安楽死
現世に生きたある老人の一生が今終わろうとしている。
ついさっき車に跳ねられたのだ。
今まで大きな病気もする事なくのうのうと生きてきた。
16で戦争を経験し、20の時今の妻とお見合い結婚し、22、24、28の時に子供を授かり、教師として60まで働いた。
定年後、アパート暮らしだったが実家に誰もいなくなっていた田舎の実家をリフォームし妻と長女の三人でのんびり暮らしていた。
老人は意識の薄れる中、血の溜まった地面に顔をつけ自分の一生を振り返っていた。
これが走馬灯か…
次の瞬間、血の気がなくなる感覚、寒気や動悸、震えに襲われた。
死への恐怖や驚きはなく、反対に老人はその最後の刻を心待ちにしていたかのように楽しんでいた。
死ぬのは怖いと思っていたが、いざ死の境をさ迷うと自分でも驚く程にすんなり死を受け入れてしまっていた。
老人はさらに愉快になってきた。頭を打ったからだろうか。本人にも分からない、事故とは無関係の体の奥底から沸き上がってくるような胸の高鳴りを感じていた。
この気分を少しでも長く味わうために、もうすぐこの世からなくなるであろう魂を必死に掴み逃がさぬように沸き上がる胸の高鳴りを必死に抑えた。
遠くに何かが見える。暗いトンネルの出口から差し込む七色の光だ。綺麗だ。
やがて光は一色となった。
一色となった光は姿を変え暗黒となった。光を遮る黒いカーテンが目の前を遮った。
黒の中にぽつんと一人男の子が見えた。またか…まぁよいか。
老人は光のない出口の見えない暗闇に向かって歩き出した。
次の世界もまた同じ一色から始まるのだ。
そんな気がした。