて叩きつぶそうとしてきた。
しかし一旦接近戦に持ち込めば、かえって義郎の方が有利となる。大蛇の動きはその巨体ゆえにいちいち大ぶりで、不審な轟きを間近で察知してさっとそこから身を退けば、間一髪で避けられた。一瞬一瞬がぎりぎりで、決して余裕ではない。だが、なんとか躱せるのだ。
(横へ踏み込んで胴を斬る。斬ったら身を引き、また横へ踏み込んで胴を斬る……)
極度の緊張状態に、頭はすでに冷静な思考を失っている。それでも手足が固まることなく動いて戦い続けられるのは、十年に及ぶ稽古で身体が剣術の型を覚えているおかげだった。今の義郎に自我は無く、ただ大蛇の動きに反応してひたすら刀を振り下ろすからくり人形と化していた。
大蛇の抵抗をあしらいつつ、何度斬り付けた事だろうか。鱗のあまりの固さに、仕舞いには刃がぼろぼろに欠けて刀身も曲がってしまったが、義郎はお構いなしに刀を降り続けた。しかし、とうとう濡れた岩肌に足を滑らせて、岩舞台から転げ落ちてしまう。
どすんと仰向けに倒れ込み、その衝撃ではっと我に返る義郎。急いで身を起こそうと四肢を動かすが、固い岩場で強かに背中を打ってしまいすぐには自由が利かなかった。首を回して周囲を見回す事もままならない。刀は手から離れ、腕を伸ばしても届かない距離に落ちていた。
(畜生、ここまでか……)
この絶好の機会を敵が見逃すはずがない。もはや武運尽きたか、この上はもう好きにしてれと、義郎はまな板の鯉の心境で五体を放り出す。けれども大蛇の大口に呑み込まれる瞬間を恐れて、固く目を閉じてしまったのは我ながら情けなく思われた。
(先生、先立つ親不孝をお許しください。鈴音……すまない。約束、守れなかった)
しかし。待てども待てども、大蛇は襲って来ない。岩石を蹴散らす轟音も聞こえず、滝と川の濁流音だけがしばし戦場を満たした。
精根尽き果てて死を覚悟していた義郎は、その瞬間が一向に訪れない事を不審に思い、背中の痛みが引いてくるのを待ってゆっくりと上体を起こす。
そして彼が見た光景は――夥しい血を流してぐったりと身を横たえる大蛇と、その血河で真っ赤に染められた岩舞台だった。
一心不乱に斬り続けている内に、大蛇はすでに力尽きていたらしい。彼が岩舞台から滑り落ちたのは、化け蛇の血溜まりに足を取られたせいだった。
「……やったのか?」
刃こぼれの目立つ刀を拾い直し、杖代わりにして立ち上がろうとしている時、自分を呼ぶ声が近づいてきた。
「義郎! 大丈夫!?」
声の主は、岩屋御所の入り口で巫女たちと一緒に隠れていたはずの鈴音だった。
「ああ……鈴音か。すまん、借りた小太刀、使い捨てにしちまった」
「そんなものどうでもいいから! どこが痛いの? 立てる?」
鈴音はあれこれ安否を問いながら、ああうんと答える義郎に肩を貸して起き上がるのを助ける。
ようやく二本の足で直立できるようになった義郎は、「隠れていろと言ったのになぜここにいるんだ」と鈴音に問うた。
「あなたが岩舞台から落ちたっきり動かなくなったから、思わず飛び出したの。お宮の巫女たちは、怖がって閉じ籠ったままよ」
人間と妖蛇が殺しあう修羅場を目の当たりにして巫女たちが恐れおののく中、鈴音はたった一人で義郎を助けに駆け付けたらしい。女だてらに大した度胸である。
義郎と肩を並べた鈴音は、目の前の岩舞台に広がる凄惨な光景を見て尋ねた。
「あいつは……死んだの?」
「今から確かめる。下がってくれ」
義郎は寄り添う鈴音を振り払い、血刀を提げて慎重に大蛇へ近づいた。
その時、大蛇が身を震わせた。死んだふりでやり過ごそうとしていたのか、単に気を失っていたのが正気付いたのか、どちらかは分からないが、義郎が近づいたのに反応して大きく身動ぎした。
「まだ生きていたか……!」
しかし、もはや戦う意思は無いらしい。真っ向から義郎を咬み殺そうとした猛々しさは消え失せ、今は必死に遠ざかろうとずるずる身を引きずっている。とはいえ大量出血した巨体の動きはのたのたと緩慢であり、満身創痍の義郎が尻尾まで辿りついても、彼を叩く余力すら残っていないらしかった。
そして義郎は尻尾を追い越し、今も血泉噴き出す胴体に辿りつく。散々斬り付けたこの個所ならば、刃の折れた刀でも刺し貫けそうだ。
刀を逆さに持って高く掲げ、今まさに突き刺さんとする義郎。
「これで止めだ……」
その時、義郎が大蛇に抱いた感情はいよいよ討ち取ってやるぞという昂揚ではなく、敵ながらよくここまで戦ったという賞賛でもなく、ましてや憎しみでもなかった。彼がここに至って感じたのは、憐憫の情――この妖怪が大蛇に化ける直前まで人間に怯えるいたいけな山童だった事、それを今から自分が殺そうとしているというやるせない気持ちだった。
だがここで生かして逃がせば、深い怨みを抱く怪物を野に放ち、後日の障りとなろう。自分だけならまだしも、今ここにいる女たちに累が及ぶ危険性を考えれば、後顧の憂いは絶たねばならない。
(こいつが出瑞童子とやらだったのかは分からず仕舞いだが、少なくとも人前に出るのを拒んでいた……俺がそっとしておけば平穏に過ごしていたかもしれないのに、ただの子供と思って不用意に近づいたがために、こんな惨劇を招いてしまった……頼む、成仏してくれ)
義郎は心を鬼にして、刀を握る両手に力を込める。
だがそこで、滝裏に隠れている巫女たちがにわかに騒ぎ出すのが聞こえた。何事かと不審に思った義郎が瀕死の大蛇からさっと離れ、鈴音と一緒に滝の方へ降りむいた、その時である。
「お待ちなさい、人の雄の子よ」
岩屋御所の奥から厳かな女の声が轟いたかと思うと、滝裏から新たな人影が飛び出して来たのである。




