第一話 武芸者義郎、一太刀で悪党を退ける
※2018/04/30 読みやすさ改善のため、第一話から再新話までの各話の文章量の平均が、5000字以下になるように分割整理しました。
時節は弥生(陰暦三月)。陽気の強まりと共に草木がいよいよ萌え出ずり、枯れ木色にくすんでいた山々が新緑に塗り変わっていく晩春の頃。一人の旅人が山間の峠道を黙々と歩いていた。
「お兄さんよ、通行料を払いな!」
突然怒声が響いたのに驚き、旅人が足を止める。すると道脇の茂みの中から武装した男達が十数人現れて、旅人を前後から囲んでしまった。
ある者は太刀に鉢金、ある者は長棒に胴巻と、統一性のない出で立ちだが、くたくたになった烏帽子を被り、汗と垢に塗れて薄汚い点のみ共通している。山野に根城を構えて、略奪を生業とする山賊に違いない。
「生憎と拙者は武者修行の者で、差し出せるような物は持ち合わせていない。ご覧の通り、身なりからして貴殿らと比べられない有様でして」
悪党に包囲されて孤立しながらも落ち付き払っているのは、動きを妨げない簡素な折烏帽子を頭に頂いた、若干二十歳の若侍だった。いかにも武芸者然としており、顔立ちは鷹の如く精悍で身体は駿馬を思わせる逞しさだ。
しかし、衣服は自嘲する通りひどくみすぼらしい。彼の着る小袖と指貫の上下は、本来地味な濃紺染めだったと見えるが、とうに色褪せて継ぎ接ぎが目立ち、乞食のぼろ衣と大差ない。
徒歩の身で腰に帯びているのは、黒目鞘に丸鍔という質素な拵えの打刀一本。旅路で馬にまたがらず太刀も弓も持たぬ武士を、お世辞にも身なりが良いとは言えないだろう。
着物も物の具も貧相の一言で、略奪品を揃えた山賊たちの方がよっぽど見栄えしていた。
山賊一党の頭目と思わしき、肩に薙刀を担いだ壮年の男が若侍を一瞥して嘲笑う。
「たしかに乞食みてえな風体だがよ、お侍さんらしく一丁前に金物下げてるじゃねぇか」
帯に差した刀へ集まる視線に、若侍は無言ながら目つきを厳しくした。
「それに一見貧相でも中身はどうかな。なにせここは、東国の連中が出瑞国へ入るのに一番近い道だ。兄さんもあそこの社だか寺へ行くクチだろう」
「確かに俺は出瑞大社を目指している東人だが、それがどうした」
「あそこの神さまだか仏さんだかを拝むために、豊瑞穂中から旅人がごまんとやってくる。そういう連中は当然路銀の他にも、お布施とか土産のためにそこそこの金品を持ち歩いてるんだな。百姓ですら村中から金目の物を集めてため込んでるんだから、あんたが本当に文無しかは荷物を検めないとわからねぇな」
「お前らは社の参拝者を狙っているのか。それもなけなしの財産で旅している人々を」
「用心棒を連れてる商人どもよりは安全確実さ。あんたみたいな何も知らないお上りさんが度々通るから、獲物には困らん」
「外道め。神仏の御布施を横取りなんて、今に天罰が下るぞ」
義憤で怒る若侍の態度を山賊たちは意に介さず、むしろ精一杯の強がりと受け取ってますます調子に乗る。
「みたこともない神さまより、目の前にいる俺たちの方がよっぽど怖いぜ。回り道しなかったあんたが悪いんだよ。さぁ、身包み全部置いてここから失せな。褌一丁くらいなら勘弁してやる」
「断る! 腰の物を寄越せと言われて渡す武者がいるか。悪党どもに屈する道理はない。道を開けろ、さもなくば押し通るまで!」
啖呵を切った若侍は道端へさっと身を引いて樹木に背後を預け、道に陣取る山賊達と対峙した。左手で鞘を握り右手を柄にかけ、居合抜きの構えを取る。近寄らば斬ると敵を牽制する備えだ。
「おいおい、度胸は立派だが、この大人数に勝てると思ってんのか? 悪いこと言わねえからその手を柄からどけな」
「お前らこそ、怪我しない内に身を退け。こちらは神聖な社へ詣でる道中ゆえ、たとえ悪党でも殺生は避けたい。だがこの劣勢とあっては、俺も手心を加えられる保証はないぞ」
「……ああん? 言うに事欠いて、手加減できねぇだとぉ?」
多勢を強みに威圧し、無謀を嗤う山賊たちに対して、若侍はあくまでも要求を突っぱる。自信を崩さないその態度は山賊を挑発し、完全に怒りを買ってしまった。
「てめぇ、なんて名前だ」
頭目は薙刀を肩から降ろし、柄を握りしめて怒り目で問う。
若侍は睨み返しながら名乗り上げた。
「深山義郎。東国は億里国の人。深山流剣法の門弟だ」
「そうかい義郎さん。てめえをぶち殺したら、首もぎ取って麓の川原に放り捨ててやるよ。どこの誰だか分かるよう、その馬鹿面に書き添えとくぜ。『身の程知らずの猪武者よしろう、無様にくたばる』ってなぁ!」
激昂した頭目は鼻息荒げ、勢いよく薙刀を振り上げた。
その刹那、義郎は凶器を持ち上げる敵の懐に自ら踏み込んで抜刀一閃、迫る薙刀の刃を柄からばさり、と切り落す。さらに返す刃の切っ先で、頭目の頭上を真一文字にひゅっと薙いだ。
義郎が一連の動きを一呼吸の間に終えた時、頭目は自分の身に何が起こったかすぐには理解できず、刃を失った長棒を持ったままきょとん、と立ち尽くしていた。
後に続こうとした手下たちも思わず踏みとどまり、頭目へ視線を注いでいる。
「お、お頭。髷が……」
「あ……?」
手下に指摘された頭目は、ようやく自分の被っている萎烏帽子と、その下の髷を切り落とされた事実に気付く。
烏帽子ごと叩き斬られ、はらりと地に落ちた髪房は根元からすっぱりと、しかし頭皮には掠り傷一つつけず奇麗に寸断されていた。その正確無比な太刀筋に頭目は思わず肝を潰す。今の剣線があと少し下だったら……目や喉の高さを通っていたら……あり得た惨状を想起して震え、腰から下を崩してへなへなと尻餅をついた。
「な、な……」
「次は剃刀じゃ済まさない」
呟く義郎の顔には、攻撃を凌いで安堵する色は無く、かといって敵の髷を被り物ごと切り落とした妙技の成功に浮かれている様子もない。
そのようなつまらぬ雑念には思考を割かず、倒れた頭目に切っ先を突きつけて威圧し、敵勢の次なる動きに油断無く目を光らせていた。
頭目の戦意は、自分の喉元に狙い定められた切っ先を見て、完全に挫かれてしまった。
義郎が見せた抜刀術の俊敏さ、太刀筋の正確さは本物だ。その達人が抜き身の刀を握った今、形勢はますます不利である。手下が助太刀しようと一歩でも踏み込もうものなら、今度こそ確実な止めが刺し込まれるに違いない。
頭目は尻餅ついたまま地べたを後ずさりして、義郎との間に十分すぎるほどの距離を空けてから声高に叫んだ。
「ち、畜生……野郎ども、手を出すな! 刀と小銭で割に合う手合いじゃねぇ! 引き揚げろ!」
戦意の喪失は、頭目を見守る手下たちも同様だったのだろう。静まり返っていた山賊一党が頭目の一声ではっと我に返り、一斉に動き出した。すくみ上がって立てない頭目を数人がかりで持ち上げると、道脇の茂みへ退散を始める。
彼らの目的は略奪であり殺し合いではない。若造一人と高をくくって襲ったが、予想以上の使い手と見るや怪我する前に足早に身を引いていく。弱者ばかり狙う小悪党ながら、その潔い引き際はかえって天晴れであった。
柴を踏み分ける足音が遠ざかり聞こえなくなると、義郎は静かに納刀してようやく胸を撫で下ろす。
「面子に拘って自棄に走る連中じゃなくて命拾いした……気が変わって戻ってくる前に先を急ごう」
不意の危急を切り抜けた若武者は足早に峠を越えてゆく。坂を勢いよく駆け降りた時、脂汗の滲む頬を春風が撫でた。
※補足
作中の暦は中世日本に倣い、現在私たちの利用する新暦(太陽暦)ではなく旧暦(太陰暦)を採用しています。なので大雑把な季節感は
春:一月・二月・三月
夏:四月・五月・六月
秋:七月・八月・九月
冬:十月・十一月・十二月
となります。現代の暦と約一ヶ月のずれがあるので混乱されると思われますが、ご理解ください。