思わぬ再会
沮授が田豫を訪れた後に漁陽の町を探索している頃、田豫の方は急ぎ鮮于輔の下へと向かった。
そして鮮于輔に対して事情を説明すると、招きに応じるかどうかについての意見を求めていた。
「なるほど、事情は分かった。確かに相手の目的が分からぬ以上警戒する必要はあるだろうな。私としては答えが出ているのだが、そもそもお前自身はどうするつもりだ?私に遠慮などせずに正直な考えを言うんだぞ」
「そうですね………やはり受けようと思っています。危険は覚悟しなければなりませんが、彼らの様子を直に知ることができる貴重な機会でもありますので。支配地が隣り合っている以上は統治のために情報を集める必要があるのですし、ちょうど良いですからね」
「………その言葉は本心で間違いないのだな?」
「当然です。嘘偽りなどなく、本心からの言葉ですよ」
そう言い切った田豫を厳しい表情で観察していた鮮于輔だったが、田豫の言葉が嘘ではないと感じ取ると諦めたように一つ大きく息を吐いた。
「分かった。そうしてくれればありがたいことも事実だし、お前がそう決めたのなら止めはしない。私としてもそうしてくれれば助かるだろうしな。
………だが、くれぐれも油断するなよ。確かに袁紹殿との関係は良好だが、袁煕殿がどのような考えを持っている方なのかは分からないのだからな。話で聞いた限りではあまり良い評判を聞かないが、それだけで判断することは出来んだろう。袁煕殿が評判よりも良い人物ならば良いが、その逆であることも十分に考えられる。普段から行動には十分に気を遣うようにするのだぞ」
「分かっていますよ。ところで一つだけよろしいですか?」
「ん?いいぞ、言ってくれ」
「実は沮授殿が私の所へ来た時に、やけに鮮于輔殿の許可が必要だと念を押しているように感じましてね。それが気のせいではないとすると、あちらは最初から私と鮮于輔殿が繋がっていることを前提として招いているということになると思うのです。どうにもそのことが気にかかりましてね」
「そうか。となると、少なくとも命が危うくなることだとは考えにくいな。お前がいることで私に対して何らかの影響があるということだろうが、………やはり今の段階で相手の目的を見通すことは難しいか」
「そうですね。とにかく話を受けてみて、目的については私の方で後から改めて考えてみます。
では、私の方はそろそろ帰ることにしましょう。明日には沮授殿に私の考えを伝えようと思いますのでこれよりしばらくの間は会えないでしょうが、お気をつけてお過ごしください」
「ああ、そっちもな。改めて言っておくが、くれぐれも油断はするなよ」
「分かっていますよ。では、これにて失礼します」
田豫は最後にそう言うと、一礼してそのまま去っていった。
鮮于輔は田豫の姿が見えなくなるまで動かなかったが、完全に見えなくなると途中になっていた仕事に取り掛かった。
翌日になると沮授へ連絡をとり再び家に来てもらった田豫は、治中従事となることを承諾する旨を伝えた。
その後は田豫が引っ越すために身辺を整理する時間として二日を使い、それが終わると沮授と共に漁陽を出て薊へと向かった。
一行が道を進んでいき薊が見えるくらいの距離まで近づくと、薊の方から馬に乗った人々がやって来た。
それを見た沮授は、田豫に対して一言声をかけてきた。
「田豫殿、どうやら袁煕様から迎えの者たちが送られてきたようです」
それを聞いた田豫たちは進むのを止めて、向こうが来るのを待つことにした。
少しして相手が顔が見えるくらいまで近づいてくると、慌てて沮授が馬から降りた。
初めはその行動の意味が分からなかった田豫の方もすぐに理由に気付いて馬から降りようとしたのだが、沮授に「田豫殿はそのままで構いませんよ」と言われて止められてしまった。
仕方なくそのまま待っていると、すぐに相手が一行の近くへと到達した。
「よくぞいらして下さいましたな、田豫殿。まずは頼みを受け入れて下さったことに対するお礼を申し上げます」
「いえいえ、こちらこそお招き下さり光栄ですよ」
初めに馬から降りると、そう言って相手の代表らしき人物が声をかけてきた。
それに対して当たり障りのない返事をすると、先ほどから疑問に思っていたことを尋ねてみた。
「いきなりで失礼ですが、あなたの名をお教え願いたいのですが」
「おっと、そういえばまだ名乗っていませんでしたね、これは失礼しました。私の名は袁煕と申します、これからよろしくお願いしますね。ああ、わざわざ下馬することはないですよ。どうせすぐに出発しますので」
田豫は話している相手が袁煕だと分かると下馬しようとしたが、またしても止められてしまった。しかし一人だけ馬上にいるのは拙いと考え、その場から早く出発することを提案した。
「分かりました。それでは続きは進みながらということにしませんか?」
「そうですね、旅の疲れもあるでしょうから先に進むことにしましょうか」
袁煕のその言葉をきっかけとして再び一行が進み始めた。
そこから薊までは短い時間ではあったが、袁煕と田豫は話し続けていた。
そうしているうちに薊へと入ると、話し続けていた二人の前に袁煕とともに迎えに来た者たちの中から一人の人物が進み出てきた。
「袁煕様、もう町の中に入ったことですし先に田豫殿を用意した屋敷へと案内したいのですが」
そのように声をかけられたため田豫が言葉を発した人物を見ると、驚いて目を見開いた。
「あ、あなたは………」
「おお、そうだったな。それでは田豫殿、ひとまずはこれにて失礼いたします。田豫殿のために用意した屋敷がありますので、そこまでこの者に案内させます。今日の所は用意した屋敷にて疲れを癒し、政務について等は明日にでも話すことといたしましょう。では案内を頼むぞ」
「お任せください。それでは田豫殿、私が先導いたしますので後をついて来て下さい」
「分かりました。袁煕殿、本日はお出迎え下さり本当にありがとうございました。それでは失礼いたします」
田豫はそう言うと、案内するものについていった。
それを少しの間見送った袁煕は沮授と田豫の案内をさせた者以外の共に迎えに行った人を連れて、官庁へと戻っていった。
一方で新しい屋敷へと案内された田豫は、新しい屋敷の確認を終えると案内した者と話していた。
「ここまで案内してくださりありがとうございました」
「いえ、これも仕事の内なのでお気になさらず」
「そうですか。ところでなぜあなたが袁家に仕えているのか教えて頂けませんか、趙雲殿?」
田豫はそう言って、久々に再会した趙雲に質問をした。
「なぜ、と言われましてもね。私が袁煕様に仕えようと思ったからだとしか言いようがありません」
「しかし、あなたは私と共に………」
「すみません、そろそろ私も戻らなければなりませんので。久々に再会したので積もる話もありますし、仕事が終わった後にまた訪ねさせていただきますのでそれらのことはその時にでも話しませんか?」
「………そうですね、仕事の邪魔をしては悪いですしそのようにしましょうか。それでは、私の方は荷物の片づけでもしながら待つことにします」
「分かりました。では、私はこれで失礼します」
趙雲はそういうと、そのまま戻っていった。
田豫は元々劉備の配下であった。劉備が旗揚げした時から仕えており、その過程で劉備が公孫瓉の下に身を寄せた際に初めて趙雲と出会った。その後には劉備と趙雲が共に青州へと侵攻した時にも同僚として働いていたために、二人はそれなりに話したこともあったのだ。
それから趙雲は喪に服すために実家へ戻り、劉備も陶謙の下へと移ったことで二人に関わりはなくなっていた。劉備が陶謙の下へ行ってしばらくすると、田豫は母親の看病のために劉備の下を離れて故郷である幽州へと帰ることになった。その後は母親の病が治ると公孫瓉に仕えて、公孫瓉が滅びると旧友でもあった鮮于輔の下で働いていたところを袁煕が招いて薊に来ている。
このような経緯があったために田豫は趙雲を知っていたのだ。
そのことを踏まえたうえで、田豫は趙雲が袁家の将となっていることについて考え始めた。
(趙雲殿はどうして袁家にいるのでしょうか?確か彼は自分の才を活かして多くの民衆を助けたい、というようなことを言っていたはずです。以前も自らの才を活かすために身分を重視する袁紹殿ではなく、身分の低いものを重用する公孫瓉様の配下となったと聞いたのですが。
………いや、先ほど趙雲殿は『袁煕様に仕えようと思った』と言っていましたね。つまりは袁家に仕えているのではなく、袁煕殿に仕えているということですか。ということは袁煕殿は袁紹殿とは違い、少なくとも身分を重視して人を判断することはないのでしょうか?
全く、袁煕殿が自ら私を迎えに出て来た行動といい趙雲殿を配下に加えていることといい、これまでの評判や名家の出であるということは考えない方が良いのかもしれませんね。
袁煕殿がどういった人物であるのかはこれからじっくりと考えていく必要があるでしょうから、まずは趙雲殿からできるだけ話を聞いておきたい所ですが………。)
そのようにして思考を整理していった田豫は、気持ちを切り替えて新しい屋敷の片づけに向かった。
その日の夜に趙雲が改めて田豫の屋敷を訪ねると、久々に再開した二人は酒を飲みながら様々なことについて話していった。しかしそれぞれの立場故かなかなか政治的な話題は出なかったのだが、気を見計らって田豫がその話題を切り出した。
「ところで一つ聞きたいのですが、袁煕殿と共に幽州に来ている方にはどのような人物がいるのですか?袁煕殿が幽州へと来られてからあまり時間が経っていないこともあって、よく分かっていないのですよ。沮授殿がいることは知っているのですがね」
「そうですね、確かに今後を考えると知っておいた方が良いでしょう。重要な人物は何名かいますが、袁煕様の配下である者たちの中で最も名が通っているであろう人物は荀彧殿でしょうな」
「荀彧殿ですか!彼の名は幽州のような辺境においても有名ですし、かなりの人物だと思いますが」
「ええ、大変優れている方ですよ。知識も豊富で人格者でもあります。彼がいることで助けられることも多いですね。荀彧殿のほかにも優秀な方はいますが、彼ほど優秀な方はいないと思います」
「それほどに優秀な方なのですか。それは会うのが楽しみです。ですが先ほどの言葉からすると、他にも優秀な方はいるのでしょう?」
「ええ、袁煕様の配下にはほかにも………」
田豫はそのようにして趙雲から袁煕の下にいる人物について聞いていった。
しばらくそのようにして趙雲に話してもらっていると、田豫は簡単に情報を話しても大丈夫なのかが気になって尋ねてみた。普段であったら尋ねなかったであろうが、酒が入っていたこともあって少々気が緩んでいたのだろう。その質問に対して趙雲は、
「問題ありませんよ。事前に袁煕様から我々の事について教えておいてくれと言われていますのでね。それにこのようなことは共に働いていればそのうち分かるようなことですから」
と、あっさり答えた。
その答えを聞いた田豫は、急に酔いが醒めていくのを感じていた。
そして、積極的に情報を教えることの意味について急いで考え始めた。
(何が目的でしょうか?これほど気軽に情報を教えるというのはどう考えてもおかしいですしね。
敵対する意思がないことを明らかにするためですかな?いや、それならここまでの対応をする必要はないでしょう。それではどうしてこんなことを………。
ふぅ、焦りは禁物ですね。
ここは一度視点を変えて考えてみることにしますか。そうですね、私がこのような対応を受けてどう思ったかについてから考えてみましょう。袁煕殿が迎えに来たり屋敷を用意していたりしたことで、まずは誠実であると感じましたね。そして趙雲殿がいろいろと教えてくれた時には、予想以上に人材が豊富でしっかりした勢力だという印象を抱きました。しかし、それと同時にこれから成長していけば恐ろしい勢力になるだろうとも思ったのでしたか。
………もしかして、勢力としての規模が違うことを思い知らせるためでしょうか?
確かに趙雲殿から話を聞いて、私は袁煕殿たちに対して末恐ろしいと感じましたね。話を聞いた限りでは袁煕殿を中心としてまとまっているようですし、集まっている人材にも優秀な人物が揃っていることが分かりました。仮に袁煕殿が袁紹殿の後を継いだとすれば、巨大な勢力へと成長するであろうことは間違いないと言えるでしょう。
まあ、これらはすべて趙雲殿の話が正しかったと仮定した場合の話ですね。実際にほとんど会ってもいないのに決めつけてはいけないのでしょうが、私は趙雲殿は嘘をつくような人ではないということも知っていますし………少なくとも、趙雲殿はそのように思っているということでしょう。
こうなると袁煕殿が賭けるに値する人物であったならば、私から鮮于輔殿に袁煕殿へ降ることを薦めてみるのも良いと思えてきますね。中原を制したという曹操殿も気にはなりますが、やはり実際にこの目で見て、話をした人物の方が安心できますから。
しかし、このようなことまで考えさせられている時点で相手の思い通りになっているのでしょうな。)
そこまで考えた田豫は、自分がいろいろと考えさせられたことに苦笑するしかなかった。
そして再び酒を飲みながら、改めて趙雲と話を再開した。再開後の話では、どちらも政治の事に全く触れなかった。
それからしばらくして話が終わり趙雲が帰って行くと、田豫も休むことにした。
その次の日からは、新たに田豫を加えての統治が進んでいった。




