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決断

 袁煕と荀彧の二人がひそかに会った後、袁煕が鄴に帰ってから数日が過ぎたある日の昼ごろ、鄴の町に荀彧を含む荀一族の一団が到着した。

 その情報を聞いた袁煕はすぐさま荀彧に返事を聞きに行きたいという衝動に駆られた。しかし、返事は必ずするという荀彧の言葉を信じこむことで何とかその衝動を抑え、いつもと変わらずに暮らすことを心掛けて日々を過ごしていった。






 そうしてしばらく時間が過ぎたころ、ついに荀彧からひそかに会いたいという伝言が伝えられ、場所と日時についての連絡を受けた袁煕は事前に伝えられた建物の中の一室に赴いていた。


「お待たせいたしました、荀彧殿。連絡を下さりありがとうございます」

「こちらこそ返事を待たせて申し訳ありませんでした、袁煕殿。一族の者たちを落ち着かせていたり兄と再開していたりして、少々忙しかったものでどうかご容赦下さい」

「どうかお気になさらないで下さい。ここまで旅をした一族の中には老人や子供もいたでしょうし、それは仕方ありませんよ。それと兄というのは父上に仕えている荀諶殿のことでしたよね?それについても兄弟が久々に再開したのですからそちらを優先したことについて文句などありませんよ」

「そう言っていただけるだけで心が休まります。それでは挨拶はこのあたりにしてどうぞお座りください。この前の食事のお礼としてささやかながらお酒を用意しておきました。まずはそのお酒を飲みながら話などでも致しましょう」


 荀彧の言葉が終わると、召使いらしき人が部屋に入って来てお酒を置いてそのまま部屋から出て行った。それを確認すると、二人は雑談を始めた。


 会って話すのが二度目ということや、配下にしたい理由を話すうえでこちらの事情をそれなりに話していたためか、最初の話は荀彧が冀州に来ることになった経緯についての話になった。

 話によると荀彧は元々官吏として洛陽にいたが、董卓が来たことで乱世に到来を予感したため職を辞し故郷に戻っていたそうだ。しかし荀彧の故郷の潁川郡は洛陽に近いため、そのうち戦乱の渦に巻き込まれるだろうと考えるようになり、故郷の人々に移住するように説得していたとか。ただ、故郷の人々が生ませ育った土地を離れたがらなかったことでどうしようか悩んでいた時に、前の冀州牧であった韓馥から冀州に来ないかという誘いを受けたらしい。そこで一族だけでも戦乱を避けることができるよう、一族の者たちを連れて冀州まで来た、という事情があったらしい。

 そうした経緯で冀州に来たのだが、冀州に入ったと思ったら韓馥は冀州牧ではなくなっていたそうだ。しかもその過程において兄の荀諶が大きな役割を果たしているのには、さすがに驚いていたようだ。


 そのような話から始まって、その後もお酒を飲みながらお互いの話や今の世の中についての話などを気軽に話せる範囲内で話し合っていった。






 そのように飲みながらしばらくたったころ、不意にお互いに会話が途切れ沈黙が訪れた。


 その沈黙によって部屋の空気が変わったのを感じた袁煕は、今日の本題に入ろうと考え荀彧に話しかけた。


 「荀彧殿、そろそろお酒もなくなりそうですし本日の本題へと入りたいと思うのですが、どう思われますか?」


 その言葉を聞いた荀彧は先ほどまでとは雰囲気を一変させ、陽気そうにしていた顔は真剣さを帯びたものへと変化していた。


「そうですね、そろそろその話に入りましょうか。まず、この前誘っていただいたときにどうして返事を保留したのかについてから話したいのですが、構いませんか?」

「いいですよ。ではそのことから話して下さい」

「分かりました。私があの場で明確な返事をしなかったのは、返事をする前に袁紹殿と実際に会って話をしておきたかったからです。袁紹殿の人柄については、これまでの評判や行動などからある程度予測できてはいましたし、その予測と袁煕殿から聞いた袁紹殿の印象もだいたい似通ったものではありました。それでも、あなたのように演技をしているという可能性もわずかにですがありましたし、実際に会って袁紹殿という人物を自分の目で確かめたかったということもあります。正直に申しまして、袁紹殿に見込みがあると思えたなら袁紹殿に仕えてしまおうとも考えていたのですよ」

「荀彧殿が父上に会ったのはあなた方が鄴に入ってすぐでしたか。父上はあなたとしばらく話をすると礼を尽くして迎えようとするほどあなたを見込んだと聞き及んでおりますが、あなたは結局父上の誘いを断ったそうですね」

「ええ、会って話はしてみたのですが事前に聞いていた通りの人物でしたから。確かに優秀な面もあるようでしたが、この乱世を生き抜くにあたりあの方が当主では難しいだろうと思いましたね。あなたが申していた通り河北を統一するのがせいぜいといった程度の器でしょう」

「ははは、自分でもそのことは理解しているつもりですがあなたのような方から改めて聞かされると耳が痛いですね」


 荀彧から自分の父についての評価を聞かされた袁煕はそれを聞いて感じるところがあったのか、少し苦笑してそう言った。


「これはすいません、気を遣った方がよろしかったですか?」

「ああ、気にしないで下さい、自分でも思ってはいることですから。それでも私の父のことではあるので少し感じ入ってしまっただけです。どうか気にせずに話を続けてもらって構いません」

「そうですか、それでは話を戻しましょうかね。………ただその前に一つだけ尋ねたいことがあるのですがよろしいですか?」

「いいですよ。どのようなことですか?」

「あなたがこの乱世を統一したと仮定してその後のことです。あなたが乱世を統一した後、その国を治める人物としてあなたはどなたがふさわしい人物であると考えているのかをお教え願いたい」

「乱世の後の支配者ですか。………私としては漢が続き、現在のように劉氏が皇帝として存在する世の中になっていくことが良いのではないかと思っていますよ。何より私は袁家の人間です。袁家からは四代にわたり三公を輩出してきた家柄であり、その一族として皇帝である劉氏を支えていくこと、それが私の考えている世の中ですね」


 袁煕がそう言うと、荀彧はその言葉の真意を確かめるかのようにしばらくこちらを窺っていたが、しばらく堂々としていると結論がでたのか「分かりました」と言った後、目を閉じて考え事をし始めた。


 その様子を見た袁煕は、先ほど自分が言った言葉について改めて考えていた。

 先ほどの言葉には、史実においてあくまで漢の再興を果たそうとした荀彧を配下にするために言った面と、自分としてもそうしたいという本人の意思という面の両方が含まれている。

 本人の意思としては、乱世が終わったのなら表舞台から退き悠々自適の余生を送ることができればいいと考えてはいるので、先ほどの言葉も本心から言うことができた。何より表舞台に残っていたら仕事ばかりで自由に暮らせそうにないだろうと考えていることもあって、そうできればいいと本人は思っている。


 しかし一方で理性を持って考えた場合は先ほどの言葉を自信を持って言うことはできないであろうことも理解はしている。仮に自分が乱世を終わらせることができたとして、その後の自分が自由に暮らしていくことを世の中が許してくれるか分からない、という不安がまず考えられるからだ。そのような状況になると、どう考えても皇帝より自分の方が発言力や影響力を持っていると思われるし、その状況で下手をすれば自分の暗殺などが計画されることもありうるかもしれないだろう。そう考えていくとややこしいことになりそうでしかない。

 そのような状況を避けるためには自分が皇帝にでもなった方がいいのでは、というようなことまで考えていたりもするのだが、そのような状況があるとしたらまず自分が乱世を統一することが前提になる。袁煕は、その前提が達成できるかすらわからない状況でそのようなことを深く考えるのは馬鹿らしいことだと思うことにして、それについての結論を出すことは先延ばしにしている。


 だからこそ現時点ではこのまま漢の時代が続くのであればそうなればいいと願っている気持ちが大きいため、先ほどは自信を持って返答できたのだろう、などと自分の言葉と態度について考察していた。






 そこまで考えたところでふと顔をあげると、ちょうど荀彧の方も考えをまとめることができたようで、ゆっくりを目を開けてこちらに向かって覚悟を決めたような表情を向けてきた。


「荀彧殿、私の配下になるのかどうかについての結論が出たようですね。あなたがどうするのか聞かせていただけますか?」

「分かりました、その問いに答えましょう」


 そう言った荀彧は再び目を閉じ、一度深く息を吸ってから吐き出すと、ゆっくり目を開けてこちらに顔を向けて軽く笑みを浮かべながら答えをくれた。


「私の忠誠を袁煕殿にささげることにいたしましょう」


 その言葉を聞いた袁煕は一瞬呆けたようになったが、すぐに頭を回転させて荀彧が言った言葉の意味を頭の中に刻み込むと、もう一度確認するように荀彧に尋ねた。


「それはつまり、荀彧殿がこの私の配下となってくれると、そういうことですか?」


 それを聞いた荀彧は、先ほどから見せている笑みを崩さぬままで答えてくれた。


「そういうことです。私は本日よりあなたの配下となり、あなたの支えとなってともにあなたの目標の実現のために励むことを誓いましょう」


 その言葉を聞いて改めて荀彧が配下になってくれたことを理解すると、袁煕はその喜びに浸るように小さくつぶやいた。


「良かった、本っっ当に良かった」

「袁煕殿、その反応から察するに私の返答が意外でしたか?」


 荀彧からそう聞かれ、いささか気が抜けて姿勢を崩してしまっていた袁煕は慌てて姿勢を正してから質問に答えた。


「意外というほどではありませんでしたよ。………ですが、可能性は高くはないだろうという風には考えていたので、かなり安心したのです。そのためにあのようなことになってしまいました。見苦しい姿を見せたことをお詫びいたします。できれば先ほどの姿は忘れていただきたい」

「安心して下さい。私の一生の思い出にしておきましょう」

「ち、ちょっと荀彧殿、そのようなことを言わず、どうか忘れてください」


 荀彧の言葉を聞いた袁煕は、恥ずかしさのあまりかなり慌ててしまった。

 するとそれを見た荀彧は、ついに声を出して笑い始めてしまった。


 荀彧の笑い声を聞いてあわてて気持ちを落ち着かせ、もう一度お願いしようとした袁煕だったが、そこでようやくからかわれているようだということに気付いた。

 そうだと分かるとこれ以上何か言っても無駄だろうと思い、荀彧が笑うのを苦々しく眺めていた。


 袁煕は待っている間に、真面目そうだった荀彧も人をからかったりするんだな、などと他愛もないことを思っていた。そこでふと、そのような一面があったことも荀彧が自分の配下になってくれたことに繋がっているのかもしれないな、などと考えていた。

 そうしているうちに、やっと笑い終わったらしい荀彧が声をかけてきた。


「申し訳ありませんでした。袁煕殿の反応があまりに面白かったもので、ついついからかってしまいましたよ」

「そのことはもういいですから、次にこれからどう動いていくかについてを話し合いませんか?」

「私としてもそうしたいのはやまやまですが、今日はもう日も暮れてきましたよ。袁煕殿はしばらく目立った動きをしないつもりのようですし、それについてはまた次の機会ということにしませんか?」


 荀彧からそう提案された袁煕は、少しだけ考えてから結論を出した。


「それもそうですね。どの道荀彧殿とほかの配下との顔合わせもしなければならないので、それもその時に一緒にしたいのですが構いませんか?」

「問題ありません。では今日の所はこれでお開きといたしましょうか」

「そうしましょう。ですが、帰る前にもう一度だけお礼を言わせてください。私の配下となることを決めてくださったこと、本当にありがとうございました」


 そう言うと、改めて頭を下げて感謝の意を示した。


「頭を上げてください、袁煕殿。それは私自身が決めたことですからそこまでしなくて構いませんよ。それより袁煕殿、帰る前に一つだけ直していただきたいことがあるのですが、それを言わせてもらっても構いませんか?」


 そう言われて頭を上げた袁煕は、直すこととはどんなことかを考えながら言葉を返した。


「どうぞ遠慮なくおっしゃって下さい」

「分かりました。私が直していただきたいと思っているのは、袁煕殿の言葉遣いです。私はすでにあなたの配下となったのですからこれまでのような話し方ではなく、よりふさわしい言葉遣いをしていただきたいと思っているのですよ」

「言葉遣いですか………分かった、これからは気を付けよう。………こんな感じですか?」

「最後は戻ってしまっていましたが、そんな具合で大丈夫ですよ。あとは、私を呼ぶ時にも『殿』をつけていただかなくて結構ですからね」

「これからは注意する。それで、直すところはこれだけか?」

「はい、今の所はそれで十分でしょう」

「そうか、では今日の所はこれで失礼しよう。時間ができたらまた連絡をしてくれ」

「どうかお気をつけて」


 慣れない話し方をした袁煕は、新しい言葉遣いが慣れるまでには時間がかかりそうだと考えながら、その場から離れていった。






 そうして、荀彧が袁煕の配下となることを伝えた話し合いが終わりをむかえ、荀彧も袁煕が離れてしばらくするとその場を立ち去って行った。


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