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龍神縁起 ~立派な神様のお供しよう~  作者: もぐら
第一章 出瑞(いずみ)編
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第十七話 神童は岩屋の御所に降りたまう

 巫女の制止を振り切って岩屋御所いわやごしょを覗き込んだ義郎は、先ほど見つけた不審な人影の正体を捜し求める。


「誰かいるのか? 出てこい!」


 滝音に負けぬ大一喝に驚いたか、奥の岩陰で小さい影がびくっと震える。


「そこにいるんだな?」

「だ、誰もいないよぉ!」


 義郎の問いかけを否定して、甲高い子供の声が洞窟に響く。

 間抜けな事に、それが己の所在を教えた。義郎は苔むした地面に足を滑らせないよう気を配りながら、返事が聞こえた岩陰へつかつかと歩み寄る。


「み、みつかっちゃった……」


 そこには公家の装いをした七歳くらいの童子が、身をちぢこめて隠れていた。

 眉目秀麗な美童子で、白絹の半尻装束に金糸で刺繍した銭模様が薄い光を浴びてきらきらと輝いている。その衣には染みやほつれが無く、場違いなほどに身奇麗だったが、なぜか履物を履いておらず裸足を晒していた。


 童子が先ほどの大喝に怯えているのを見て、義郎は怖がらせないように努め、少し距離をとって誰何すいかした。


「子供がこんな山奥で何をしているんだ。見たところ賎しからぬ家の出に見えるが、どこの子なんだ?」

「ここの……お、お宮の子。御山で遊んでた。奥で寝て……ここでお昼寝してたら、綺麗な歌声が聞こえたから、隠れてお遊戯見てたの」


 童子は岩陰から義郎の様子を伺いながら答える。その妙なたどたどしさには言葉を選び、素性を悟られるのを恐れている節があった。


(出瑞山に子供……出瑞童子? いや、こんな真昼間に妖怪がでるわけないか……)


 ふと生じた疑念を、義郎はつまらぬ迷信と振り払う。


「大社の神職の子か……皆に内緒で探検か?」


 子供というものは気まぐれで好奇心の塊だから、時として大人が思いもかけない大胆な行動を起こすものだ。だから義郎は童子の行動力に驚きつつも、さして不審には思わなかった。

 本宮には十代の若い巫女もいるから、この少年も住み込みの見習いだろうと見当をつける。


「とにかく、ここは危ないから一緒に表へ出よう。外に本宮の巫女たちがいるから、一緒に帰るんだ」

「え……いいよ。皆が帰ったら、僕も帰る」


 義郎の勧めに、童子はいやいやと首を振る。


「ねぇ、願いだから僕がここにいるのは内緒にして。お宮の人に見つかったら、母上に叱られちゃう」


 呆れた事に、暗い洞窟の中に一人でいるよりも、隠れて神域に入った悪事を親や周囲の大人に知られて、叱責される方がよほど怖いらしい。


「なに言ってるんだ。こんな場所に子供一人放っておけるわけないだろう。第一、その裸足で山を歩くつもりか? 足を血まみれにして帰ってきたら、母親が泣くぞ」

「御山の事は巫女さんたちよりずっと詳しいから、怪我なんてしないもん、平気だもん! 一人で帰れるから、僕がここにいた事は誰にも言わないで、早く出て行って!」


 頑なな童子の態度に、とうとう義郎も痺れを切らした。


「あんまりわがまま言うなら、無理やり捕まえて担いでいくぞ。危ないからそこを動くなよ」


 義郎は湿った地面に足を滑らせないよう、また童子をなるべく怖がらせないよう、一歩一歩ゆっくりと距離を詰めていく。


「ひっ……来ないで」


 童子が逃げるには、洞窟の奥へ潜るしかない。しかし足元の見えない暗闇へ飛び込む勇気は流石に無いのか、その場で岩にしがみついて無意味に隠れようとするだけだった。


「深山殿、誰かいた?」


 洞窟の入り口がどやどや騒がしくなり、鈴音すずねの声が聞こえる。洞窟へ走った義郎を心配して、巫女たちと一緒に遅れてやってきたようだ。


「ほら、皆やってきたぞ。大人しく来るんだ。勝手に御所に踏み込んだのは俺も同罪なんだ、一緒に叱られてやるから、さぁ……」


 義郎はあと数歩という所で立ち止まり、優しく諭す。抱きかかえようと腕を広げて伸ばしたとき、童子の呟きが耳に入った。


「こうなったら……さないと」

「え? 何て言った?」


 聞き逃した義郎が復唱を求めるが、童子も義郎の言葉を耳に入れていないらしい。少年は自分に言い聞かせるように、ぶつぶつと小さな独り言を唱え続けている。


「あんな沢山の人間に見つかったら、もう母上に言い訳できない……叱られたくない。やらないと…………みんな殺さないと!」

「何?」


 思いがけない発言に虚を付かれ、義郎の反応が遅れる。

 その隙を目ざとく突いて童子は勢いよく走り出し、義郎の脇をすり抜けて洞窟を出た。

 そして目の前に立ちはだかる激しい滝へ、恐れもためらいも無く一息に飛び込む。


「きゃ、子供?」


 入り口に集まっていた鈴音たちが、滝壺に飛び込む童子に出くわして驚く。


「おい、こら!」


 童子を追いかけ慌てて洞窟を飛び出した義郎は、安否を確かめるべく滝壺を覗き込もうとする。

 その時、滝の傍に集まっていた鈴音たちが目を丸くして、視線を一点に集中しているのに気づいた。


「ねぇ、深山殿……あれは、何?」


 鈴音の指先が示した方向、滝壺より下流へ目をやると――尋常ならざる光景に、義郎まで固まった。


 岩屋御所に滝水をかける皆本川みなもとがわは、流れが速く底も深い。その激流には鮭も押し流され、暗く青い水底は大人ですら足が届かない。


 その皆本川の川面を、童子が走っている。うねる濁流をまるで固い地面のように裸足で踏みしめて、義郎たちから遠ざかっていく。


「な、何なんだあれは……」


 およそこの世のものとは思えぬ情景に、皆が言葉を失った。


 激流の上を駆ける童子は岩舞台のある場所まで下ると、水を蹴り上げて舞台の上に飛び移る。


 その途端、童子の身体がぶわっと膨らみ、ばちんっと弾けて――童子の皮を破って、雄牛よりも太い胴を持つ大蛇が岩舞台の上に突如現れた。

 ずんぐりとした太く短い体型は、マムシを彷彿とさせる。白い鱗に覆われた蛇体は日光を返して銀色に輝き、その上に浮かぶ鮮血色の銭斑紋が、見る者に生理的な嫌悪感と怖気を抱かせた。


 岩舞台にとぐろをまいて鎮座する大蛇は、尾をびたんびたんと振り回して周囲の岩石を打ち転がし、谷底の道を器用に塞いでいく。真紅の蛇眼は滝壺に集まる義郎たちをじっと捉え、くわっと大口を開いて刀のように鋭い四本の牙を見せ付ける。

 その恐ろしさに、女たちはたちまち恐慌状態に陥った。


「きゃぁぁぁっ!」

「ば、化け蛇……!」

「怖い!」

「早く逃げないと……!」

「どうやって? あいつが道を塞いでるのよ!」

「ど、洞窟の奥に……」

「行き止まりだったら、追い詰められるわ!」

「どうしたらいいの!?」


 大蛇は岩舞台を離れず、自ら近寄ってくる様子は無いが、本宮へ戻る退路を完全に断たれてしまった。逃げるとしたら、岩屋御所の奥へ飛び込むしかない。

 しかし漆黒の闇に閉ざされた洞窟には何が待ち構えているかわからず、また蛇が入り口を占拠すれば閉じこめられてしまう。

 事実上、もはや逃げ場はなかった。


 あまりにも現実離れした状況に、巫女達は狼狽して冷静な言葉を紡ぐことができない。彼女らを束ねる巫女長さえも、顔面蒼白のまま固まってしまう。


 かろうじてただ一人、気丈な鈴音が義郎に声をかける。その表情は強張り、持ち前の勝気な態度はなりを潜めていた。


「深山殿……一体あれは何なの? 滝の裏から子供が飛び出したと思ったら、水の上を走って、蛇に化けて……まさか、あれが出瑞童子? もしかして、私が呼び寄せてしまったの? あなたの表現で言う『神に届く舞』を私が舞ったせいで……」

「悪戯に妄言を吐くな! 周りを怖がらせるだけだ!」


 自責の念に駆られ声が萎んでいく鈴音を、義郎が叱咤する。


 そして女達の混乱を鎮め、怪物を直視した衝撃で真っ白になった自分の思考力を持ち直すために、今置かれている状況を声に出して分析した。


「……確かな事は、あの怪物は俺たちを生きて返すつもりがないという事だ。本宮へ戻るには、あいつを退けなければならない。そして白昼堂々大暴れしている様子をみるに、おそらく幽霊ではないらしい――だったら、俺が斬ってやる。いかなる悪鬼異形であろうと、実体があるなら殺せぬ道理は無いはずだ」


 無双直伝深山流むそうじきでんしんざんりゅう剣法の継承者、深山義郎は腰の刀に手をかけ、闘志を表明した。


「この期に及んでは、こちらからあの化け物に打って出て血路を開くしかない。俺があの化け蛇の相手をするから、皆はここに隠れていてくれ! そして隙があれば逃げろ!」


 巫女達は寄り添いあって固まりながら縋るような目で義郎を注視し、ただ黙ってこくこくと頷く。


 一同が静まったのを見て、義郎は戦支度を整えるべく、鞘の緒紐を引き抜いてたすきがけする。

 その最中、鈴音が恐る恐る彼の腕を掴んで問いかけた。


「あれに立ち向かうつもり……? あなたはあれが怖くないの? いくら剣に自信があっても、あんな人外と立ち会うなんて無茶よ」

「……正直言って、恐ろしい。だがあの妖怪が暴れ出した直接の原因は、俺が下手に近づいて刺激したせいだ。ならば、その始末も俺が引き受けなければ。安心しろ、必ず皆を守る。この腰の物はお飾りじゃないんだ、相打ちになってでも仕留めてやる」

「……分かった。だったら、これも持っていって頂戴」


 制止を諦めた鈴音は、白拍子装束の一部である小太刀を腰から鞘ごと抜き、両手で捧げもって義郎に差し出した。


「怪物を相手取るのに、腰に差している一本だけじゃ心もとないでしょう。私の小太刀も使って。戦道具いくさどうぐではないけれど、物の足しにはなるはず」


 義郎は銀金具で飾られた小太刀を受け取り、刀身を抜いて検める。舞の妨げにならないように刃渡りは短く、しのぎには見事な龍が彫られていた。

 いかにも見栄え重視で軽く薄く、強度に若干の不安が残る。握り締める手元へ寄るべき重心も切っ先に傾いていて、安定を欠いていた。

 しかし流麗な波を描いた刃紋を見れば、ちゃんと刃が入っているのが分かる。実戦向きの代物とは言い難いが、全く役立たないという事はないだろう。


「ありがとう。いざというとき使わせてもらう」


 義郎が小太刀を帯に差し込む時、鈴音は彼の瞳をじっと見つめて、震える唇でこう囁いた。


「深山殿……いえ、義郎。お願いだから、死なないで」


 白拍子の憂い顔に、武者は短く「善処する」とだけ答えた。


 鈴音の小太刀と合わせて大小二本差しにした義郎は、手に馴染んだ愛刀を抜き放ち、胸中にわだかまる未知の怪物への恐怖を断ち切るべく高らかに宣言する。


「人の始めの軍神の荒彦大御神すさひこおおみかみ、退く事を知らぬ猛る百足の金物主神かなものぬしのかみ、仏敵を打ち払い衆生を救う護法善神の阿修羅、羅刹、金剛力士、そして豊瑞穂を鎮護せし諸々の神仏よ! 我に武運を授け、豊瑞穂の民草を守らせ給え! ――いざっ!」


 神仏に必勝を誓い覚悟を決めると、刀を構えて大蛇に向かい走り出す義郎。

 後に残された鈴音たちは、彼の勝利を祈りながらその背中をはらはらと見守るのだった。


 だから、岩屋御所の暗闇の奥で紅玉色の双眸が瞬き一つせず妖しく輝き、武士と大蛇の戦いの行く末をじっと観察しているなどとは、夢にも思わなかったのである。

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