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秋葉原のビートと第三の観測者

中庭での「ハッキング対決」から逃れるように、僕は一ノ瀬さんに手を引かれて校舎へと戻っていた。

 視界の端に表示されるバッテリー残量は、度重なるイベントのせいで既に**【45%】**を切っている。精神的な疲労が、鉛のように身体を重くしていた。


「もう、なんなのよあの子! 初対面で佐藤くんの眼鏡に触りたそうな顔してたし! あんなの、実質的に略奪予告と同じじゃない!」

「いや、一ノ瀬さん。如月先輩はただハッカーとして僕のデバイスの構造に興味があるだけですよ。物理的に奪われる心配はあっても、心まで盗られる心配はありません」

「うるさい! あんたは私の『偽装彼氏』なんだから、あんな得体の知れない女にハック(ナンパ)されるのは私のプライドが許さないの!」


 一ノ瀬さんは顔を真っ赤にしながら、僕の腕をこれでもかと抱き寄せている。

 八奈美さん的な図々しさで僕の「占有権」を主張しているが、眼鏡グラス越しに見える彼女のログは、相変わらず甘ったるい**【サクラ色】**のままだ。


『【思考ログ:佐藤くんを誰にも渡したくない。……あんな女の子に、佐藤くんの『中身』を知られるなんて、絶対に嫌(濃いサクラ色)】』


「…………」

(一ノ瀬さん。その重すぎるログ……見ているだけで僕のバッテリーがゴリゴリ削られていくんですが)


 そんな僕たちの不毛なやり取りを切り裂くように、視界の端に【サイバーグリーン】の通知が走った。


『――お兄さん、嫉妬されて大変だね。でも、デートは放課後までお預けだよ』


(如月先輩……。また勝手に僕の眼鏡にバックドアを作ったのか)


『映像の解析が終わったよ。場所は秋葉原のライブハウス『ZERO』。あーりんのライブ会場だ。……そこで、例の「ストーカー」の正体を教えてあげる』


      ◇


 放課後。電気街のネオンが眩しく明滅する秋葉原。

 僕にとってここはラノベや同人誌を漁るための聖域サンクチュアリだが、今はピンクのハッピを着た瀬戸先輩が改札前で「あーりん降臨」の旗を振っているせいで、ただの公開処刑場に見えた。


「佐藤君! よく来てくれた! あーりんを守るデバッガー連合、ここに結成だ!」


『【感情ログ:高揚。興奮。あーりんへの愛が銀河を駆ける!(極彩色)】』


「うわ……」

 先輩のテンションが高すぎて、見るだけでMPメンタルポイントが持って行かれる。バッテリー残量**【38%】**。戦う前からジリ貧だ。


「……瀬戸先輩。声が大きいです」


 横に立つ東條鋼トウジョウ・ハガネ先輩が、死んだ魚のような目でため息をつく。

「……悪いな、佐藤。俺の力でも、今の会長は止められなかった。……付き合ってやってくれ」


 結局、僕と一ノ瀬さん、そして生徒会の先輩二人の四人で、如月先輩の待つライブハウスの裏路地へと向かった。


「……うわっ、すごい人。佐藤くん、はぐれないように私の手を握ってなさいよね。……あ、あそこのケバブ、いい匂いするわね。デバッグが終わったら当然、利息(奢り)でしょ?」

「……一ノ瀬さん。その強靭な胃袋とメンタル、少しは僕に分けてほしいですよ」


      ◇


 ライブハウス裏。室外機の唸る薄暗い路地。

 如月律キサラギ・リツ先輩は、相変わらず大きなヘッドフォンを首にかけ、ノートPCのキーボードをリズムゲームのような超速で叩いていた。


「やっほー、お兄さん。……さて、胸クソ悪い正解発表といこうか」


 彼女はPCの画面を僕の眼鏡グラスに直接転送した。

 映し出されたのは、ライブ後の特典会(チェキ会)の盗撮映像の解析データだ。


「犯人の名前は特定済み。ハンドルネーム『たけし』。元々はあーりんの熱心なファンだった。……でも三ヶ月前、特典会で彼女に『塩対応』をされたと思い込んでバグった」


「塩対応……?」


「そう。剥がしの時間が来たから会話を切り上げられただけなのに、彼は『自分だけが拒絶された』と逆上した。……そこからだね、彼が『闇サイト』で例のブツを手に入れたのは」


 如月先輩が画面を操作すると、あるデバイスの画像が表示された。

 僕の眼鏡や瀬戸先輩のType-7とは似て非なる、無機質で歪な形をした真っ黒なスマートフォン。


「『コピー・キャット』。マインド・ロジック社の初期流出データを元に、闇で作られた違法デバイス。……これを使って、彼はあーりんのマンションのセキュリティを突破し、部屋に隠しカメラを設置した。そして、その『プライバシー』をオタク仲間に売って、金と歪な優越感を得ているんだ」


 心臓が冷たく跳ねた。

 自分を拒絶したと思い込んだアイドルを、デバイスの力で「所有」した気になっている。

 僕が持っているこの「世界の解像度を変える力」を、そんな下劣な復讐に使っている奴がいる。


「……。自分の思い通りにいかないからって、相手の『裏側』を売るのか。最低だな」


「同感。……で、そいつも『負けヒロイン』が大好物らしくてね。今、この会場のどこかに『ログイン』してるよ」


 如月先輩が、僕の手に持った解析端末スマホに、自分の白い指をそっと重ねた。


「お兄さん、ちょっと同期リンクさせてね。ボクのリズム、流し込むから」


「……っ、ちょっと待ってくださ」


 拒否する間もなく、強制的な同期が始まった。

 僕の脳内に、如月先輩の刻む超高速のBPMが直接流れ込んでくる。

 バッテリー残量が**【38%】から一気に【25%】**まで急落した。脳が焼けるように熱い。


「ちょっとおぉぉ! 何サラッと指重ねてんのよ泥棒猫!!」


 一ノ瀬さんが絶叫するが、如月先輩は気にせずハッキングを続行する。

 僕の視界が【サイバーグリーン】に染まり、数千人のオタクがひしめく秋葉原のネットワーク全体をスキャンし始める。


『【警告:同一周波数の違法デバイスを検知(点滅する漆黒)】』

『【距離:二〇メートル。物販列の最後尾に滞留】』


「…………いた」


 眼鏡の奥。原色の光が弾ける人混みの中に、一箇所だけ**【周囲の光を吸い込むような、不自然な漆黒のログ】**が渦巻いているのが視えた。

 そいつは、スマホを構えているのではない。

 僕と同じように、眼鏡の奥で「あーりんの絶望」にピントを合わせて狙い、値踏みしている。


「……一ノ瀬さん。悪いけど、ケバブは後回しだ。……僕が今から、あいつをデバッグしてくる」


 僕はふらつく足を踏ん張った。残量は少ないが、やるしかない。


「……っ! ……わかったわよ。負けヒロインの彼氏が、あんな性根の腐った奴に負けるなんて、絶対に許さないんだから! 勝ったら、ケバブは大盛り(ダブル肉)よ!」


 解析端末が激しく震え、親父からのメッセージが届く。


『【ミッション更新:偽物をデバッグせよ。成功報酬:三〇、〇〇〇円】』


 ペンライトの光が秋葉原の夜を染める。

 偽物の「瞳」を持つ者への、本物のデバッガーによる処刑が、今始まった。



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