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第8話 「少し手伝ってほしい」には、ちゃんと断り方があります

 工事が一段落して、離宮は少し静かになった。


 廊下の雨漏りは直った。

 厨房の棚は新しくなって、料理長が上機嫌だった。

 古い棚より段数が増えたので、食材の分類がしやすくなったらしい。


 私は自室の窓から庭を見て、ぼんやりしていた。


 こういう時間が、実はすごく好きだ。


 前世の私には、ぼんやりする時間がなかった。

 常に次の仕事があって、休憩中もメールが来て、頭の中が常に何かで埋まっていた。


 今は違う。

 窓の外の木が揺れている。

 鳥が鳴いている。

 風が吹いている。


 それだけでいい。


 「殿下、よろしいでしょうか」


 老執事が扉をノックした。


 「どうぞ」


 「王城から使いが来ております。文官の方で……フェルマン様とおっしゃいます」


 フェルマン。

 覚えがある。

 会計の精査に来た、眼鏡の几帳面な文官だ。


 「通してください」


 しばらくして現れたフェルマン文官は、前回と同様、整然とした印象の人物だった。

 ただ今日は少し、何か言いにくそうな顔をしている。


 「先日の申請の件で、また確認に来ました」


 「修繕費の精算でしたか」


 「それもありますが……実はもう一件」


 「はい」


 フェルマンは少し間を置いた。


 「王城の第三棟の会計帳簿が、長年の積み重ねで混乱しておりまして」


 「はあ」


 「今回、殿下が離宮の帳簿を整えた手法を……参考にできないかと」


 来た。


 私はそう思った。

 予感はあった。


 これが前世のパターンだ。

 「あなたが得意なんだから、ちょっとやってくれませんか」

 「少しだけでいいんです」

 「参考にするだけでいいので」


 全部嘘だ。

 絶対に「少し」では終わらない。


 でも、頭から断ると話がこじれる。

 前世でも学んだ。


 私は静かに答えた。


 「第三棟というのは、どれくらいの規模の帳簿ですか」


 「5年分の物資台帳が主になります。書記が7名おります」


 「書記が7名いて、整理ができていないんですか」


 「その……担当が変わるたびに書式が変わりまして」


 「引き継ぎ書はないんですか」


 「書式はあるのですが、守られていなくて……」


 なるほど。

 典型的な「形式はあるけど運用されていない」パターンだ。


 でもそれ、私が手を出すべき案件ではない。


 「フェルマン」


 「はい」


 「離宮の帳簿を整えたのは、私がここで暮らしているからです」

 

 「は」


 「私が使う場所なので、使いやすくしたんです。第三棟は、私が暮らしている場所ではない」


 フェルマンが言葉に詰まった。


 「……ですが、殿下の手法を共有していただければ」


 「手法というほど特別なものはないです。品目を統一して、補充タイミングを見えるようにして、誰でも分かるように書く。それだけです」


 「それを教えていただければ……」


 「教えることはできます。でも実際に第三棟の整理をするのは、第三棟で働く書記の方々の仕事ですよね」


 また沈黙。


 フェルマンは何か言いたそうだったが、私は先に続けた。


 「もし書式の見本が必要なら、今使っている台帳の写しをお渡しできます。それ以上は、私の役割ではないと思います」


 「……殿下は、お断りになるのですか」


 「お断りというか、線引きをしています」


 「線引き」


 「できることと、やるべきことは別です。離宮の台帳は私がやるべきことでしたが、他所の帳簿まで整理するのは私の仕事ではありません」


 フェルマンはしばらく私を見ていた。


 怒るかな、と少し思ったが、怒らなかった。


 むしろ、少し安堵したような顔をした。


 「……書式の写しだけでも、助かります」


 「それはお渡しします。あとはそちらで試してみてください。もし分からないことがあれば、また聞きに来ていただければ」


 「はい……ありがとうございます」


 フェルマンが帰ったあと、私は深呼吸した。


 断れた。

 ちゃんと断れた。


 前世の私なら「仕方ない、少しだけ」と引き受けて、結果的に全部やっていた。

 そして消耗して、誰にも感謝されずに終わっていた。


 でも今日は違う。


 できることはした。

 できないことは断った。

 それだけだ。


 「殿下、大丈夫でしたか」


 ルナが心配そうに声をかけてくる。


 「大丈夫ですよ。ちゃんと線が引けました」


 「線、ですか」


 「前世で……いえ、昔から苦手だったんです。断ること」


 「殿下でも苦手なことがあるんですね」


 「色々あります」


 でも少しずつ、できるようになってきている。


 前世の反省が、今世で少し役に立っている。


 そう思うと、まあ悪くないな、と思えた。

読んでいただきありがとうございます。

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