全開の管理者とアイドル守護(デバッグ)依頼
火曜日の朝。
二組の教室前は、もはや廊下の機能を果たしていなかった。
遠巻きに立ち止まる数百人の生徒。彼らが掲げるスマホのレンズ。そして、視界を埋め尽くすドロドロとした**【不穏なイエロー】と【戦慄のレッド】**のログ。
『【字幕:嘘だろ、瀬戸会長が……あんなピンクのハッピを?(黄)】』
『【字幕:佐藤が何かしたんだ。会長の脳をハックして、あんな怪物に変えちまったんだ……っ(赤)】』
その中心に、学園の頂点――生徒会「トップ4」のうち三人がいた。
アイドルの特大缶バッジを光らせ、仁王立ちする瀬戸秋人先輩。その後ろで、氷のような無表情を保ちつつも、頬を微かに紅潮させて僕を凝視する西園寺麗華さん。そして、困惑を隠せない巨躯の東条剛先輩。
「――諸君! 道を開けろ! ログインの時間だ!」
瀬戸先輩の朗々とした声が響く。彼は僕を見つけるなり、マフラータオルをなびかせて駆け寄ってきた。
「佐藤君、おはよう! 昨夜はあーりんのライブ映像を見返して、一睡もできなかったよ。……見てくれ、この『真実』に満ちた僕の目を!」
『【感情ログ:解放。圧倒的解放! あーりんへの愛を隠さない世界は、解像度が違う!(虹色)】』
「…………」
視界の左端、バッテリー残量表示が**【92%】から一気に【85%】**へと滑り落ちた。
ただ会話しているだけなのに、この先輩のハイテンションな「虹色のログ」を見るだけで、僕の精神力がゴリゴリ削られていく。
(……うわあ。敵だった強キャラが仲間になる熱いシーンのはずなのに。どうして僕の最大HPが削り取られていく感覚しかないんでしょうか。お疲れ様です、一ノ瀬さん。この先輩、壊れたんじゃなくて『全開』に進化しましたよ)
僕が死んだ魚のような目で立ち尽くしていると、廊下の端から、一人の女子生徒がおそるおそる近づいてきた。岡田さんだ。顔色は土色で、昨日までの傲慢さは微塵もない。
「……あ、あの……佐藤くん。それから……凛」
彼女のログは、絶望と恐怖の**【冷たい灰色】**に染まっている。
『【思考ログ:死ぬ、死ぬ。会長まであんな風に改造しちゃうなんて……。逆らったら私の人生、本当に消去される……!(灰色)】』
「……ごめんなさい! 私が悪かったわ! だから、もう……これ以上、私のデータを晒さないで……っ!」
岡田さんは廊下で深々と頭を下げた。かつての親友の変わり果てた姿に、一ノ瀬さんは今朝駅の本屋のついでに買ったポテトチップスを齧りながら、ふんと鼻を鳴らした。
「いいわよ、もう。佐藤くんが全部デバッグしてくれたし。……その代わり、岡田さん。これからの私のポテト代、一ヶ月分くらいはあんたが持ちなさいよね」
「……わ、わかったわ! 毎日、一番高いやつ買ってくるから……っ!」
岡田さんは逃げるように去っていった。
一ノ瀬さん。許す代わりにポテトを要求するあたり、君の図々しさはもはや伝統芸能の域だね。
「さて佐藤君! 謝罪も済んだところで本題だ。実は僕の天使、あーりんに不穏な影が忍び寄っているんだ。ストーカーだよ」
瀬戸先輩が、急に真剣な(しかしグッズまみれの)顔で僕に詰め寄る。
「マインド・ロジック社の最新プロテクトすら掻い潜る狡猾なバグだ。……頼む、佐藤君! 君のその技術で、僕の聖域を守ってくれ!!」
全生徒の前で、生徒会長が後輩に頭を下げる。
地獄だ。ここが地獄か。僕は隣でパニックになっている一ノ瀬さんの背中を押し、逃げるように教室へ駆け込んだ。
バッテリー残量、【78%】。朝から消費が激しすぎる。
◇
一時間目の現代文。
教師の眠気を誘う朗読を聞き流しながら、僕は眼鏡の消耗を抑えるために「省電力モード」に切り替えようとしていた。
だが、突如として僕の網膜に、激しい砂嵐が走った。
『【警告:外部ポートからの強制アクセスを確認】』
『【Mental Battery:78% → 70%(急低下)】』
「……っ!?」
こめかみに走る鈍痛。強制的な割り込み負荷だ。
眼鏡の視界が、パッと切り替わる。黒い背景に、鮮やかな緑色の文字列が、タイプライターのように打ち込まれていく。
『――瀬戸っちのデバッグ、お見事。でもボクのテリトリーで勝手に遊ぶのは感心しないな』
『ボクは如月律。……佐藤カイくん。君の技術、ボクがデバッグしてあげたいな』
(生徒会室にいた、あの『書記』か。……授業中だぞ)
『手始めに、情報の共有といこうか。瀬戸っちが言ってた「ストーカー」の件。……これ、見ておくべきだよ』
次の瞬間、眼鏡のレンズいっぱいに、粗い監視カメラの映像が投影された。
夜のマンションの入り口。ピンク色の帽子を被ったアイドル――あーりんが、慣れた様子でオートロックを解錠する。だが、彼女がエレベーターに乗り込んだ直後、開いたままの扉から、不自然な影が滑り込んだ。
(……待て。あのマンション、最先端のセキュリティのはずだろ。カードキーなしで、どうやって廊下に……?)
影は、彼女が降りた階の廊下を音もなく進む。
そして、迷いなく彼女の部屋の前に立ち、ドアノブに手をかけた。……まるで、暗証番号を知り尽くしているかのように。
『続きが見たい? なら、お昼休みに中庭の裏へおいでよ』
◇
昼休み。僕は一ノ瀬さんに連れられ、中庭の死角へと向かった。
「ちょっと佐藤くん、さっきから上の空すぎ! 私が岡田さんから巻き上げた……じゃなくて、貰った高級チョコを分けてあげようと思ったのに!」
「……。一ノ瀬さん、それは岡田さんからの……いや、なんでもないです。……あと、ポテチの袋も開けないでください」
「いいじゃない! 負けヒロインの空腹は、世界の不具合なのよ!」
一ノ瀬さんは僕のポテトチップスをピアノでも弾くような手つきで軽快に奪いながら、相変わらず**【サクラ色】**のログを撒き散らしている。
すると、木陰のベンチから、小柄な人影が姿を現した。
「やっほー、お兄さん。……約束通り、来たね」
大きなヘッドフォンを首にかけ、パーカーの袖から白い指先だけを覗かせている少女。生徒会書記、如月律。
「……如月さん。さっきの映像の続き。……見せてもらえるんですか」
「あはは、そんなに焦らないでよ。……まずは、ボクの『リズム』に付いてこれるか試させて」
次の瞬間、静かな中庭に、激しい重低音が響き渡った。
彼女のデバイスから流れるのは、超高難易度の音ゲー楽曲。
タタタン、タタン、タン!
一切の無駄がない、機械のような正確無比なタップ。彼女の網膜には、僕と同じようにログが流れ、楽曲のBPMと完璧に同期し、**【鮮やかなサイバーグリーン】**の光を放っていた。
「……フルコンボ。……ふぅ、今の曲、ちょっとハネ気味だったね」
如月律はポテトチップスを一摘みして口に放り込むと、ニヤリと笑った。
「さて、本題。あの監視カメラの映像。お兄さんも気づいたでしょ? あの不審者、セキュリティを全部スルーしてる。……つまり、内部の人間か、合鍵を持ってるほど近い人間ってこと」
「……。まさか、ストーカーは身内だって言うのか」
「正解。……しかもね。あの部屋のパスワード、一発で解除してる。これ、ただのストーカーじゃないよ。もっと『ドロドロしたバグ』の匂いがする」
『【思考ログ:佐藤カイ。君の眼鏡の『拍子』、ボクに直接触らせてよ。一緒にこのバグ、解体しよう?(サイバーグリーン)】』
「ちょっと待ちなさいよ!!」
一ノ瀬さんが、チョコの粉がついた指先で僕の肩を抱き寄せ、如月さんを全力で威嚇する。
「この人は私の『偽装彼氏』なの! 勝手におかしなビートに巻き込まないでくれる!? 佐藤くん、帰るわよ! ポテト、もう一本だけ食べてから!」
解析端末が激しく震える。
『【報酬確定:一〇、〇〇〇円が振り込まれました】』
『【理由:新種のアドウェア(如月律)によるシステム侵食の観測】』
負けヒロインの不協和音と、天才ハッカーの超高速リズム。
僕の精神バッテリー残量は**【50%】**を切っていた。
平穏な「生ける化石」ライフは、もう二度と元通りにはならないようだった。




