友との記憶
杜襲が涿郡へと来てからすでに一月が過ぎていた。
来た当初は人材不足やら書類の山との格闘やらで毎日疲れ果てるような状況が続いていたが半月ほどすると目に見えて仕事の量が減っていき、今では一定の落ち着きが出てきていた。
そうしてやっと落ち着きある日々を送ることができるようになったため、杜襲は袁煕から指示されていた仕事に取り掛かる準備を始めていた。
「良いかな、あまり広がらないように注意して布告するのですよ。公孫瓉が滅びたことによって今なお難民となっている者たちが幽州にはいたるところにいるのですから。現状でその者達が大挙しておしかけてくれば、食糧が足りないであろうことは目に見えているでしょうな。
それを避けるためにも、今は来る者たちを選ぶ必要があります。今求めているのは馬を扱える者が少しでも多くいるかどうかということです。できれば実際に馬を飼っている難民の集団でもあれば早いでしょうが、そこまでは求めません。とりあえずは馬が扱える者が多いであろう集団に声をかけて集めることから始めましょう。加えて烏桓や鮮卑から流れてきている者を見つけたら、個人でも構いませんので誘うようにするのです。彼らは確実に乗馬を身に着けていますから逃してはなりませんよ。とはいえ、多くなりすぎるのであればそれも問題ではありますが当初は気にする必要はないでしょう。
それでは、私からは以上なので各自取り掛かりなさい」
そのように杜襲が配下の者たちへの指示を下すと、慌ただしくそれぞれの仕事へと向かっていった。
杜襲はその様子を最後まで見届けると、ようやく一息つけると思いながらもすぐに再びやってくるであろう忙しさを思い、心の中では苦笑いを浮かべながら執務室へと歩いていった。
杜襲が袁煕から頼まれていたことは、涿郡にて数年後に騎馬隊として徴兵できるようにするための人材の確保であった。袁紹からの命令でもある騎馬隊育成は早急に行う必要がある。したがってそのための人材は全員が烏桓族か鮮卑族の者たちから登用することとなっている。
しかし、数年先を考えた時に漢族が中心となった騎馬隊もいずれ必要になるだろう。杜襲が任されたのは、その数年先の騎馬隊となるための人材を集めることであった。
涿郡は、幽州の中では最も農耕に適している土地である。幽州の中では最も南に位置しており、付近には川も流れている。しかしながら、長年の戦争の影響で土地は大いに傷んでしまっていた。そのような状況では収穫量はどうしても減ってしまうため、しばらくは土地を育てながら農耕を進めることになるであろう。
杜襲はその状況からある程度の収穫量を算出し、それに合わせて受け入れる人数を決めねばならなかった。もちろん不作になる可能性はあるのだが、豊作というのは考えにくいためそこから収穫量の割り出しを進めていったのだ。その作業で割り出した人数をもとに、ようやく人材を呼び寄せる段階へと至った杜襲はようやく一息つくことができたのであった。
ただしそれは人材が集まって来るまでのわずかな間しかないのではあったが。
杜襲が執務室へ着くと、ゆったりと落ち着く暇もなく次の作業に取り掛かろうとした。しかしながら、どうしたことかその時ばかりは不思議となかなか気持ちが入らない。そこで仕方なく一旦時間を置くことにし、目を閉じて心身を落ちつけようと深く息を吸った。
息を吸って吐く、そのことだけを考えようとした。だが息について考えてしまったからだろうか、杜襲はかつて息を乱しながら興奮した口調で仕えるべき主君が見つかったと語って来た、今では遠く離れた場所で活躍しているであろう親友の顔が浮かんできてしまった。
かつて共に学んだ杜襲の親友であり、今では曹操の配下となっている人物。その者の名を趙儼という。
杜襲と趙儼は古くからの友人である。共に潁川郡の出身であり、戦乱が始まるとそれを嫌い二人は共に荊州へと避難もした。その際に劉表の下にいる人物ともそれなりの友好を結んでいたため、鄴にいた時分にはその繋がりを活かして劉表を動かそうとしたりもしたが……
それはさておき、そのように杜襲と趙儼は人生の中の多くの時間を共に過ごしていた。
その関係に変化が生じたのは、曹操が献帝を許都へと迎え入れたことがきっかけであった。その事実を知った趙儼はすぐに曹操の下に行くことを決め、早々と荊州から立ち去ってしまった。二人は同じ家に住み共に学んでいたため、幸いにも杜襲には言葉を交わす時間がそれなりにあった。
ただ、その時の趙儼はほとんど曹操についての話しかしていなかった。それほどまでに曹操という人物に大きな期待を寄せていたのだろう。
そしてその期待は間違ってはいなかったのだろうな、と杜襲は思っていた。
(かつては有象無象の中の一勢力に過ぎなかった曹操殿は、今や中原の支配者です。いまだに勢力としては袁紹殿に後れを取っていますが、帝を擁しているという点で正義があります。近い先に起こるでしょう袁紹殿との激突さえしのげれば、もしかしたら天下を手に入れることも夢ではないでしょう。)
杜襲は荀彧から文をもらい鄴へと向かった後、数日すると曹操からも使者が来ていたことを後に郷里の者から教えてもらっていた。どこかで少しでも間違いがあったならば、杜襲も史実の通りに曹操の下で働いていたかもしれなかったでろう。そうすると趙儼とも再会できていたのかもしれなかった。
杜襲はそこまで考えると横に軽く首を振ってその妄想を打ち消した。
(確かに趙儼と共に曹操殿の下で働くのも悪くなかったのかもしれません。しかしながら、袁煕様の下で働くことに不満などないです。むしろやりがいが詰まっていると言っても過言ではありませんね。
決して状況に恵まれているということはありませんが、だからといって悲観することもないのです。荀彧殿や郭嘉殿といった明確に先を描ける人物がいるのですし、簡単に倒れることもないでしょうから。
それよりも私自身の努力がより袁煕様の将来に影響を与えていると実感できることに対する嬉しさが得られ、だからこそさらに頑張れるというものです。
袁煕様の下で一から地盤を築きあげでいくというのは想像以上に骨が折れますが、着実に進んでいることがわかるというのはまた面白いものですからね。)
そうした思考の中に入ったことで杜襲は再び気力が戻ったようだと感じた。
最後に懐かしい友の顔をもう一度だけ浮かべると、気持ちをうまく入れ替えて次の作業へと取り掛かった。




