表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/16

統治開始

 鄴を出立した袁煕は、そこから北へ向かって行き幽州へとたどり着いた。

 そうして幽州へと着いた袁煕は、本拠地を広陽郡のけいに定めてその地へと入っていった。

 ただ、本拠地を決める際に一悶着があった。薊は確かに幽州の州都ではあったが、現在の袁煕の支配地域から考えるとかなり北東へと寄っている。現在の支配地域から考えると本拠地は涿郡に置いた方が統治上は都合が良いため、そのことで一悶着があったのだ。しかし将来的に幽州を治めることを考えて、現時点から薊を本拠地として定めることが決まった。




 薊へと入った袁煕が初めにしたことは、袁紹軍が帰還した後に溜まって膨大な量となっていた書類を片づけることであった。

 公孫瓉が滅びてから袁煕が来るまでの間は、袁紹が代理として置いていた者たちが仕事をしていた。しかしその者達では決定できない事が当然あるため、時間とともに書類が増えてしまっていたのだ。

 当初それを見た袁煕は気が滅入ったのだが、優秀な配下たちの活躍もあって予想以上の速さで終わらせることができて束の間の喜びに浸っていた。




「う~ん、どうしたらいいだろう?」


 先ほどからそのような独り言を言い続けている袁煕は、幽州における住居として定めた家の中で悩み続けていた。

 その様子を見続けていた甄氏は、たまらずに袁煕へ何について悩んでいるのか尋ねた。


「何をそんなに悩んでいるのですか、旦那様。昨日までは書類が片付いたと言って喜ばれていたのに、急にどうしたんです?」

「ああ、誰をどの官職に付けようかと迷ってたんだ。沮授と張郃は父上が任命してるからいいんだけど、それ以外の人たちをどうしようかと思ってね」

「つまりは人事のことですか。幽州刺史となられてから時間もあったと思いますけど、その間には考えられなかったのですか?」

「いや、考えてはいたんだけどね。ただ幽州の現状が想像以上に悪かったから、考えていた配置から変えようかどうしようか迷ってるんだよ」


 そうして袁煕は話しをし終えると、再びぶつぶつ言いながら悩みだした。その様子を見た甄氏は邪魔にならないように静かに奥へと下がって行ったのだが、袁煕はそれにも気づかずに考え続けていた。

 すでに沮授は別駕従事べつがじゅうじ騎都尉きといに、張郃は軍司馬ぐんしばになることが袁紹の命令で決定している。

 その後に袁煕自身で趙雲を別部司馬べつぶしばに、荀彧を広陽郡の太守たいしゅにすることを最初に決めており、それに関しては変える気はない。それに加えて郭嘉も、適性から考えて軍師とするのが良いだろう。また、尹牧を軍候ぐんこうにすることと馮裕を主簿しゅぼに任命することについても、経験を積ませるためであるのでそのままとするつもりであった。

 そうすると、改めて考えなければならないのは杜襲と陳羣をどうするかであった。


(やっぱり涿郡の太守を任せるとなると陳羣か杜襲のどちらかになっちゃうのか。本当は二人とも薊に居て助けてほしいんだけど、涿郡をあのままにするわけにもいかないからどちらかに行って貰わないと駄目そうだし。そうすると、どちらに涿郡に行ってもらうかなんだけど………その二人のどちらかだと杜襲が適任になるかな。じゃあ杜襲を涿郡太守にして、陳羣を長史ちょうしにすることにするか)


 しばらくの間考え続けていた袁煕は、やっと自身の考えをまとめていた。






 後日、そうして決めた配下たちの官職を言い渡した後に袁煕と話をした杜襲は、間もなく涿郡へと向かっていった。


 そうして杜襲が任地へと向かった後は、勢力を強化するために考えていた策を実施するために動き出した。

 袁煕たちがまず取り組んだのは、沮授と張郃への任務でもある騎馬隊の創設である。

 ただしこれには問題があり、後漢末のこの時代には乗馬で使用するあぶみが開発されていない。いや、より正確に言うと鐙の原型らしき片鐙というものは存在している。ただ、それはあくまで馬に乗るための道具であって馬上で姿勢を安定させるための道具ではないのだ。それはつまり、ある程度の訓練を積んでいないと馬に乗ったまま戦うことは出来ないという問題に繋がっている。


 そのような騎馬隊を作る上で直面する問題を解決する方法としては、主に二つの方法がある。


 一つ目は、鐙を開発してしまうことだ。鐙があれば、馬上で姿勢を安定させることがかなり簡単になる。そのため馬上での自由度が増し、より多くの人が騎馬兵として活動できるようになるだろう。

 ただし、一言で鐙を開発するとはいっても、どのようにして作るのかという問題がある。もちろん、鐙がどういった形のものであるかは知っている。しかし鐙を作ったことなど当然ないので、どうやって作るのかで困っていたのだ。幽州へと行く前には時間もあったが、そうした場合に一気に広まってしまうことを恐れて動けなかった。

 そのため現状では幽州にいる片鐙を作っている職人に鐙の形や特徴を教えることで、実際に出来上がるのを待つしかないのである。したがって、鐙を使った騎馬隊についてはひとまずおいておくことになる。


 二つ目は、北方民族を呼び集めて騎馬隊を作る方法である。彼らは生活するうえで乗馬をしているため、非常に多くの人が馬に乗ったまま戦うことができるのだ。

 この方法を採用した場合には、人を集めなければならないという問題がある。幽州では戦争が終わったばかりで、その爪痕が色濃く残っている。その影響がある中で人を多く集めすぎると、食糧不足に陥る心配が出てくるのだ。

 それでも、手っ取り早く確実に騎馬隊が作れることには違いない。世の中の状況からして食糧さえあれば人も集まると考えられるので、食糧の問題さえなければ即座にこの方法を取っていたであろう。


 それでも現実的な方法ではあるので、話し合いの末に結局はこの方法に決まった。ただし食糧の問題があるので、集める人数に制限を設けることにはなったのだが。


 こうして、まずは騎馬隊についての方針が決まった。




 次に袁煕たちが話し合ったのは、食糧問題についてである。


 食糧問題を解決するためにはどうしても時間がかかるだろう。そのため、できるだけ早い時期から対策をしていく必要があると考えたためにこの問題の話となった。


 そうして話し合われたこととしては、農業を奨励するとともに家畜を飼うことも勧めていくということであった。

 まず、農業によって作物を育てることを勧めるのは当然であろう。農業が安定することにより、一定の作物を得られるようになるのであるからどんどん増えてもらわなければ困る。最も、それをする土地が幽州であるため、雨が少ないなどの影響で収穫についてはどうしても少なめになってしまう。それでも農業をしていき少しでも収穫を得なければ多くの人が飢えるため、効率の悪い中でしていくしかない。

 袁煕としては三圃制やといった方法を導入して効率の良い農業をしていきたかったのだが、万が一失敗した場合を考えると実行できなかった。現在の戦争が間近に迫っている時期に新しい方法を試すなどして、時間と労力がそれに割かれてしまって他の事が疎かになることを恐れたのだ。


 そして、家畜の飼育も奨励することになった。そもそも、現在の幽州にすぐに農地として使用できる土地はあまり多くない。それに加えて戦争の影響から使えなくなっている農地が多くあるなどするため、農地とするためには一度整えなければならない場所もそれなりにある。そこで、その土地を一時的にを生かす方法として家畜の飼育を奨励したのだ。

 こうすることで、土地の表面を柔らかくしておいたり、後々三圃制を実施するための布石としておくといった効果も期待できる。それと同時に北方民族の者たちが家族ごと移住してきやすくするため、といったことへの対策という面もあった。


 そうして、まずはこのようなことが決まった。具体的な優遇策としては、一年間だけ作物と家畜に関する税金免除を実施することを決めている。そうすれば一年の間に、まずは戦乱が始まる前の状態に少しでも近づけることができるだろう。

 これを実行した場合は財政問題が出てくるのだが、そこは袁紹からの支援などで賄う方針である。

 また、一応はそれ以外にも細々とした支援策が出されており、それらも合わせて実施予定である。


 食糧問題についてなされた話し合いでも、こうしてある程度の方針が決まっていった。






 この後も一週間ほど様々な問題への対策についての話し合いを続けていると、田脩が集めた情報を手に袁煕の下へ戻ってきた。


 田脩たちが集めてきた情報によると、閻柔や鮮于輔といった有力者たちはその支配地域においてそれなりに安定した統治体制を維持しているようである。住民たちからもかなり信頼されているようで、元々は武官であるはずの彼らが行政の面でも高い能力を持つであろうことが分かった。

 また北方民族とも良好な関係を維持しており、その影響で交易や軍事においてもそれなりの力を持っているであろうことも改めて把握できた。

 しかし何よりも重要であろうことは彼らが曹操の動きにもかなり注目しているようだ、という事実があったことであろう。現時点では袁紹陣営に味方しているが曹操側の勢力についても注目している以上、この先の情勢次第では袁紹から離れて曹操に味方することも考えられることになる。まあ、たとえ曹操に味方したとしても彼らだけで袁家を攻めることなどできないだろうから、すぐさま脅威となるわけではないだろうが。

 それでも遠くない先の出来事として敵対する可能性が確実に存在することが分かったのであるから、その場合に向けての対策が必要となる。それまで軍隊については騎馬隊についてしか話し合っていなかった袁煕たちは、騎馬隊以外の軍隊の整備についても急ぐことになった。


 それらのことに加えて、有力者たちへ揺さぶりをかけるための策を実行することも決まった。

 策とは言うものの、袁煕たちにとって必ず益があると言えるようなものではない。下手をすれば相手に利するのみとなるような策ではあった。

 しかし、うまくいけば幽州を統治していく上で大きな前進になると予想されるために、荀彧や郭嘉と話し合ってこの策を実行することを決めたのであった。

 そのことが決まると、それを実行するための人材としては沮授に仕事を任せることとなった。






 そのようにしながら、袁煕たちによる幽州の統治が始まっていった。


 官職について簡単に説明しておきます。(この話の中での役割ということで)


別駕従事:州刺史に次ぐ地位にある人。刺史の補佐をする。

騎都尉 :軍の編成を決める人。誰をどの部隊に入れるか等を決める。

軍司馬 :軍隊(千人~一万人)を実際に指揮する人。戦争で隊をどう動かすか等を決める。

別部司馬:軍の別動隊(千人~五千人)を指揮する人。戦争で別動隊をどう動かすか等を決める。

太守  :郡を治める人。その郡の責任者となる。

軍候  :兵(千人以下)を率いる人。

主簿  :行政上の雑務を行う人。

長史  :政治についての庶事を執り行う人。

軍師  :策について等の助言をする人。


といった風になっています。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ