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龍神縁起 ~立派な神様のお供しよう~  作者: もぐら
第一章 出瑞(いずみ)編
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第十五話 いにしえの乙女が立ちし岩舞台

 十数名の巫女衆に伴われて、義郎よしろう鈴音すずねは山上の岩屋御所いわやごしょへ参るべく本宮ほんくうを発ったが、その道の険しさは仮宮けくうから本宮までの石段とは比べようがなかった。そもそも道ですらなかった。


 出瑞山いずみやまから生じる数十の河川の中で、最も高所から下る一流を皆本川みなもとがわと呼び、出瑞大社の御神体である岩屋御所はこの川の源流付近に存在するという。

 山上の皆本川は斜面を細く真っ直ぐ駆け下って深い峡谷を刻んでおり、本宮は谷が低くなり始める山の中腹部に建つ。神域への参詣を望む者は徒歩で谷底へ入り、流水と風雨に侵されて谷から崩れ落ちた岩石が散乱する狭い川岸を乗り越えて、上流を目指さなければならないのだ。


 とはいえ、ここまで来られる頑健な足腰の持ち主ならば、骨の折れる苦行ではあるが決して無謀な道のりではない。普段から出瑞山で暮らす巫女衆は当然として、山岳育ちの義郎も次々と立ちはだかる障害物を危なげなく踏破する。経験の浅い若い巫女が難儀しているのを見かねて、義郎が手を差し伸べる場面もあった。


 それにしても、都人のはずの鈴音が一行の足を引っ張るどころか、猫の如き軽やかさで難所を越えていく有様には皆が驚いた。しかも裾広丈長の白拍子装束を纏いながら、岩にひっかけたり泥を蹴立てて衣を損なう事がないのである。


「まるで軽業師だな。白拍子ってのは、皆そんな風に身軽なのか」


 義郎が鈴音の身のこなしを褒めそやすと、彼女は珍しく技芸を誇る素振りをみせず、こう答えた。


「舞楽に必要なわけじゃないけど……こういう軽業を身につけておくと遊歴中、いざという時すぐに逃げ出せて便利なの。余所の一座に絡まれたり、地元民から身に覚えのない罪状を擦り付けられて追われた時とか」

「……結構、苦労してるんだな」


 どこへ行っても腫れ物扱いされる遊芸人の切実な事情に、義郎は同情を禁じえなかった。


「芸人は主従を持たないし年貢も納めないから色々と自由だけど、その代わり身の安全を保障して面倒を見てくれる拠り所もないのよ。浪人のあなただって、その辺は同じでしょ」

「そうだな……俺も東国からここまでの旅すがら、宿場で地元の腕自慢に喧嘩を売られたり、街道で追い剥ぎに出くわしたもんだ。幸いにも武運に恵まれて、無事にやってこられたが」

「へぇ、じゃあ結構腕が立つのね。こんな奥地にごろつきはいないだろうけど、鬼か天狗にでも出くわしたら追い払って頂戴な」


 その一言で一行を先達している巫女長がぴたと足を止め、後続は思わずたたらを踏んだ。三十路のお局様は先頭から降り向いて参拝者二人を見据え、眉間にしわを寄せながら厳しく忠告する。


「ご神域ではお言葉を選び、舌を穢さぬようお願い申し上げます。寛大なる仏心の持ち主であられる権現ごんげんさまも、お山に魔物が出るなどと戯言を囁かれては胸を痛められるでしょう」

「……これは御免」

「冗談が過ぎました……」


 二人は気まり悪げに顔を見合わせ、失言を謝して頭を下げた。


 ともかく一行は順調に皆本川を遡り、出発から半刻(約一時間)経った頃だった。一行を左右から見下ろしていた峡谷が次第に距離を詰め、二つの尾根が前方へ向かって収束していく。同時に濁流音が轟々と重く轟き始め、その音は進むほど大きくなって行った。そして終に、谷の終着点に行き着いたのである。

 巫女長が再び立ち止り、振り向いて告げる。


「ここが滝の御簾みすを降ろす、岩屋の御所……出瑞山の大権現がします殿堂でございます」


 一行の前に現れたのは、高さ百尋(約一八〇メートル)はあろう見上げるばかりの断崖絶壁からかけ落ちる、幅十間(約一八メートル)もの大滝だった。

 皆本川の清水が滝口から滝壺まで急行直下し、水飛沫を巻き上げて辺りを霧で包んでいる。清涼な水気を含んだ空気が、義郎たちの肌を冷やして湿らせた。


「おお、絶景かな」


 義郎は思わず感嘆の言葉を漏らす。これほどの壮大な滝は、東国でもお目にかかった事がない。


「岩屋御所って、あの洞窟かしら。確かに滝が御簾みたいに入り口を覆っていて、いかにも神様か何かが潜んでいそうな場所ね」


 鈴音が閉じた扇で滝壺の裏を指し示す。そこには水流で穿たれた岩窟が存在した。飛沫を上げる滝水に光を遮られておぼろげな輪郭しか把握できないが、滝の威容に負けぬ大口を覗かせている。奥は暗闇に満ちて、何も見えない。


「ねぇ、見て。あの岩、まるで舞台みたいじゃない?」


 滝壺の畔へ目を移すと、滝に相対する位置で巨岩が横たわっている。

 水平に滑らかな台座型のそれは二間四方(約三平方メートル)の空間があり、確かに人間一人が立ち回るのにちょうどよさそうだ。周囲と比較して不自然に形が整っており、明らかに人の手が加えられている。


「『水穂成す、源主が隠れては、誰が呑むのか水穂の神酒を』――あれが『源主の国譲り』で、賑姫にぎひめさまがお神楽を舞ったという岩舞台なのね。なんでも、荒彦さまがお一人で築き上げたという話よ」

「ここに来るのは初めてだろうに、詳しいな」

「私は中原京なかはらきょうから来たんだもの。中原の大神宮では、建国の夫婦神めおとがみが各地に遺した偉業を事細かく講釈してるのよ。芸事上達を祈って、賑姫さまのお宮にお参りを重ねてたら覚えちゃった。でも流石に実物を見たのは初めて。考えてみれば私、これから芸能の女神さまと同じ舞台に立つのね」


 感激する鈴音の横で、義郎も武人らしく腕を組んで感傷に浸る。


荒彦大御神すさひこおおみかみが、源主と争って勝利したのもこの地なんだな。豊瑞穂の歴史を変えた、いわば最古の戦場――先生がこの場所を拝みにいけと命じられたのは、伝説の英雄の軌跡を偲んで、志を高く持てという御配慮だろうか)


 出瑞大社の御神体を目の当たりにした二人が陶然とした気持ちで立ち尽くす一方で、巫女たちは到着早々休む暇もなく動きだした。


「これより奉納神事の準備をいたしますので、お二方は離れてお待ちください」


 巫女長の指示で巫女たちは背負ってきた荷物を解き、散会して神事の準備を始める。

 ある者は箒を持って岩舞台の上に堆積した落ち葉や砂礫を掃き除き、またある者は石を積み上げて祭壇を築き、その一方で神楽を奏ずる者達は楽器の調子を整え……十代二十代の若娘たちは道中の疲労などおくびにも出さずてきぱきと働く。


 その間、義郎と鈴音は作業を邪魔しないよう後方へ下がり、適当な岩に腰かけてしばし歓談した。


「立派な滝だなぁ。故郷での稽古を思い出すよ。春の雪解け水で水量の増した滝を、先生と一緒によじ登ったもんだ」

「……あなた、龍にでもなるつもり? 一体どんな稽古してるのよ」


 義郎は東国の故郷に思い馳せ、その述懐の内容に傍らの鈴音は驚きを通り越して呆れ果てた。


「それよりも、さっきはごめんなさい。あなたまで怒られちゃったわね」

「いや、話かけたのは俺の方だ。それにしても、あの一睨みはそれこそ鬼女のようだったなぁ」

「お化け云々であんなにぴりぴりしてるのは、やっぱり出瑞童子いずみどうじのせいかしら。知ってる? 出瑞に詣でた人々が、お山で山童やまわらわを見たっていう噂。都では歌会のお題にするくらいもてはやされてるのよ」

「ああ。本宮で巫女たちが騒いでて、別当殿に教えられた。大社の王子神おうじがみと一緒くたにされて困ってるそうだ」

「ふぅん。それって、出瑞童子が龍女さまの子供って事? なかなか夢のある話ね。だったら、私が舞い歌ったらお姿を拝見できたりしないかしら。岩戸篭りしていた龍女さまが、賑姫さまのお神楽に感動して降臨したみたいに」

「おいおい、それは女神と一介の遊女が同格と豪語してるようなもんだぞ。分をわきまえろよ」

「あら、技術の優劣に身分は通用しなくってよ。それに荒彦さまと賑姫さまだって、最初はただの人間でしょうに。自分の技量を高めて国神くにがみを動かす神業を示したから人神ひとがみへ昇華したのであって、生まれの貴賎は問題じゃないわ。同じ舞台に立つからって、変に萎縮して卑屈になっちゃだめ。あなたも自分の武芸に誇りがあるなら、荒彦さまを越える気概で臨みなさいよ」

「おい……おい。もうちょっと静かにしろ。山奥だからいいものの、公で大国主尊だいこくしゅそんの祖神を軽んじたら鞭打ちだぞ」


 鈴音の主張を義郎は思わず制止する。

 芸人というものは誰の支配にも属しないから、時々お上をはばからない広言を吐く。彼女の発言には解釈次第で『誰でも豊瑞穂の支配者にとって代われる』と受け取られかねない、微妙な危険さがあった。


「そりゃ俺だって、無様なちゃんばら踊りをするつもりはないが……言い方ってものがあるだろう。口は災いの元だっての」


 義郎が鈴音の高飛車な言動をたしなめていたその時、頭上に白っぽく細かいものが降ってきた。季節は春であり、空は晴天。雪が降るはずはない。


 手にとって確かめると、それは花弁だった。ふと谷を見上げれば斜面に草木が根を張って懸命にしがみつき、その中でもひときわ立派な山桜の大樹が咲き誇っている。谷風に煽られるたびに、満開の花が儚く散ってひらひらと地上へ降り注いだ。


「こんな過酷な場所でも、草木は逞しく根を張るんだな……全く恐れ入る」


 狭隘な地形を耐え忍び、大きく成長を遂げた植物の力強い生命力を義郎は賞賛する。

 一方、鈴音は荒々しい峡谷で一段と映える花の珍しい優美を愛で、古歌を口ずさんだ。


 山高やまたかみ ひともすさめぬ 桜花さくらばな いたくなわびそ 我見われみはやさむ

(山上でもてはやす人がいない桜花よ。悲しむ事はない、私がお前を愛でるから)


「ご神域で桜吹雪を拝めるなんて、素敵な情景ね。きっと龍女さまが、私の舞台に文字通り花を添えてくださったのよ。よし、頑張らなきゃ!」

「そろそろ、その自信家っぷりが羨ましくなってきた」


 たまたま咲いていた桜の様子を神助と見なして気合を入れ直す鈴音と、ただの自然現象にまで一々縁起を担ぐ遊女に半ば呆れる義郎。

 さて、二人が桜を眺めているうちに舞台は整い、巫女が二人を呼びに来た。

・『山高み……』は『古今和歌集』より。詠み人知らず。

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