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龍神縁起 ~立派な神様のお供しよう~  作者: もぐら
第一章 出瑞(いずみ)編
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第十話 遊びの君が望む恋・上

桃塚ももつかは中原京の郊外にある遊びの宿で、豊瑞穂とよみずほでも選りすぐりの遊君ゆうくんが集まる場所なのよ。教養豊かな都の貴人や、遠方から上京してきた旅人が一時の夢を見る桃源郷なのだから、顔が良いだけの馬鹿女では様々な来歴のお客を楽しませる事はできないわ。異国の格言に『女子は才無きを以って徳とす』というけれど、そんなの私たち芸能者の世界では全く通用しないの」


「へぇ、そうなのか」


 話しかけてくる鈴音すずねに、義郎よしろうが短く相槌を打つ。


「そんな桃塚の中でも将来有望な若手を語る時、白拍子しらびょうしの鈴音の名を挙げない方はおりません事よ。私の専門は舞だけれど、詩歌管弦はもちろん文学朗詠も得意だし、お望みなら学芸問答のお相手だって務められるわ。でも枕芸だけは、誰にも披露した事がございませんの。『芸は売れども身は売らず』を実践できる遊君はそう多くないのよ。桃塚の長者さまも数ある弟子の中で私に一目置いてくださっていて、『鈴音が妹弟子たちを指導できるようになったら、桃塚に伝わる秘曲を伝授したい』とのお言葉まで頂いているの」


「ほう、それはすごいな」


「でも人気過ぎるのも困りものよ。私の身は一つしかないのに、鈴音を側に侍らせたい殿方は指で数えきれないの。特に今の時期は花を愛でる宴が多くて、休む暇もないったら……気の進まないお召しは断るけれど、あんまり指名が多いといちいち理由を考えるのも大変だわ。ほんの少しの間でいいから、桃塚を離れて羽を伸ばしたいと愚痴をこぼしていたら、長者さまがお情けをかけてくださって、『かねてから桃塚の宿を代表して、出瑞大社への参詣を望んでいたが、いたずらに年月を過ごして老いた我が身では難しい。鈴音を代参(参拝の代理人)に遣わすから、道中で出瑞権現を称える芸を披露して徳を積み寄進を募り、神酒と舞を奉納して来るように』と仰せられたの。それで姉弟子のあおい姉さまに鼓打ちをお願いして、大道や河原で舞いながら出瑞詣でにやって来たというわけ」


「なるほど、そういう次第だったのか」


「でもまさか、こんな重たい御神酒を持って山道を歩くはめになるとは思わなかったわ! 長者さまから直々に仰せつかったお役目を途中で投げ出したりはしないけど、まったく骨の折れる苦行よね」


(……こいつやかましい)


 人影の見えない寂しい山奥での道連れは、自然とお互いの心を打ち解けさせた。

 進んで人前に出て芸を見せる遊女の職業柄か、鈴音の言動は快活で物怖じせず、深窓の令嬢じみたよそよそしさがない。その気安い態度は義郎にとってありがたかったのだが、ただし錫杖の金鳴りをかき消すほどのかしましさには、心底辟易させられた。


 出瑞山の荒涼な景観は心を澄ませるものがあり、義郎は飽く事なくいつまでも眺めていられたが、華やかで刺激の多いであろう都からやってきた鈴音はそうでもないらしい。山道の単調さに早々に倦むと、義郎の素姓や旅の目的をあれこれ詮索し、彼が寡黙な性質と察すると今度は問わず語りに昨今の都の流行や自分の身の上を話し始めた。

 不言実行を美徳とする東国の田舎浪人は、垢抜けた都女の堰を切ったような言葉の洪水に閉口し、途中から適当に相槌を打つだけになっていたが、少女はお構いなく上機嫌で舌を弾ませている。

 義郎は奥出瑞の風光明媚に感じ入っていたが、鈴音は神仙秘境で行きずりの旅人と同道している状況を楽しんでいるらしく、自由奔放と評するしかない。


 基本的に聞き役に徹していた義郎だが、聞いてもいない事を延々まくし立てられるのもいい加減鬱陶しいので、口を挟めるわずかな機会があれば話題を振った。


「『葵姉さま』ってのは、昨日の舞で鼓拍子を取ってた楽人か。今日は一緒じゃないのか? 囃子が無いと舞えないだろう」

「心配ご無用。舞を奉ずる者には、大社が神前に相応しい巫女の楽党を用意してくれるの。姉さまも今頃は麓の仮宮けくうで、八十王子やそおうじの摂社を巡って舞を捧げているはずよ。仮宮は姉さまにお任せして、本宮ほんくうへ上がるのは私一人。もともと私のわがままで一緒に来てもらったのに、こんな苦しい山道まで付き添わせるのは気の毒だわ。それにもし怪我してお身体に傷でも残ったら、姉さまの旦那さまもきっと心を痛めるに違いないもの」

「旦那? ああ、誰かの愛人なのか」


 義郎のぶっきらぼうな物言いに、鈴音は薄い唇を尖らせた。


「そういう無粋な言い方は止して。私たち遊君はお客の中からたった一人だけ、客商売の壁を越えて心の底から深く慕い、お情けをかけて頂く殿方を持って良いの。そういうお方を特別に"旦那さま"とお呼びするのよ。どこのだれとは決して口外してならない掟だけど、葵姉さまもそれはそれは素敵な男性のご寵愛に与っているの。羨ましい限りだわ」

「君にはその旦那さまってのはいないのか。桃塚屈指の芸人と自負するなら、玉の輿の相手は選び放題だろうに」

「鈴音の旦那になりたいと申し出る贔屓のお客はたくさんいるけれど、私の方から辞退しているの。遊君が己の旦那と想い定めるのは、恋い慕うに相応しい殿方のみ。こればかりは人智を越えた神仏のお導きであって、私が未だに"旦那さま"を持たないのは、そういう素敵な出逢いに恵まれないからよ」

「ふぅん。だったらどんな男が好みなんだ」


 それは義郎としては、鈴音のお喋りに付き合うだけの、他愛ない質問のつもりだった。せいぜい「都人は上達部かんだちめ(上流貴族)、地方人なら受領ずりょう(地方長官)ね」とか馬鹿馬鹿しい冗談でも返しそうだなとしか思わなかった。

 しかし。


「そうね……」


 静かな呟きと共に、鈴音の錫杖の音が止まる。足を止めたのに気づき、義郎も立ち止まって振り返った。

 鈴音はしばし思案げに俯いた後、白雲豊かな青空を仰いでこういった。


「この人になら、私の全てを捧げたいと思える人。心の底から尽くして、身を滅ぼすほどに愛を注いで……その挙句に棄てられても、微塵も怨みを残さず『ああ、この人と出逢えてよかった』と満足しながら死んでゆける、そんな相手」

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