ボッチはカーストから開放された存在?んなわけない
ぼっちはカーストから開放された存在だと言った人がいた。
俺はその考えに疑問を投げかけたい。
まず、カーストとは何かから説明しよう。
ここで俺が言うカーストとは、いわゆる「スクールカースト」のことである。
スクールカーストとは分かりやすく言えば集団だ。…わかりにくいか。
こんなことを高校時代に経験しなかっただろうか?
クラスの中でほぼ話さないグループがある、とか話しかけにくい人がいる、とか。
カーストってのはそういうことをいう。
「俺とアイツは住む世界が違う」これだ
そして、「俺とアイツでは話が続かない」これもカーストによるものだ。
人間も結局ただの動物で、自然と身内を作り、友人を作り、そしてそれがグループになっていく。そのグループの中では独自のルールが自然発生し、自然と内部関係や上下関係が生まれる。
優等生グループ、野球部グループ 文化部グループ、とかな。
では、ぼっちとは一体どんなカーストに属するのか。ということになる。
ぼっちはその名の通り一人ぼっち。つまりカーストなんてものには当然属さない。
だから「カーストから開放された」なんて言う奴がいる。
でもさ、俺は違うと思う。実際はこうだ。
ぼっちは”カースト”というもの自体を恐れ、そして逃げている。だからカーストに属そうとしない。
なぜカーストに属そうとしないのか。それは簡単。
カーストに属せば、自然と話したくても話せない人が生まれる。
無理やりなら出来ないわけじゃないが自分の属していたカースト内でハブられたり、居づらくなる可能性が高い。
ぼっちは「誰とでもいいから仲良くなりたい」と思っている。
だからこそ、誰かと仲良くなれる代わりに、他の誰かとの仲を犠牲にするカースト。それを嫌うのだ。
「ぼっち」の自分ならカーストなんてもんに縛られず、自分が動きさえすれば誰とでも話せる。しかしカーストに属した瞬間、「ぼっち」属性は消えうせ話すことが出来なくなってしまう。
ボードゲームで言えば「オールマイティ」、トランプで言えば「ジョーカー」。それがぼっちなんだ、と俺は思っている。
ぼっちには出来ないことが多い。だが、ぼっちだからこそ出来ることがあり、ぼっちで人間関係が皆無だからこそ出来ることがある。
何が出来るって?そりゃ人間観察さ。
誰にも気に留められない存在だからこそ、自由に動ける。話さないからこそ、聴くことに力を注げる。
あぁ、ぼっちって素晴らしい…