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第6話 王太子殿下がいらっしゃいました(困っています)

 修繕の申請が通った翌週。


 離宮に、思わぬ来客があった。


 「王太子殿下がご来訪です」


 老執事が血の気の引いた顔で私の部屋に飛び込んできた。

 私はその瞬間、手に持っていた管理ノートを静かに置いた。


 ……来たか。


 予感はあった。

 数週間前から、王太子の側近だという文官がちらちら来ていた。

 そのうち本人が来るだろうと思っていた。


 「殿下、どうされますか」


 「迎えます。他にどうするんですか」


 「は、はい……」


 執事は震えていた。

 王太子は未来の国王である。

 離宮にとって最大の来賓だ。


 私は服装を整えて、応接間へ向かった。


 王太子、フィリアン・アルヴェインは、20歳になったばかりの青年だった。

 私より5つ年上の兄。

 顔は悪くなく、所作も整っている。


 ただ、何を考えているか少し分かりにくい顔をしている。

 前世で言うなら「感情を出さない上司」タイプだ。


 「久しぶりだな、リシェル」


 「はい、お兄様。ご来訪、光栄です」


 「そう言いながら、嬉しそうには見えないな」


 鋭い。


 私はにっこり笑った。


 「驚いているのですよ。急なご来訪でしたので」


 「すまない。突然になった」


 フィリアンは椅子に座り、ルナが運んできた茶を一口飲んだ。


 「……おいしいな、このお茶」


 「料理長が丁寧に淹れておりますので」


 「離宮の料理長は確か、腕が落ちたと言われていたはずだが」


 「材料の管理が改善されて、余裕が出たんだと思います」


 フィリアンは私をじっと見た。


 「報告を聞いた。帳簿の整理、物資管理、庭の手入れ、修繕申請」


 「生活の改善ですよ。ここに暮らしているので」


 「加護なしで、それを一人でやったのか」


 「一人ではないです。皆さんに動いていただいています」


 「だが発案したのはお前だ」


 私は少し考えてから、正直に答えた。


 「前世が……いえ、昔から整理整頓が好きなんです」


 前世が社畜だったとは言えない。


 フィリアンは少しだけ笑った。

 珍しい。


 「お前のことを無能と言っていた者たちが、今頃困った顔をしているぞ」


 「そうですか」


 「加護なしの離宮だけ、なぜか最も安定している、と会計部門で話題になっている」


 「恐縮です」


 「本宮に戻ってくる気はないか」


 来た。


 予想どおりの話だ。

 でも予想していたから、動じない。


 「ありがとうございます。ですが私は今、離宮がとても気に入っております」


 「なぜだ。不便なはずだが」


 「静かですし、人が少ないですし、急な呼び出しがありませんし」


 フィリアンが眉をひそめた。


 「それは……冷遇の話だろう」


 「そうも言えますが、私には合っています」


 「合っている?」


 「騒がしいところが得意ではないんです。本宮は色々と……大変そうですし」


 権力争いとか、面倒な序列とか、感情労働とか。

 前世でさんざんやった。

 もうやりたくない。


 フィリアンはしばらく私を見ていた。

 読み取ろうとしているのかもしれないが、私の気持ちはわりと本気だ。


 「……本当に、戻りたくないのか」


 「本当に」


 「加護なしのままでいいのか」


 「加護の有無と、快適に暮らせるかどうかは、別の話です」


 また少しの沈黙。


 フィリアンが茶を飲んだ。


 「お前は変わっているな」


 「よく言われます」


 「それは自覚しているのか」


 「少しは」


 フィリアンはかすかに笑みを浮かべた。

 今度は、さっきよりも少し柔らかい笑い方だった。


 「分かった。今日は様子を見に来ただけだ。何かあれば言え」


 「はい」


 「何もなくても……時々、顔を見に来てもいいか」


 意外なことを言う人だな、と思った。


 「お好きにどうぞ」


 「……面白い奴だな」と、小さく呟いた。


 フィリアンが帰ったあと、ルナが目をまるくして言った。


 「殿下、王太子殿下に本宮に戻るようお誘いがあったのでは……?」


 「ありましたよ」


 「なのに断ったのですか」


 「はい。ここのほうがいいので」


 ルナはしばらく言葉を探していたが、最終的に「……殿下らしいですね」と笑った。


 それで十分だ。


 私の静かな生活を守れたなら、それで十分。


 王太子殿下がいらしたのは少し驚いたが、まあ悪くない来客だった。

 お茶もしっかり飲んでいってくれたし。


 あとは修繕工事が始まれば、廊下の雨漏りが直る。

 厨房の棚も新しくなる。


 小さなことだけれど、積み重ねるとかなり快適になる。

 人生はそういうものだ、と私は思っている。

読んでいただきありがとうございます。

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